石橋を叩いても渡らない人だと、山口少将は思っていた。ぱっぱっと行動する山口少将にとって、南雲中将は、最も歯車の合わない提督だった。
アメリカ海軍を叩く大奇襲作戦だというのに、空母を減らすとは何事か。しかも自分が乗る「飛龍」まで外されている。
図上演習が空母三隻案で実施されるや、山口少将の怒りは爆発した。山口少将は、長官室の扉を叩いた。
「長官、我々をハワイから外すとは、どういうことですか。一体、連れて行くのか、行かないのか」。山口少将は食って掛かった。
「まあ、座りたまえ」と南雲中将は山口少将を制した。だが、山口少将は「絶対に認められない。長官、貴殿は、ハワイ攻撃をどう理解しておるのか」と言った。
さらに山口少将は「この戦、下手をしたら負けるんだ。勝つには敵の機先を制し、ハワイを叩くしかないんだ。これまで猛訓練をした我々を置いてきぼりにして、何ができるんだ」と、事と次第によっては、胸倉をつかんで張り倒すつもりで詰め寄った(他の資料では、実際に胸倉をつかんだとも記してある)。
南雲中将は「この山口の態度は無礼だ。明るみに出れば軍法会議ものだ」と思ったが、忍の一字で耐えた。さらに、山口少将は、「この案を撤回しなければ自決するほかない」と迫った。
結局、南雲中将と草鹿少将は山口少将に負けて、洋上で燃料補給することにして、ハワイ作戦には「加賀」「瑞鶴」「翔鶴」「赤城」「飛龍」「蒼龍」の六隻を使う案に修正した。
昭和十六年十月九日から五日間にわたって、連合艦隊旗艦「長門」で、各司令長官から参謀まで一堂に会して真珠湾攻撃の図上演習が行われた。
付近の山谷の起伏も半ミリの誤差もなく精確につくられた畳三畳分を占める真珠湾の模型は、全く現物がそこに横たわっているという感じだった。
そこで、X日に押し寄せる三百数十機の第一次、第二次攻撃の侵攻の模擬演習が飽くなく繰り返された。米軍の主な対空砲火陣地も調査済みだった。
演習の結果、在泊の米海軍の主力艦はすべて致命的な損傷を受け、同時に三飛行場は破壊されて、攻撃能力はゼロ、という勝算が回を重ねるにつれ高まった。
だが、この間、山口多聞少将は始終不機嫌な面持ちだった。他の者が喜色を表わすと、それだけ反対に顔をしかめた。
図上演習が終わったあと、山口少将(海兵四〇次席・海大二四恩賜)は隷下の通信参謀・石黒進少佐(海兵五七・海大三九・戦後、自衛艦隊司令官・海将)とともに、第一航空艦隊参謀長・草鹿龍之介少将(海兵四一・海大二四)、航空甲参謀・源田実中佐(海兵五二・海大三五恩賜・戦後、航空幕僚長・空将)、連合艦隊主席参謀・黒島亀人大佐(海兵四四・海大二六・少将)の三人に話があるからと言って、残るように言った。
ちょうどそこへ、連合艦隊参謀長の宇垣纏少将(海兵四〇・海大二二)が現れた。山口少将は「おお、宇垣、ちょうどいい、GF参謀長の貴様にもきいてもらおう。全くけしからん」と言った。
宇垣少将は「何を怒っているんだ。仰々しいじゃないか」と答えた。
すると、山口少将は「南雲さんを、階級章を剥ぎ取って引っ張ってきたいくらいだ。いま、長官公室にいるんだろう。何なら、山本長官も。おれはこの五日間、歯ぎしりし続けた。でも、いちおう他の人の意見を聞いてからと我慢した。図演は終わった。全くもって不満だな。攻撃方針をやり直すべきだ」と怒りの表情だった。
そこにいた四人は、何のことか分からなかったので、きょとんとしていた。
山口少将は続けた。「機先を制すために飛行場を叩くのは文句なしだ。だが、最も重要な目標であるべきここ・・・・・・ここ、それに、ここ、はどうなんだ。五日間、だれもふれなかったぞ」
山口少将が指示杖で次々につついたのは、港内五、六ヶ所のドックや大修理工場だった。
山口少将はさらに言った。「それに大目玉商品である・・・・・・あれえ~っ、この模型にはないっ。たしか、ここの所に伝と備え付けられているはずだ。ただこんな凹みになっているのはどうしたことだ、欠陥模型だ、これは」
山口少将の頓狂な声が室内の空気をつんざいた。それは、この要塞が誇る世界第二の大重油タンクの存在だった。
山口少将は続けて言った。「大型艦の修理が可能なこれらの施設と、この重油タンクを最優先に叩くべきだ。なぜ、それが攻撃対象から洩れている。草鹿君、源田君、説明してもらおう」
二人とも目玉を動かすばかりで、とっさには何も言えなかった。
アメリカ海軍を叩く大奇襲作戦だというのに、空母を減らすとは何事か。しかも自分が乗る「飛龍」まで外されている。
図上演習が空母三隻案で実施されるや、山口少将の怒りは爆発した。山口少将は、長官室の扉を叩いた。
「長官、我々をハワイから外すとは、どういうことですか。一体、連れて行くのか、行かないのか」。山口少将は食って掛かった。
「まあ、座りたまえ」と南雲中将は山口少将を制した。だが、山口少将は「絶対に認められない。長官、貴殿は、ハワイ攻撃をどう理解しておるのか」と言った。
さらに山口少将は「この戦、下手をしたら負けるんだ。勝つには敵の機先を制し、ハワイを叩くしかないんだ。これまで猛訓練をした我々を置いてきぼりにして、何ができるんだ」と、事と次第によっては、胸倉をつかんで張り倒すつもりで詰め寄った(他の資料では、実際に胸倉をつかんだとも記してある)。
南雲中将は「この山口の態度は無礼だ。明るみに出れば軍法会議ものだ」と思ったが、忍の一字で耐えた。さらに、山口少将は、「この案を撤回しなければ自決するほかない」と迫った。
結局、南雲中将と草鹿少将は山口少将に負けて、洋上で燃料補給することにして、ハワイ作戦には「加賀」「瑞鶴」「翔鶴」「赤城」「飛龍」「蒼龍」の六隻を使う案に修正した。
昭和十六年十月九日から五日間にわたって、連合艦隊旗艦「長門」で、各司令長官から参謀まで一堂に会して真珠湾攻撃の図上演習が行われた。
付近の山谷の起伏も半ミリの誤差もなく精確につくられた畳三畳分を占める真珠湾の模型は、全く現物がそこに横たわっているという感じだった。
そこで、X日に押し寄せる三百数十機の第一次、第二次攻撃の侵攻の模擬演習が飽くなく繰り返された。米軍の主な対空砲火陣地も調査済みだった。
演習の結果、在泊の米海軍の主力艦はすべて致命的な損傷を受け、同時に三飛行場は破壊されて、攻撃能力はゼロ、という勝算が回を重ねるにつれ高まった。
だが、この間、山口多聞少将は始終不機嫌な面持ちだった。他の者が喜色を表わすと、それだけ反対に顔をしかめた。
図上演習が終わったあと、山口少将(海兵四〇次席・海大二四恩賜)は隷下の通信参謀・石黒進少佐(海兵五七・海大三九・戦後、自衛艦隊司令官・海将)とともに、第一航空艦隊参謀長・草鹿龍之介少将(海兵四一・海大二四)、航空甲参謀・源田実中佐(海兵五二・海大三五恩賜・戦後、航空幕僚長・空将)、連合艦隊主席参謀・黒島亀人大佐(海兵四四・海大二六・少将)の三人に話があるからと言って、残るように言った。
ちょうどそこへ、連合艦隊参謀長の宇垣纏少将(海兵四〇・海大二二)が現れた。山口少将は「おお、宇垣、ちょうどいい、GF参謀長の貴様にもきいてもらおう。全くけしからん」と言った。
宇垣少将は「何を怒っているんだ。仰々しいじゃないか」と答えた。
すると、山口少将は「南雲さんを、階級章を剥ぎ取って引っ張ってきたいくらいだ。いま、長官公室にいるんだろう。何なら、山本長官も。おれはこの五日間、歯ぎしりし続けた。でも、いちおう他の人の意見を聞いてからと我慢した。図演は終わった。全くもって不満だな。攻撃方針をやり直すべきだ」と怒りの表情だった。
そこにいた四人は、何のことか分からなかったので、きょとんとしていた。
山口少将は続けた。「機先を制すために飛行場を叩くのは文句なしだ。だが、最も重要な目標であるべきここ・・・・・・ここ、それに、ここ、はどうなんだ。五日間、だれもふれなかったぞ」
山口少将が指示杖で次々につついたのは、港内五、六ヶ所のドックや大修理工場だった。
山口少将はさらに言った。「それに大目玉商品である・・・・・・あれえ~っ、この模型にはないっ。たしか、ここの所に伝と備え付けられているはずだ。ただこんな凹みになっているのはどうしたことだ、欠陥模型だ、これは」
山口少将の頓狂な声が室内の空気をつんざいた。それは、この要塞が誇る世界第二の大重油タンクの存在だった。
山口少将は続けて言った。「大型艦の修理が可能なこれらの施設と、この重油タンクを最優先に叩くべきだ。なぜ、それが攻撃対象から洩れている。草鹿君、源田君、説明してもらおう」
二人とも目玉を動かすばかりで、とっさには何も言えなかった。