陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

2.佐藤市郎海軍中将(2) 私達、男の三兄弟は、頭の良さは上からだよ

2006年04月01日 | 佐藤市郎海軍中将
 山口県熊毛郡田布施町出身の兄弟宰相、岸信介と佐藤栄作の長兄が佐藤市郎海軍中将。故岸信介氏か又は故佐藤栄作氏の言葉で「私達、男の三兄弟は、頭の良さは上からだよ」と言ったという伝聞がある。それほどあまりにも秀才で、海軍兵学校、海軍大学校ともに首席で卒業したが、同じ首席でも過去に例を見ない高得点であったという。佐藤中将と海軍兵学校36期の同期生には沢本 頼雄、塚原二四三、南雲忠一の三人の海軍大将がいるが、頭の良さは佐藤中将が抜きん出ていたことは衆目の認めるところだ。
 佐藤は海軍大学校を大正9年に卒業してフランスに駐在。フランスから「シュバリエー・ド・ロルドル・ナッショナル・ド・ヌール」勲章を受けている。昭和2年ジュネーブ軍縮会議随員、4年国際連盟陸海空問題常設諮問委員会・帝国海軍代表、5年ロンドン軍縮会議随員、6年国際連盟支那調査問題海軍準備委員会委員など中佐、大佐時代はまさに日本を代表する軍人外交官として海外生活が多い人だった。その後昭和9年には45歳で海軍少将になっている。
 佐藤は出席した当時のジュネーブ軍縮会議、ロンドン軍縮会議の軍縮会議の表裏、会議に参加した代表団の人間模様を記録していた。それを長男の佐藤信太郎氏が編集して出版したのが、「父、佐藤市郎が書き遺した軍縮会議秘録」(文芸社)。歴史的に見ても貴重な本でフランス政府からも高い評価を得ている。軍縮会議の進展状況と海軍高官の人間模様を、日記的に赤裸々に書いた本は少ない。