陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

1.佐藤市郎海軍中将(1) 海軍の飛びぬけた秀才は、岸・佐藤兄弟宰相の長兄

2006年03月25日 | 佐藤市郎海軍中将
上司にもしばしば癇癪玉を破裂させていた海軍の飛びぬけた秀才は、岸・佐藤兄弟宰相の長兄、佐藤市郎海軍中将。

<佐藤市郎海軍中将プロフィル>
 佐藤 市郎は1889(明治22)年8月22日、父佐藤秀助、母モヨの長男(三男七女)として山口県熊毛郡田布施町に生れる。岸信介・佐藤榮作の兄弟宰相の長兄。曽祖父佐藤信寛は初代島根県知事。
1908(明治41)年 海軍兵学校(36期)卒 卒業成績192人中1番。兵学校時代の成績は平均点が97.5点で日本海軍はじまって以来の秀才と言われた。1920(大正9)年 海軍大学校(18期)卒(首席)。フランス駐在。1927(昭和2)年 ジュネーブ軍縮会議随員。11月15日聯合艦隊首席参謀。1928(昭和3)年12月10日海軍大佐。「長良」艦長。1929(昭和4)年8月29日国際連盟海軍代表。1930(昭和5)ロンドン軍縮会議随員。1932(昭和7)年11月15日 教育局第1課長。1934(昭和9)年11月15日少将。航空本部教育部長。1936(昭和11)年4月1日 呉鎮守府参謀長。12月1日海軍大学校教頭。1938(昭和13)年11月15日海軍中将。旅順要港部司令官。1939(昭和14)年11月15日軍令部出仕。1940(昭和15)年4月1日待命。4月5日予備役編入。4月29日勲一等旭日大綬章。1958(昭和33)年4月12日、東京の病院で心筋梗塞にて死去。69歳。