指揮官の淵田美津雄中佐(海兵五二・海大三六・連合艦隊参謀・大佐・大阪水交会会長)は、信号拳銃を出して機外に向けて発砲した。「総飛行機にあて発信、全機突撃せよ」。淵田中佐は叫び、午前三時十九分、電信員が「トトト」とキイを叩いた。
水平爆撃隊、雷撃隊、急降下爆撃隊の各攻撃機は、下方の真珠湾のアメリカ海軍の戦艦めがけて突進した。
真珠湾からは魚雷命中の真っ白い水柱が数十メートルの高さに立ち上がり、あちこちで黒煙が上がった。「訓練どおりだ」。淵田中佐は微笑んだ。
攻撃開始後、午前三時二十二分、淵田中佐は南雲司令長官の座乗する空母「赤城」に向けて発信した。「トラ、トラ、トラ」(われ奇襲に成功せり)。
戦艦「アリゾナ」は高さ一〇〇〇メートルにも及ぶ火柱をあげて燃え、アメリカ太平洋艦隊は壊滅的な損害を受け、日本海軍は緒戦で見事な勝利をおさめた。
日本時間午前九時二十二分頃、南雲司令長官率いる機動部隊は攻撃隊の収容を終わった。
第二航空戦隊司令官・山口多聞少将は配下の空母「蒼龍」「飛龍」の第二次攻撃隊の収容が終わると、使用可能機による第二撃の準備を急がせた。
それが終わると、指示を出さない旗艦「赤城」に「第二撃準備完了」と信号を送った。だが、「赤城」からは何の反応もなかった。南雲司令長官は黙ったままだった。機動部隊は、逃げるように北に走った。
二ヶ月前、戦艦「長門」での図上演習の際、また、その後も、山口少将は、燃料タンク、修理施設への反復攻撃を意見具申していた。
空母「蒼龍」では準備を終えた攻撃隊が、爆音を響かせて待機していたが、空母「赤城」からは、何の返答もなかった。
山口少将の最後の期待もむなしく、南雲司令長官と草鹿参謀長は、「第二撃準備完了」の信号を握りつぶした。
山口少将の率いる第二航空戦隊が呉軍港に投錨したのは十二月二十九日午後だった。山口少将はすぐ柱島の連合艦隊旗艦「長門」に、山本五十六司令長官を訪ね、帰還の挨拶をした。
「ご苦労であった。よくやった」とハワイ作戦の勝利を称えたあと、山本司令長官は「もっとも、君には不満だったろうがね」と付け加えた。
山口少将は「しかし、ああいうものかも知れません」と答えた。すると山本司令長官は「うむ、あの日、複雑な思いで戦況を聞いておった」と言った。
そして「問題は、どこで切り上げるかだな、そこが難しい」とつぶやいた。山口少将が「しかし、いずれもう一度、真珠湾をやらねばならないと考えます」と言うと、山本司令長官は次の様に答えたと言う。
「うむ、そういうことだ。しかし、あまり勝っても困る。浮かれるのが一番困る」。そして続けた。「山口君、焦らずにやってくれたまえ。言いたいことがあれば、なんなりと言ってきてくれ」。
山本司令長官はそう言ってくれたが、山口少将は、上司の悪口をあれこれ長官に言うことはできぬ話だった。山本司令長官はあくまで冷静であり、山口少将としては、いささか物足りない思いであった。
このあと、山口少将は参謀長室で宇垣纏少将と会った。二人は海軍兵学校同期なので、お互い、忌憚のない話をぶつけることができる。山口少将は次の様に発言した。
「ハワイはラッキーにも勝てたが、第一航空艦隊は南雲さんじゃだめだ。俺はホノルルの放送をずうっと聴いていたんだ。奴らは大慌てで、とても反撃するどころではなかった」
「なぜ、南雲さんは第三次攻撃隊を発進させなかったのか。いまでも残念に思っている。ハワイを徹底的に叩かねば、勝てぬぞ」。
さらに、山口少将は、南雲長官を補佐する参謀長の草鹿少将や、主席参謀の大石保中佐(海兵四八・海大三〇・横須賀突撃隊司令・大佐)らを槍玉に挙げた。
戦争は少々の犠牲をいとわず、積極果敢に攻める、それが山口少将の哲学であり、のこのこ家路を急ぐなどは、もっとも嫌いなことだった。
宇垣少将は「あの時、山本さんはこう言ったよ」と言って、次の様に話した。
「作戦参謀が、南雲部隊が今一回、攻撃を再開したらいいんだがな、と言った。すると航空参謀の佐々木彰中佐(海兵五一・海大三四・第三航空艦隊主席参謀・大佐)が、敵空母の所在がつかめぬので、どうですかと言った。山本さんはしばらく考え込んでいたが、南雲はまっすぐに帰るよ、と言われた。本当はやりたかったのだ」。
水平爆撃隊、雷撃隊、急降下爆撃隊の各攻撃機は、下方の真珠湾のアメリカ海軍の戦艦めがけて突進した。
真珠湾からは魚雷命中の真っ白い水柱が数十メートルの高さに立ち上がり、あちこちで黒煙が上がった。「訓練どおりだ」。淵田中佐は微笑んだ。
攻撃開始後、午前三時二十二分、淵田中佐は南雲司令長官の座乗する空母「赤城」に向けて発信した。「トラ、トラ、トラ」(われ奇襲に成功せり)。
戦艦「アリゾナ」は高さ一〇〇〇メートルにも及ぶ火柱をあげて燃え、アメリカ太平洋艦隊は壊滅的な損害を受け、日本海軍は緒戦で見事な勝利をおさめた。
日本時間午前九時二十二分頃、南雲司令長官率いる機動部隊は攻撃隊の収容を終わった。
第二航空戦隊司令官・山口多聞少将は配下の空母「蒼龍」「飛龍」の第二次攻撃隊の収容が終わると、使用可能機による第二撃の準備を急がせた。
それが終わると、指示を出さない旗艦「赤城」に「第二撃準備完了」と信号を送った。だが、「赤城」からは何の反応もなかった。南雲司令長官は黙ったままだった。機動部隊は、逃げるように北に走った。
二ヶ月前、戦艦「長門」での図上演習の際、また、その後も、山口少将は、燃料タンク、修理施設への反復攻撃を意見具申していた。
空母「蒼龍」では準備を終えた攻撃隊が、爆音を響かせて待機していたが、空母「赤城」からは、何の返答もなかった。
山口少将の最後の期待もむなしく、南雲司令長官と草鹿参謀長は、「第二撃準備完了」の信号を握りつぶした。
山口少将の率いる第二航空戦隊が呉軍港に投錨したのは十二月二十九日午後だった。山口少将はすぐ柱島の連合艦隊旗艦「長門」に、山本五十六司令長官を訪ね、帰還の挨拶をした。
「ご苦労であった。よくやった」とハワイ作戦の勝利を称えたあと、山本司令長官は「もっとも、君には不満だったろうがね」と付け加えた。
山口少将は「しかし、ああいうものかも知れません」と答えた。すると山本司令長官は「うむ、あの日、複雑な思いで戦況を聞いておった」と言った。
そして「問題は、どこで切り上げるかだな、そこが難しい」とつぶやいた。山口少将が「しかし、いずれもう一度、真珠湾をやらねばならないと考えます」と言うと、山本司令長官は次の様に答えたと言う。
「うむ、そういうことだ。しかし、あまり勝っても困る。浮かれるのが一番困る」。そして続けた。「山口君、焦らずにやってくれたまえ。言いたいことがあれば、なんなりと言ってきてくれ」。
山本司令長官はそう言ってくれたが、山口少将は、上司の悪口をあれこれ長官に言うことはできぬ話だった。山本司令長官はあくまで冷静であり、山口少将としては、いささか物足りない思いであった。
このあと、山口少将は参謀長室で宇垣纏少将と会った。二人は海軍兵学校同期なので、お互い、忌憚のない話をぶつけることができる。山口少将は次の様に発言した。
「ハワイはラッキーにも勝てたが、第一航空艦隊は南雲さんじゃだめだ。俺はホノルルの放送をずうっと聴いていたんだ。奴らは大慌てで、とても反撃するどころではなかった」
「なぜ、南雲さんは第三次攻撃隊を発進させなかったのか。いまでも残念に思っている。ハワイを徹底的に叩かねば、勝てぬぞ」。
さらに、山口少将は、南雲長官を補佐する参謀長の草鹿少将や、主席参謀の大石保中佐(海兵四八・海大三〇・横須賀突撃隊司令・大佐)らを槍玉に挙げた。
戦争は少々の犠牲をいとわず、積極果敢に攻める、それが山口少将の哲学であり、のこのこ家路を急ぐなどは、もっとも嫌いなことだった。
宇垣少将は「あの時、山本さんはこう言ったよ」と言って、次の様に話した。
「作戦参謀が、南雲部隊が今一回、攻撃を再開したらいいんだがな、と言った。すると航空参謀の佐々木彰中佐(海兵五一・海大三四・第三航空艦隊主席参謀・大佐)が、敵空母の所在がつかめぬので、どうですかと言った。山本さんはしばらく考え込んでいたが、南雲はまっすぐに帰るよ、と言われた。本当はやりたかったのだ」。