陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

8.佐藤市郎海軍中将(8) 山本五十六少将だけは心腹尊敬していた

2006年05月12日 | 佐藤市郎海軍中将
ロンドン軍縮会議での昭和5年1月16日の佐藤大佐の日記には次のような内容が記されている。
  左近司(中将)さんは、ジュネーブ会議当時の原厳同様、自薦で首席随員となったのだ相だ。
  大馬鹿大将も同様だ。そして彼氏の頭には国防も何もなく、唯会議成功後の授爵だけで出張前の支度振りがまるで物見遊山旅行本位であったと聞く。
 中村大佐が首席随員はこんどの会議がうまく纏ると男爵ですな!とオダテルときまり悪相な嬉し相な面付きをしたが、いよいよ出掛ける事になったから、次官次長が心配して山本少将をつけた。
 
この佐藤の日記には授爵について記されているが、ロンドン会議調印後の論功行賞では、全権委員の若棋槻禮次郎元首相が男爵を授けられた。
  財部大将は旭日桐花大綬章、左近司中将は勲一等瑞宝章、山本五十六少将は勲二等瑞宝章、佐藤大佐は旭日中綬章をそれぞれ受けている。

  佐藤の日記には山本五十六が多多登場する。同じく1月16日の日記には次のような記述がある。
 今夜佐藤のクラスメートの三浦武官が着くと海軍兵学校のクラスメートが4人揃う。候補生の時の遠洋航海当時の主任指導官補佐として懇切な指導を与えられた山本さんがおられる。
 早速クラス会を催して山本少将を御招待しよう。ソーダソーダと一人でうなずいていると、コツンコツンとノックして、その山本さんが入って来られながら「オイ今夜三浦が着たら皆で飯を食おう。高橋と君と三浦とそれに誰が居るかね」と云われたときの懐かしさ嬉しさ。
 山本さんは自分で当時の候補生の四人におごるお積りなのは問わずとも勿論判り切っている。およびしようとしていて却ってよばれたこと以上にイヤイヤそんなことには全然比べにならぬ先輩の厚い情熱が有難かった。

 このような内容の佐藤大佐の日記を読むと、いろんな先輩に容赦なく癇癪玉を爆発させている佐藤は、山本五十六少将だけは心腹尊敬していた事が判る。


1 コメント

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TBありがとうございます! (katta)
2006-05-13 23:57:04
世界一小さい戦争博物館へまたお越しください!
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