山口少将は、山本五十六大将がいつもと違って、どこか焦っているような印象を受けた。気を利かせて首席参謀の黒島亀人大佐(海兵四四・海大二六)が席を立つと、山本大将はソファに身を沈めて次の様に言った。
「山口君、いまが休戦の潮時だけどねえ」
山本大将は近衛前総理に「一年か一年半は暴れてみせます」と言ったが、まだ半年である。山口少将は山本大将がいささか弱気なので驚いた。
続けて山本大将は「しかし、その機運はないな。君は南方作戦に疑義ありと言っていたそうだな。真にその通りだが、私の意見が通らず、君らを南方に出す羽目になった」と苦しい胸のうちを語った。
そして「そこでミッドウェーで勝負を賭ける。六月には出撃したいが、どうだね」と言った。
山口少将は「それは、どうでしょうか。率直に申し上げれば、時間がたりません」とはっきり答えた。
真珠湾攻撃が成功したのは、何年にも及ぶ緻密な戦略ともう訓練の結果だが、勝敗の決め手は奇襲だった。今は、全く事情が違う。
米国太平洋艦隊は、キンメル提督を首にして、国の威信をかけて巻き返しに出ようとしているはずだ。真珠湾の場合は、そこに停泊する艦艇の名前まで知っていた。
だが、今は米国に日本の諜報機関は存在せず、情報は途絶えている。米軍の暗号解読も進んでいない。しかも敵の提督、ミニッツは、なかなかの男と聞いていた。
実戦を指揮するハルゼーは、自ら操縦桿を握るパイロット出身だ。山口少将は、いまは米国に対して、侮れぬものを感じていた。
連合艦隊と言っても、空母を中心とする機動部隊は、第一航空艦隊しかない。その司令塔である南雲長官は、肝心なときに黙ってしまい、航空のことは源田参謀に任せてしまう。
山口少将は非常な危機感を抱いた。だが山本大将は「山口君、実は決まっているのだ」と言った。その時、ノックをして黒島首席参謀が入ってきた。昼食の時間だった。
参謀たちも入ってきて、昼食になった。「山口君、日本人は外交が下手だねえ」と山本大将はビールを飲み干した。そして次の様に言った。
「いいか、米英の連中がやったことを日本人はやってきただけだよ。日本人を野蛮人と言って非難しているが、自分たちはどうだというんだ。軍隊と大砲でシナに攻め入り、フィリピンを奪い取ったではないか。満州は君、国際法にのっとって建設した国だよ」
「その根底には、白人は黄色人種より上だという思い上がりがある。それをこらしめてやったのが、どうも評判が悪い。付き合い方が下手なんだ」
これには山口少将も同感であった。同じことをしていて、何故日本だけが、という思いは山口少将にもあった。いうなれば「ジャパン・バッシング」(日本叩き)だった。
だが、米国は強大な資源国家だ。その中枢となる太平洋艦隊を破るには、少なくとも半年の準備がいると思った。最低でも三ヶ月はほしい。
ミッドウェー出撃が決まった以上、山口少将は、今度は生きて帰れぬと直感した。山口少将は、今回は、旗艦を空母「蒼龍」から「飛龍」にした。とくに意味はなかったが、そうした。
山口少将は「飛龍」の母港、佐世保に行った。会うなり「飛龍」の加来艦長は「司令官、どうも困ったもんです」と眉をひそめて山口少将に言った。
山口少将が「何かね」と言うと、加来艦長は「実は次はMだそうですねと、水兵まで言っておる。これでは敵に筒抜けですな」。
「何だって」。これでは山口少将も駄目だと思った。たかだか真珠湾で勝っただけで、上から下まで慢心している。由々しき事態だと山口少将は思った。
だがミッドウェーはもう決定している。山口少将は考えた。ミッドウェー海戦で、米国太平洋艦隊を海の藻屑にしてしまえば、アメリカも割に合わない戦争に疑問を感じよう。
日本の政治家も馬鹿ばかりではあるまい。休戦交渉が可能になろう。「そんな気の利いた政治家は、もはやいないよ」と山本大将は悲観的なことも言っていたが、ミッドウェーで勝てば、山本大将の発言力も強くなる。そこに期待することも可能だ。だからいかにして勝つか、山口少将も必死だった。
四月二十八日から二日間にわたって「大和」で、第一回のミッドウェー作戦の研究会が行われた。攻略期日も六月七日と決まった。
活発な議論があり、山口少将も立ち上がって、考え抜いた持論を述べた。それは次の様な論旨だった。
「ここは日米両国の決戦と見なければならない。従来の艦隊編成を抜本的に改め、空母を中心とする機動部隊を編成し、空母の周辺には戦艦、巡洋艦、駆逐艦を輪形に配置し、敵機の襲来に備え、少なくとも三機動部隊を出撃させるべきである」
「山口君、いまが休戦の潮時だけどねえ」
山本大将は近衛前総理に「一年か一年半は暴れてみせます」と言ったが、まだ半年である。山口少将は山本大将がいささか弱気なので驚いた。
続けて山本大将は「しかし、その機運はないな。君は南方作戦に疑義ありと言っていたそうだな。真にその通りだが、私の意見が通らず、君らを南方に出す羽目になった」と苦しい胸のうちを語った。
そして「そこでミッドウェーで勝負を賭ける。六月には出撃したいが、どうだね」と言った。
山口少将は「それは、どうでしょうか。率直に申し上げれば、時間がたりません」とはっきり答えた。
真珠湾攻撃が成功したのは、何年にも及ぶ緻密な戦略ともう訓練の結果だが、勝敗の決め手は奇襲だった。今は、全く事情が違う。
米国太平洋艦隊は、キンメル提督を首にして、国の威信をかけて巻き返しに出ようとしているはずだ。真珠湾の場合は、そこに停泊する艦艇の名前まで知っていた。
だが、今は米国に日本の諜報機関は存在せず、情報は途絶えている。米軍の暗号解読も進んでいない。しかも敵の提督、ミニッツは、なかなかの男と聞いていた。
実戦を指揮するハルゼーは、自ら操縦桿を握るパイロット出身だ。山口少将は、いまは米国に対して、侮れぬものを感じていた。
連合艦隊と言っても、空母を中心とする機動部隊は、第一航空艦隊しかない。その司令塔である南雲長官は、肝心なときに黙ってしまい、航空のことは源田参謀に任せてしまう。
山口少将は非常な危機感を抱いた。だが山本大将は「山口君、実は決まっているのだ」と言った。その時、ノックをして黒島首席参謀が入ってきた。昼食の時間だった。
参謀たちも入ってきて、昼食になった。「山口君、日本人は外交が下手だねえ」と山本大将はビールを飲み干した。そして次の様に言った。
「いいか、米英の連中がやったことを日本人はやってきただけだよ。日本人を野蛮人と言って非難しているが、自分たちはどうだというんだ。軍隊と大砲でシナに攻め入り、フィリピンを奪い取ったではないか。満州は君、国際法にのっとって建設した国だよ」
「その根底には、白人は黄色人種より上だという思い上がりがある。それをこらしめてやったのが、どうも評判が悪い。付き合い方が下手なんだ」
これには山口少将も同感であった。同じことをしていて、何故日本だけが、という思いは山口少将にもあった。いうなれば「ジャパン・バッシング」(日本叩き)だった。
だが、米国は強大な資源国家だ。その中枢となる太平洋艦隊を破るには、少なくとも半年の準備がいると思った。最低でも三ヶ月はほしい。
ミッドウェー出撃が決まった以上、山口少将は、今度は生きて帰れぬと直感した。山口少将は、今回は、旗艦を空母「蒼龍」から「飛龍」にした。とくに意味はなかったが、そうした。
山口少将は「飛龍」の母港、佐世保に行った。会うなり「飛龍」の加来艦長は「司令官、どうも困ったもんです」と眉をひそめて山口少将に言った。
山口少将が「何かね」と言うと、加来艦長は「実は次はMだそうですねと、水兵まで言っておる。これでは敵に筒抜けですな」。
「何だって」。これでは山口少将も駄目だと思った。たかだか真珠湾で勝っただけで、上から下まで慢心している。由々しき事態だと山口少将は思った。
だがミッドウェーはもう決定している。山口少将は考えた。ミッドウェー海戦で、米国太平洋艦隊を海の藻屑にしてしまえば、アメリカも割に合わない戦争に疑問を感じよう。
日本の政治家も馬鹿ばかりではあるまい。休戦交渉が可能になろう。「そんな気の利いた政治家は、もはやいないよ」と山本大将は悲観的なことも言っていたが、ミッドウェーで勝てば、山本大将の発言力も強くなる。そこに期待することも可能だ。だからいかにして勝つか、山口少将も必死だった。
四月二十八日から二日間にわたって「大和」で、第一回のミッドウェー作戦の研究会が行われた。攻略期日も六月七日と決まった。
活発な議論があり、山口少将も立ち上がって、考え抜いた持論を述べた。それは次の様な論旨だった。
「ここは日米両国の決戦と見なければならない。従来の艦隊編成を抜本的に改め、空母を中心とする機動部隊を編成し、空母の周辺には戦艦、巡洋艦、駆逐艦を輪形に配置し、敵機の襲来に備え、少なくとも三機動部隊を出撃させるべきである」