伏見宮が天皇陛下に拝謁を求めるため、鈴木侍従長に会った際、鈴木侍従長は、伏見宮に向かって次のように言った。
「潜水艦は主力艦減少の今日さほど入用ではありません。駆逐艦のほうがよろしいと思います。兵力量はこんどのロンドン条約でさしつかえありません」。
岡田大将に伏見宮は「鈴木は軍令部長になっているようなものの言い方をした」と話した。
さらに拝謁に対して、鈴木侍従長は伏見宮に次のように言ったという。
「陛下に申し上げられるとのことですが、これはもってのほかであります。元帥軍事参議官会議は奏請なさってもたぶんお許しにならぬでしょう」。
そこで伏見宮は怒りを抑えて、次のように鈴木侍従長に強く言った。
「お前らが奏上するときは直立不動で申し上げるから、意を尽くして言上することはできない。わたしなら雑談的にお話しすることができるので、十分意を尽くすことも可能だ。だからわたしが申し上げると言っているので、とり違えては困る」。
昭和五年五月十九日、財部海軍大臣がロンドンから帰国した。加藤軍令部長は、軍令部の意見を無視してロンドン条約をまとめたことを、統帥権の干犯であるとして問題にしようとしていた。
政府は、これとは意見を異にして、条約の決定権は政府にあるのだから、統帥権を干犯したことにはならないと主張した。
六月十日、加藤寛治軍令部長は上奏し、辞表を読み上げ、辞表が決定した。加藤寛治大将は軍事参議官に就任した。
後任の軍令部長には条約派である、連合艦隊司令長官・谷口尚真(たにぐち・なおみ)大将(広島・海兵一九・海大三・海軍兵学校校長・呉鎮守府司令長官・大将・連合艦隊司令長官・軍令部長)が就任した。
東郷元帥は着任した谷口軍令部長に次のように言った。
「こんどの条約の兵力量では不足だ。主力艦が六割になってしまった今日、巡洋艦は八割は必要だ。だから御批准はなさらぬほうがよろしい。(陛下が)自分の意見をお求めになったら、そう申し上げるつもりだ」。
これに対して、谷口軍令部長が「それでは海軍に大動揺をきたしますので、よくお考えを」と言うと、東郷元帥は「一時は動揺も起こるだろう。しかし将来のことを考えたらなんでもない」などと答えた。
後日、岡田大将は、谷口軍令部長、加藤寛治大将と話し合った。
加藤大将が「東郷元帥も御批准あらせられぬほうがいいとおっしゃっている」と、東郷元帥を持ち出して、反対した。
岡田大将は「ロンドン条約では不足であっても、飛行機その他条約外のもので補充すれば国防を保てる。その補充計画は君がこしらえたんじゃないか」と言った。
加藤大将は「政府が誠意を持って補充すれば、国防は保てぬこともない」と言った。
岡田大将は「そんなら君も私も同意見だ。これで東郷元帥も御承知になると思うが、どうだ」と言った。
これに対し加藤大将は「財部が責任を負って海軍大臣をやめることになれば、元帥の承諾をうる望みがあるかもしれない。財部に勧告するのは君がやったほうが一番いい」と押し付けてきた。
岡田大将は「批准があった後に財部が辞めるということにするなら、私が勧告を引き受けよう」と答えた。
岡田大将は、すぐに財部海軍大臣に会った。岡田大将は財部海軍大臣に次の様に言った。
「君は、殿下や元帥が君に好感を持っておられないことをよく知っているだろう。今の場合、局面を打開する方法は君が辞職するということ以外にはなくなった。考えてみてくれんか。御批准があった後で、辞職するということを殿下や元帥に表明しておけば、万事うまくゆく。どうかそうしてくれんか」。
これに対し財部海軍大臣は次の様に答えた。
「君は誰よりも私の心事をよく知っているはずだ。私ももとより覚悟している。そうではあるが、腹を切るのに、何月何日に切るんだ、といって人にふれ歩くのはどうかと思う」。
そこで岡田大将は次のように財部海軍大臣に説いた。
「もっともな言葉だ、しかし今の場合は違う。この一つのことだけで局面が打開されそうになっているんだ。ほかに策がないからこうして頼むんだ」。
その場では、話は決裂したが、その後、財部海軍大臣が谷口軍令部長に「決心したから(岡田大将に)、そのことを伝えてくれ」と言った。
それを聞いた岡田大将は東郷元帥を訪れ、財部海軍大臣のことを報告した。
だが、東郷元帥は「なぜ今すぐやめぬ。大臣一日その職にあれば、それだけ海軍の損失だ」と言った。
「潜水艦は主力艦減少の今日さほど入用ではありません。駆逐艦のほうがよろしいと思います。兵力量はこんどのロンドン条約でさしつかえありません」。
岡田大将に伏見宮は「鈴木は軍令部長になっているようなものの言い方をした」と話した。
さらに拝謁に対して、鈴木侍従長は伏見宮に次のように言ったという。
「陛下に申し上げられるとのことですが、これはもってのほかであります。元帥軍事参議官会議は奏請なさってもたぶんお許しにならぬでしょう」。
そこで伏見宮は怒りを抑えて、次のように鈴木侍従長に強く言った。
「お前らが奏上するときは直立不動で申し上げるから、意を尽くして言上することはできない。わたしなら雑談的にお話しすることができるので、十分意を尽くすことも可能だ。だからわたしが申し上げると言っているので、とり違えては困る」。
昭和五年五月十九日、財部海軍大臣がロンドンから帰国した。加藤軍令部長は、軍令部の意見を無視してロンドン条約をまとめたことを、統帥権の干犯であるとして問題にしようとしていた。
政府は、これとは意見を異にして、条約の決定権は政府にあるのだから、統帥権を干犯したことにはならないと主張した。
六月十日、加藤寛治軍令部長は上奏し、辞表を読み上げ、辞表が決定した。加藤寛治大将は軍事参議官に就任した。
後任の軍令部長には条約派である、連合艦隊司令長官・谷口尚真(たにぐち・なおみ)大将(広島・海兵一九・海大三・海軍兵学校校長・呉鎮守府司令長官・大将・連合艦隊司令長官・軍令部長)が就任した。
東郷元帥は着任した谷口軍令部長に次のように言った。
「こんどの条約の兵力量では不足だ。主力艦が六割になってしまった今日、巡洋艦は八割は必要だ。だから御批准はなさらぬほうがよろしい。(陛下が)自分の意見をお求めになったら、そう申し上げるつもりだ」。
これに対して、谷口軍令部長が「それでは海軍に大動揺をきたしますので、よくお考えを」と言うと、東郷元帥は「一時は動揺も起こるだろう。しかし将来のことを考えたらなんでもない」などと答えた。
後日、岡田大将は、谷口軍令部長、加藤寛治大将と話し合った。
加藤大将が「東郷元帥も御批准あらせられぬほうがいいとおっしゃっている」と、東郷元帥を持ち出して、反対した。
岡田大将は「ロンドン条約では不足であっても、飛行機その他条約外のもので補充すれば国防を保てる。その補充計画は君がこしらえたんじゃないか」と言った。
加藤大将は「政府が誠意を持って補充すれば、国防は保てぬこともない」と言った。
岡田大将は「そんなら君も私も同意見だ。これで東郷元帥も御承知になると思うが、どうだ」と言った。
これに対し加藤大将は「財部が責任を負って海軍大臣をやめることになれば、元帥の承諾をうる望みがあるかもしれない。財部に勧告するのは君がやったほうが一番いい」と押し付けてきた。
岡田大将は「批准があった後に財部が辞めるということにするなら、私が勧告を引き受けよう」と答えた。
岡田大将は、すぐに財部海軍大臣に会った。岡田大将は財部海軍大臣に次の様に言った。
「君は、殿下や元帥が君に好感を持っておられないことをよく知っているだろう。今の場合、局面を打開する方法は君が辞職するということ以外にはなくなった。考えてみてくれんか。御批准があった後で、辞職するということを殿下や元帥に表明しておけば、万事うまくゆく。どうかそうしてくれんか」。
これに対し財部海軍大臣は次の様に答えた。
「君は誰よりも私の心事をよく知っているはずだ。私ももとより覚悟している。そうではあるが、腹を切るのに、何月何日に切るんだ、といって人にふれ歩くのはどうかと思う」。
そこで岡田大将は次のように財部海軍大臣に説いた。
「もっともな言葉だ、しかし今の場合は違う。この一つのことだけで局面が打開されそうになっているんだ。ほかに策がないからこうして頼むんだ」。
その場では、話は決裂したが、その後、財部海軍大臣が谷口軍令部長に「決心したから(岡田大将に)、そのことを伝えてくれ」と言った。
それを聞いた岡田大将は東郷元帥を訪れ、財部海軍大臣のことを報告した。
だが、東郷元帥は「なぜ今すぐやめぬ。大臣一日その職にあれば、それだけ海軍の損失だ」と言った。