陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

247.山口多聞海軍中将(7) 艦の行動と人命とどっちが大事か

2010年12月17日 | 山口多聞海軍中将
 この戦艦「伊勢」の艦長に就任した山口大佐は乗組員全員を甲板に集め、訓示し、二つの希望を述べた。一つ目は「和」だった。

 「艦長はじめ三等水兵にいたるまで、一丸となって上下相和し、敵にあたるならば、戦闘力を大きく増すことができる。真の精兵は上官の顔を見ただけで以心伝心に動くものだ。そうなるように一致協力して頑張ってもらいたい」

 二つ目は「闘争心」だった。

 「戦闘に際し最も大事なことは旺盛な闘争心である。最後まで頑張る者がはじめて栄冠を得ることができるのだ。そのためには健全な精神と健全な身体を持たなければならない。この一年間朗らかに明るく愉快に勤務せんことを望む」

 山口艦長は、時々、雷を落とした。若い水兵をどう教育訓練するかも艦長の責務だった。だが、士官に対しても、山口艦長は厳しかった。

 十二月六日、遠洋航海と霞ヶ浦航空隊での航空実習を終えた兵科候補生たちが、ドックを出て工廠前に碇泊していた「伊勢」に乗組員として着任した。兵学校を三月二十三日に卒業した第六十四期百六十名中の十一名で、二十歳か二十一歳の若者である。

 候補生たちが乗艦して二、三日後に「伊勢」は艦隊作業地の四国西岸宿毛湾に移動した。その数日後、宿毛湾に仮泊中の「伊勢」の士官室で、候補生たちは、副長、航海長、砲術長、運用長、通信長、機関長、主計長などが居並ぶなか、山口多聞艦長の口頭試問を受けた。

 候補生の一人、日辻常雄候補生は山口艦長から次の様な試問を受けた。

 「本艦は本日一三〇〇(午後一時)に出港する。君は最終定期便のチャージを命ぜられた。一一四五桟橋発である。時間的にはぎりぎりいっぱいで、途中道草をくうことはできない。ところが、往航(艦から桟橋に行く)で他艦の九五式水偵(艦載水上偵察機)が一機、付近海面に着水の際転覆し、搭乗員二名が投げ出されて泳いでいるのを発見した。場所は島陰で、艦からも陸上基地からも見えない。救助に行けば艦の出港時刻までに上陸員を乗せて艦に帰ることはできない。チャージとしてはどう処置するか」

 定期便とは、沖に碇泊する艦と上陸桟橋間を、上陸員を乗せて定刻に往復する艦載ランチ、水雷艇、内火艇、カッターなどのことで、その日の最後、あるいは艦の出港前最後のものが最終定期便である。チャージは当番の艇指揮で、主に中・少尉・候補生が交代で命ぜられた。

 山口艦長の問いに、考え込む日辻候補生に、居並ぶ中佐の各長が野次を飛ばした。「出港に遅れたら後発航期罪だぞ」「後発航期罪になったら免官になるかもしれんぞ」「艦の行動と人命とどっちが大事か」。

 日辻候補生は、すぐに助けにいかなくても溺死するほど今日は寒くない、あとからでも救助できる、と考えたので、次の様に答えた・

 「そのまま桟橋に直航します。桟橋の詰所から各部に急報して救助手段を講ずるように手配して、定期便の時刻を守ります」

 だが、山口艦長はいいと言わなかった。

 「君は艦の出港時間を狂わせてはいかんというのだな。しかし、戦時で一刻を争うというなら別だが、そうでなければ、人命救助にいくべきではないか」

 これに対して日辻候補生は「いいえ、人命救助はあとでも大丈夫です。定期便は予定通り運航します」と答えた。

 それから、山口艦長と日辻候補生は二、三やりあったが、意見が一致しない。最後に山口艦長は次のように言った。

 「君は頑固だなあ。君のようなチャージに出会った搭乗員は不運だったね。しかしなあ、そういう時は、艦の出港が遅れてもいいから救助に行ってやれよ。責任は艦長がとるよ」

 これを聞いた日辻候補生は、頭がガーンと鳴るような気がして、「人命救助は艦長が責任をとってもやるべきものだ、とまでは考えが及ばなかった」と思った。

 数日後、連合艦隊は土佐沖で演習を行った。第一艦隊と、重巡部隊の第二艦隊の対抗演習である。まもなく砲戦開始の両軍は全速で接敵運動に入っていた。

 そのとき、第一艦隊の「日向」の弾着観測機九五式水偵と、第二艦隊の重巡「青葉」の弾着観測機九五式水偵が、「伊勢」の右正横二千メートル付近で低空の空戦運動を始めた。