陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

3.佐藤市郎海軍中将(3) 上司に対しても屡(しばしば)癇癪玉を破裂させていた

2006年04月08日 | 佐藤市郎海軍中将
 「父、佐藤市郎が書き遺した軍縮会議秘録」(文芸社)には上司の批判が多く見られる。頭のよい人だから上司の頭に隙間風がヒュウヒュウと吹き抜けていくのがよく見える。巻末のプロフィルに「市郎は嘘のない、正しく生きることが生活の第一信条で、この信条を、海軍でのご奉公はもちろん、日常生活でも通した。ちょっとでも曲がったことは絶対に許せない質で、要領よくできない人だった。彼の清く正しく生きるという理想に対して現実の世の中は余りにも醜く、志を得ることができなかったようだ。癇癪持ちで、日常家庭内で家族に対してはもちろんのこと、上司に対しても屡(しばしば)癇癪玉を破裂させていたことは、本遺稿中にも書かれている。」とある。
 この本に、失敗に陥ったジュネーブ軍縮会議の代表団の人物評が載っている。会議の失敗に憤慨した佐藤中佐は失敗の原因について米国、英国の状況を分析した後に、日本については「役者が不足なり」と述べている。全権団に対しては「老骨徒に過去に樹立したる名を傷つけざらんことのみに専念し消極また消極的」とある。
Adml.K(K将軍)については、「赤煉瓦の馬鹿電と過労のため七月下旬からめっきり衰えたり」と評している。K将軍は小林海軍中将。赤煉瓦は海軍省、馬鹿電は人物評の一こまに、「海軍省の連中-電文を見れば大体見当付くべし」と記している。adml.H(H将軍)については、「獅子身中の虫。Saigonのホテルのテラスで予が宣言したるごとく、彼を印度洋に投棄せざりしを後悔せること一再ならず」と。H将軍は原敢二郎海軍少将と推察される。Capt.T(T大佐)については「大したものに非ず、messennger boy(メッセンジャーボーイ)が適任」と。T大佐は豊田貞次郎海軍大佐であろう。Capt.H(H大佐)については「之は大したもの。三一年の会議のため切に健在を祈る」と評価している。H大佐は堀悌吉海軍大佐と推察される。