陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

245.山口多聞海軍中将(5) 山本次官は「どうだ、アメリカは本気か」と聞いた

2010年12月03日 | 山口多聞海軍中将
 昭和九年六月一日、山口大佐は在米日本大使館付海軍武官に発令された。早速、大西大佐や同じ海軍大学校教官の宇垣纏大佐ら海軍兵学校同期が集まり、壮行会を開いてくれた。

 だが、その宴席で酒が入ると議論は真っ二つに分かれた。大西大佐と山口大佐は航空機を中心にこれからの海軍を主張したが、宇垣大佐は艦隊第一主義を主張した。

 当時第一航空戦隊司令官だった山本五十六少将は、そんな宇垣大佐に再三、注意をしたようだったが、現実には宇垣大佐の考え方のほうが海軍の主流を占めており、航空機派はまだ少数だった。

 昭和九年八月、米国に海軍武官として赴任した山口大佐は、アメリカ軍の情報収集に力を注いだ。当時アメリカはオレンジ戦争計画という対日戦略を構築していた。

 極東における米国の権益に対し、日本軍が攻撃をかけた場合、まず海軍によって反撃を加える。陸軍は海軍基地のあるマニラ湾の防衛、パナマ運河、ハワイ、アラスカの防衛、米国本土西海岸の防衛に当たる。

 その上で、日本の海上輸送を遮断すれば、物資が困窮し、日本本土まで攻め込まなくても日本は敗北する。それがアメリカの対日戦略、オレンジ戦争計画だった。

 山口大佐はアメリカ人スパイも使って、この日本進攻大演習の基本計画書を手に入れた。それを読んだ山口大佐はさすがに衝撃を受けた。

 だが、山口大佐も反対にアメリカ海軍情報部にやられたこともあった。彼らはスパイをワシントンの日本海軍の武官事務所に忍び込ませ、暗号機械を点検させたのである。

 昭和十年七月二十六日夜、米海軍情報部極東課長・ザチィアリアス中佐の自宅に山口大佐が招かれパーティが開かれた。同中佐はかつて駐日大使館付武官補佐官を努めており、米海軍きっての日本通だった。

 このパーティの間、日本海軍武官事務所には、運転手と若い兵士が残っていた。ところが突然停電があり、電気が消えた。管理人に電話をすると、間もなく二人の電気工がやってきて、室内を点検し、山口大佐が使っていた暗号機械も調べた。

 やがて、パッと電気がついて、男たちは何事もなかったように帰っていった。この間に必要なものはすべて調べたのだった。

 だが、太平洋戦争で使用した日本海軍の暗号機械は昭和十二年に開発された「九七式」で、タイプライターより少し大きい極めて高度な性能のものだった。

 したがって、山口大佐が駐米武官の際に使用していたものと、まるで異なっており、たとえノウハウが盗まれていたとしてもなんら影響はなかった。

 だが、この「九七式」は、暗号機械の天才と言われたアメリカのフリードマンによって解読され、昭和十五年に同じ暗号機械が模造された。

 アメリカはこの暗号解読を「マジック」と名づけたが、これにより日本の機密情報は筒抜けになった。開戦にいたるまで、米軍はアメリカ本土、ハワイ、パナマ運河、フィリピンなどに無線傍受所を設置し、日本の外交電報を傍受して解読、翻訳したのである。

 この頃、山口大佐はドイツの指導者に危惧の念を抱いていた。「ヒットラーは気が狂っている。あんな手合いと手を組んでは困ることになる」。山口大佐は部下たちにそう漏らしていた。

 昭和十一年十二月、巡洋艦「五十鈴」の艦長を拝命した山口多聞大佐は、サンフランシスコから横浜行きの客船に乗った。帰国した山口大佐はまっすぐ買海軍省の山本五十六中将のところに行った。

 山本中将は当時、海軍次官で、次官室に入ると、山本中将は立ったまま書類の決済をしていて、「戻ったか、待っていたぞ」と言った。山口大佐が「あちらでは勉強させていただきました」と挨拶した。

 煙草に火をつけると、山本次官は「どうだ、アメリカは本気か」と聞いた。山口大佐は「米軍は日本を仮想敵国として訓練に励んでおりますが、しかし、アメリカとは戦争すべきにあらずです」と答えた。

 すると山本次官は「ずばり言ったな。分かってをおる。この国もバカな奴らが多くてな。資源ということを知らない」と言った。さらに次の様に言った。

 「ともかくあせるな
。自分には航空本部長が一番適任で、一生、航空本部長をやっていたかったが、永野大将からぜひと言われて断れなかったよ。損な役になりそうだが、こうなっては君の助けもいる。時々呼ぶぞ。五十鈴の艦長は自分もやったが、部下は公平に扱いたまえ」と部下の扱い方を助言した。