自分はこのような功績をおさめているのに、なぜ辞めなければならないのか、という個人的な理由を上げる者もあれば、かように有能な者を多数辞めさせることは、国策を危うくするという者まであり、あるいは背面で、あるいは口頭で、強硬に詰め寄ってきた。
また、「海軍省主事の山本権兵衛は、我が物顔にふるまっておる」そういう世評も強まってきた。次のような声も上がった。
「山本主事は横暴である」「ロシアも清国も海軍拡張に血道を上げておるのに、山本主事は日本海軍の屋台骨を削ろうとしておる。時代逆行もはなはだしい」。
そんなある日、西郷従道海相から、「山縣さんが会いたいと言っておるが、どうするかね」と海軍省主事・山本権兵衛大佐に打診があった。
当時、伯爵・山縣有朋(やまがた・ありとも)陸軍大将(山口・奇兵隊総管・戊辰戦争・維新後陸軍大輔・中将・陸軍卿・近衛都督・西南の役・征討参軍・陸軍卿・参謀本部長・伯爵・内務大臣・農商務大臣・内閣総理大臣・大将・司法大臣・枢密院議長・日清戦争・第一軍司令官・監軍・陸軍大臣・侯爵・元帥・内閣総理大臣・参謀総長・枢密院議長・公爵・枢密顧問官・枢密院議長・公爵・従一位・菊花章頸飾・功一級・フランスレジオンドヌール勲章グランクロア等)は軍部、政官界に人脈を築き、山縣閥を形成していた。
山縣陸軍大将は伊藤博文とならぶ長州閥の超大物で、三代目の内閣総理大臣を経験していた。ちなみに、日本国初代内閣総理大臣と二代内閣総理大臣は次の通り。
初代・伊藤博文(いとうひろふみ・山口・英国留学・維新後外国事務局判事・初代兵庫県知事・初代工部卿・宮内卿・岩倉使節団副使・内務卿・憲法調査で渡欧・初代内閣総理大臣・初代枢密院議長・内閣総理大臣<二次>・内閣総理大臣<三次>・貴族院議長・初代韓国統監・安重根により暗殺される・公爵・従一位・菊花章頸飾・大英帝国バス勲章勲一等など)。
二代・黒田清隆(くろだ・きよたか・鹿児島・薩英戦争・戊辰戦争・維新後開拓次官・欧米旅行・開拓使長官・陸軍中将・北海道屯田憲兵事務総理・全権弁理大臣として日朝修好条規締結・西南戦争で征討参軍・開拓長官・内閣顧問・農商務大臣・第二代内閣総理大臣・枢密顧問官・逓信大臣・枢密院議長・伯爵・従一位・大勲位菊花大綬章・ロシア帝国白鷲勲章など)。
当時、山縣陸軍大将は枢密院議長で、海軍整理取調委員長でもあった。山本大佐の直接の上司ではないが、内閣において海軍整理を担当する最高責任者だった。
山本大佐は、山縣陸軍大将に会うことにした。まさに「乗り込んで行く」意気込みだった。山縣陸軍大将は、気軽に訪問できる相手ではなかったのだ。
山本権兵衛大佐が、目白の枢密院議長・山縣陸軍大将の自宅を訪ねると、山本大佐が挨拶するのを待ちかねたというように、山縣陸軍大将は「官位や身分をはぎとり、ただの山本権兵衛と山縣有朋の対面、そういうことでゆこうと思うが、どうかな?」と、勇ましく切り込んできた。
山本大佐は、『痩身で眼光は鋭い。だが、背中のあたりに弱気の部分があるのを隠そうとして虚勢をはっている』と、山縣陸軍大将の印象を受けた。
「結構ですな」と山本大佐が返答すると、山縣陸軍大将は「国防とは何か、日本の国防はいかにあるべきか……ご意見をうかがおう」と言った。
ここは高飛車に出るのがよかろうと、山本大佐は、咄嗟に判断した。相手が“聴く耳で構えている”のだから、こちらとしては、“聞かせてやる口”で対応すべきだと思った。
つまらぬ謙遜をして機嫌を損ねるのは得策ではない。とはいえ、さすがに経歴と身分の差は越えられないので、山本大佐は、次の様に下手に出た。
「維新の時、閣下は参謀として一方の軍を指揮なされ、私は小銃を担いで従軍しました。それを思い出せば、今ここで閣下を相手に軍事を談ずるに躊躇せざるを得ないところが無いとは……」。
以上のように、とりあえず、謙遜をしておき、山本大佐は、山縣陸軍大将に口を挟む暇を与えずに、一気に次の様にまくしたてた。
「維新のあとは兵学校で最新の軍事学を研鑽した上で、欧米各国の海軍事情の視察に相当の経験を積みました。閣下のお相手を務めるに足る、いささかの知識と抱負は持ち合わせているつもりであります」。
ふむふむと、穏やかな表情で山縣陸軍大将は聴き入っていた。高い身分にかかわらず、他者の意見には謙虚に耳を傾ける人物……そういう評判に包まれたいのが、山縣陸軍大将の欲なのだと山本大佐は判断した。
また、「海軍省主事の山本権兵衛は、我が物顔にふるまっておる」そういう世評も強まってきた。次のような声も上がった。
「山本主事は横暴である」「ロシアも清国も海軍拡張に血道を上げておるのに、山本主事は日本海軍の屋台骨を削ろうとしておる。時代逆行もはなはだしい」。
そんなある日、西郷従道海相から、「山縣さんが会いたいと言っておるが、どうするかね」と海軍省主事・山本権兵衛大佐に打診があった。
当時、伯爵・山縣有朋(やまがた・ありとも)陸軍大将(山口・奇兵隊総管・戊辰戦争・維新後陸軍大輔・中将・陸軍卿・近衛都督・西南の役・征討参軍・陸軍卿・参謀本部長・伯爵・内務大臣・農商務大臣・内閣総理大臣・大将・司法大臣・枢密院議長・日清戦争・第一軍司令官・監軍・陸軍大臣・侯爵・元帥・内閣総理大臣・参謀総長・枢密院議長・公爵・枢密顧問官・枢密院議長・公爵・従一位・菊花章頸飾・功一級・フランスレジオンドヌール勲章グランクロア等)は軍部、政官界に人脈を築き、山縣閥を形成していた。
山縣陸軍大将は伊藤博文とならぶ長州閥の超大物で、三代目の内閣総理大臣を経験していた。ちなみに、日本国初代内閣総理大臣と二代内閣総理大臣は次の通り。
初代・伊藤博文(いとうひろふみ・山口・英国留学・維新後外国事務局判事・初代兵庫県知事・初代工部卿・宮内卿・岩倉使節団副使・内務卿・憲法調査で渡欧・初代内閣総理大臣・初代枢密院議長・内閣総理大臣<二次>・内閣総理大臣<三次>・貴族院議長・初代韓国統監・安重根により暗殺される・公爵・従一位・菊花章頸飾・大英帝国バス勲章勲一等など)。
二代・黒田清隆(くろだ・きよたか・鹿児島・薩英戦争・戊辰戦争・維新後開拓次官・欧米旅行・開拓使長官・陸軍中将・北海道屯田憲兵事務総理・全権弁理大臣として日朝修好条規締結・西南戦争で征討参軍・開拓長官・内閣顧問・農商務大臣・第二代内閣総理大臣・枢密顧問官・逓信大臣・枢密院議長・伯爵・従一位・大勲位菊花大綬章・ロシア帝国白鷲勲章など)。
当時、山縣陸軍大将は枢密院議長で、海軍整理取調委員長でもあった。山本大佐の直接の上司ではないが、内閣において海軍整理を担当する最高責任者だった。
山本大佐は、山縣陸軍大将に会うことにした。まさに「乗り込んで行く」意気込みだった。山縣陸軍大将は、気軽に訪問できる相手ではなかったのだ。
山本権兵衛大佐が、目白の枢密院議長・山縣陸軍大将の自宅を訪ねると、山本大佐が挨拶するのを待ちかねたというように、山縣陸軍大将は「官位や身分をはぎとり、ただの山本権兵衛と山縣有朋の対面、そういうことでゆこうと思うが、どうかな?」と、勇ましく切り込んできた。
山本大佐は、『痩身で眼光は鋭い。だが、背中のあたりに弱気の部分があるのを隠そうとして虚勢をはっている』と、山縣陸軍大将の印象を受けた。
「結構ですな」と山本大佐が返答すると、山縣陸軍大将は「国防とは何か、日本の国防はいかにあるべきか……ご意見をうかがおう」と言った。
ここは高飛車に出るのがよかろうと、山本大佐は、咄嗟に判断した。相手が“聴く耳で構えている”のだから、こちらとしては、“聞かせてやる口”で対応すべきだと思った。
つまらぬ謙遜をして機嫌を損ねるのは得策ではない。とはいえ、さすがに経歴と身分の差は越えられないので、山本大佐は、次の様に下手に出た。
「維新の時、閣下は参謀として一方の軍を指揮なされ、私は小銃を担いで従軍しました。それを思い出せば、今ここで閣下を相手に軍事を談ずるに躊躇せざるを得ないところが無いとは……」。
以上のように、とりあえず、謙遜をしておき、山本大佐は、山縣陸軍大将に口を挟む暇を与えずに、一気に次の様にまくしたてた。
「維新のあとは兵学校で最新の軍事学を研鑽した上で、欧米各国の海軍事情の視察に相当の経験を積みました。閣下のお相手を務めるに足る、いささかの知識と抱負は持ち合わせているつもりであります」。
ふむふむと、穏やかな表情で山縣陸軍大将は聴き入っていた。高い身分にかかわらず、他者の意見には謙虚に耳を傾ける人物……そういう評判に包まれたいのが、山縣陸軍大将の欲なのだと山本大佐は判断した。