官邸で、山本権兵衛軍務局長は、伊藤首相から次の様に問われた。
「ご承知のように威海衛は、清国政府より日本に払い込むべき償金の担保として、我が国がこれを占領している。しかし、清国政府からの償金払い込みは、間もなく完了する」
「それに目を付けたものか、英国から『清国が償金払い込みを完了し、日本軍隊が威海衛を引き揚げた後、英国は東洋派遣艦隊の為に、威海衛の租借を清国に求めたいと希望し散るが、日本政府の意向を聞きたい』と、我が政府に問い合わせがあった」
「このことは日本の東洋政策にも関係があると思うが、貴方の意見を聞かせてもらいたい」。
この伊藤首相の問いに対して、山本軍務局長は、即座に次の様に答えた。
「威海衛はわが軍隊の撤退後は、早晩いずれかの強国の狙うところとなろうと考えていました。既に旅順口と大連はロシアにより、膠州湾はドイツにより、それぞれ租借の強要を受けて、清国はこれを許諾しました」
「これは現下においてはやむを得ない成り行きというべきでしょうか。このように渤海湾の咽喉が、これら二国に占拠されたからには、英国にもその要求を充たさせるべきでしょう。英国はそれら二国とは少し色彩を異にしていますから、英国を威海衛に拠らしめれば、ロシア、ドイツの勢威に対する牽制ともなりましょう」
「従って、英国政府に対しては、本件については、帝国政府はなんら依存ない旨を答えるのが良いと認めます。ただし、一つ条件があります。我が新領土の台湾、澎湖島の永久の安寧保持を図るには、対岸の清国福建省の保安を維持する必要があります」
「この好機を利用して、揚子江から、南清にかけて最も勢力を持つ英国に対し、交換的に福建省方面を我が国の勢力圏に入れることを諒解させるべきだと思います。これは将来に対して我が南進政策を樹立する上においても、重要な案件でありましょう」。
同席していた陸相・桂太郎中将も、この山本軍務局長の主張に同意した。伊藤首相もこの意見を容れ、翌日の閣議で決定し、英国政府への回答手続きをとった。結局、日本は、清国に福建省の不割譲を約束させ、声明させたのである。
当時、軍務局長・山本権兵衛少将は、海軍省では「権兵衛大臣」の評価が根付いていた。特別の手続きを踏んで、山本軍務局長が西郷従道海相に代わって弁するほうがうまくゆく……みんな、そう思っていた。
明治三十一年五月十四日、山本権兵衛少将は、従四位、中将に進級した。それから、正四位に昇進して、その年の十一月八日、第二次山縣有朋内閣の海軍大臣になった。「権兵衛大臣」から正式な海軍大臣に就任したのである。四十六歳だった。
これまで海軍大臣であった西郷従道元帥は、内務大臣に就任した。西郷従道大将は、次の三名の陸軍大将とともに明治三十一年一月二十日、元帥府に列せられていた。
小松宮彰仁親王(こまつのみや・あきひとしんのう)陸軍大将(京都・皇族・戊辰戦争で奥羽征討総督・維新後兵部卿・英国留学・陸軍少尉・佐賀征討総督・少将・陸軍戸山学校長・東京鎮台司令長官・中将・大勲位菊花大綬章・欧州出張・近衛都督・大将・近衛師団長・参謀総長・征清大総督・大勲位菊花章頸飾・功二級・元帥・英国国王戴冠式差遣・薨去・国葬)。
山縣有朋(やまがた・ありとも)陸軍大将(山口・奇兵隊総管・戊辰戦争・維新後陸軍大輔・中将・陸軍卿・近衛都督・西南の役・征討参軍・陸軍卿・参謀本部長・伯爵・内務大臣・農商務大臣・内閣総理大臣・大将・司法大臣・枢密院議長・日清戦争・第一軍司令官・監軍・陸軍大臣・侯爵・元帥・内閣総理大臣・参謀総長・枢密院議長・公爵・枢密顧問官・枢密院議長・公爵・従一位・菊花章頸飾・功一級・フランスレジオンドヌール勲章グランクロア等)。
大山巌(おおやま・いわお)陸軍大将(鹿児島・戊辰戦争・維新後陸軍大佐・少将・ジュネーヴ留学・熊本鎮台司令長官・第一局長・東京鎮台司令長官・西南戦争で別働第一旅団司令長官・攻城砲隊指揮官・中将・参謀本部次長・陸軍士官学校長・陸軍卿・参謀本部長・陸軍大臣・大将・枢密顧問官・陸軍大臣・日清戦争で第二軍司令官・陸軍大臣・侯爵・功二級・元帥・参謀総長・大勲位菊花大綬章・日露戦争で満州軍総司令官・参謀総長・公爵・大勲位菊花章頸飾・功一級・内大臣・従一位・内大臣・死去・国葬・英帝国メリット勲章・フランス共和国レジオンドヌール勲章グランクロア等)。
「ご承知のように威海衛は、清国政府より日本に払い込むべき償金の担保として、我が国がこれを占領している。しかし、清国政府からの償金払い込みは、間もなく完了する」
「それに目を付けたものか、英国から『清国が償金払い込みを完了し、日本軍隊が威海衛を引き揚げた後、英国は東洋派遣艦隊の為に、威海衛の租借を清国に求めたいと希望し散るが、日本政府の意向を聞きたい』と、我が政府に問い合わせがあった」
「このことは日本の東洋政策にも関係があると思うが、貴方の意見を聞かせてもらいたい」。
この伊藤首相の問いに対して、山本軍務局長は、即座に次の様に答えた。
「威海衛はわが軍隊の撤退後は、早晩いずれかの強国の狙うところとなろうと考えていました。既に旅順口と大連はロシアにより、膠州湾はドイツにより、それぞれ租借の強要を受けて、清国はこれを許諾しました」
「これは現下においてはやむを得ない成り行きというべきでしょうか。このように渤海湾の咽喉が、これら二国に占拠されたからには、英国にもその要求を充たさせるべきでしょう。英国はそれら二国とは少し色彩を異にしていますから、英国を威海衛に拠らしめれば、ロシア、ドイツの勢威に対する牽制ともなりましょう」
「従って、英国政府に対しては、本件については、帝国政府はなんら依存ない旨を答えるのが良いと認めます。ただし、一つ条件があります。我が新領土の台湾、澎湖島の永久の安寧保持を図るには、対岸の清国福建省の保安を維持する必要があります」
「この好機を利用して、揚子江から、南清にかけて最も勢力を持つ英国に対し、交換的に福建省方面を我が国の勢力圏に入れることを諒解させるべきだと思います。これは将来に対して我が南進政策を樹立する上においても、重要な案件でありましょう」。
同席していた陸相・桂太郎中将も、この山本軍務局長の主張に同意した。伊藤首相もこの意見を容れ、翌日の閣議で決定し、英国政府への回答手続きをとった。結局、日本は、清国に福建省の不割譲を約束させ、声明させたのである。
当時、軍務局長・山本権兵衛少将は、海軍省では「権兵衛大臣」の評価が根付いていた。特別の手続きを踏んで、山本軍務局長が西郷従道海相に代わって弁するほうがうまくゆく……みんな、そう思っていた。
明治三十一年五月十四日、山本権兵衛少将は、従四位、中将に進級した。それから、正四位に昇進して、その年の十一月八日、第二次山縣有朋内閣の海軍大臣になった。「権兵衛大臣」から正式な海軍大臣に就任したのである。四十六歳だった。
これまで海軍大臣であった西郷従道元帥は、内務大臣に就任した。西郷従道大将は、次の三名の陸軍大将とともに明治三十一年一月二十日、元帥府に列せられていた。
小松宮彰仁親王(こまつのみや・あきひとしんのう)陸軍大将(京都・皇族・戊辰戦争で奥羽征討総督・維新後兵部卿・英国留学・陸軍少尉・佐賀征討総督・少将・陸軍戸山学校長・東京鎮台司令長官・中将・大勲位菊花大綬章・欧州出張・近衛都督・大将・近衛師団長・参謀総長・征清大総督・大勲位菊花章頸飾・功二級・元帥・英国国王戴冠式差遣・薨去・国葬)。
山縣有朋(やまがた・ありとも)陸軍大将(山口・奇兵隊総管・戊辰戦争・維新後陸軍大輔・中将・陸軍卿・近衛都督・西南の役・征討参軍・陸軍卿・参謀本部長・伯爵・内務大臣・農商務大臣・内閣総理大臣・大将・司法大臣・枢密院議長・日清戦争・第一軍司令官・監軍・陸軍大臣・侯爵・元帥・内閣総理大臣・参謀総長・枢密院議長・公爵・枢密顧問官・枢密院議長・公爵・従一位・菊花章頸飾・功一級・フランスレジオンドヌール勲章グランクロア等)。
大山巌(おおやま・いわお)陸軍大将(鹿児島・戊辰戦争・維新後陸軍大佐・少将・ジュネーヴ留学・熊本鎮台司令長官・第一局長・東京鎮台司令長官・西南戦争で別働第一旅団司令長官・攻城砲隊指揮官・中将・参謀本部次長・陸軍士官学校長・陸軍卿・参謀本部長・陸軍大臣・大将・枢密顧問官・陸軍大臣・日清戦争で第二軍司令官・陸軍大臣・侯爵・功二級・元帥・参謀総長・大勲位菊花大綬章・日露戦争で満州軍総司令官・参謀総長・公爵・大勲位菊花章頸飾・功一級・内大臣・従一位・内大臣・死去・国葬・英帝国メリット勲章・フランス共和国レジオンドヌール勲章グランクロア等)。