2009年7月12日 主日礼拝(使徒の働き8:1~40)岡田邦夫
「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。」1ペテロ 3:15
夏になると、ヨットが風を受けて、水面を走る光景を思い浮かべます。順風満帆(まんぱん)で快調の時もあれば、逆風の難儀な時もあります。でも操作の仕方で帆船は進めます。それを人生のたとえることがよくあります。
◇世間の風に吹かれて散らされて
キリスト昇天後、聖霊が使徒たちに下って、教会が始まり、キリスト教は何かに覚醒したかのように、目覚ましく広がっていきました。それに対して、ユダヤの当局は大変な危機感をおぼえ、使徒たちを捕らえ、尋問し、イエスの名を語るなと禁止します。しかし、ひるむことなく、宣教がなされていきました。
そして、聖霊と知恵に満ちているということで“役員”(今で言うなら)、の一人に選ばれたステパノの働きは目覚ましいものがありました。そのステパノが今度はユダヤの当局に捕らえられますが、その議場で使徒たちと同様、臆することなく、聖書の歴史から始まり、キリストの福音を告げ、罪を指摘し、悔い改めを迫りました。これを聞いた人々は反感を示し、激怒し、よってたかって石を投げつけ、ステパノを殺してしまいました。
この怒りは収まらず、より膨れあがり、「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。」のです(8:1)。「サウロ(後、パウロに改名)は教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。」というのです(8:3)。初めの説教で三千人もの人が受洗し、その出来た教会の群は主を礼拝し、共同生活をしていました。それは実にうるわしい交わりであり、日々加わる人も増え、「順風満帆」でした。しかし、激しいキリスト教の迫害という「逆風」に合い、おおかみに襲われた羊の群れのように、エルサレムの外に散らされていったのです。
孫と公園を散歩していた時、孫がたんぽぽの綿帽子を取っては‘ふー’と吹き、綿毛が飛び、風に乗ってどこかに行きました。それを何度もして、遊んでいました。たんぽぽの種子の行き先は風まかせです。キリスト者たちは迫害の風に勢いよく吹き飛ばされれ、散らされていきましたが、風まかせ、行く先々で、福音の種を蒔いていきました。その一人、ピリポもその風に乗って、サマリヤの町に行きました。ユダヤ人はサマリヤ人とはひどくいがみ合う仲ですから、通常なら行かないのですが、この風が吹いたため、彼はサマリヤにとんだのです。彼がキリストを宣(の)べ伝え、神の国のしるしを行うのを信じた人々は男も女も洗礼を受け、その町に大きな喜びが起こりました(8:7,8,12)。
サマリヤに新風が巻き起こったのです。そこで、それを聞いた使徒ペテロとヨハネが遣わされて来ました。二人が聖霊を受けるよう祈ると、受洗した人たちが聖霊を受けたのです。ペンテコステの日にエルサレムで聖霊が下ったように、このサマリヤにも下ったのです。
もと、力ある魔術師でしたが、キリスト者になったシモンという人が、その聖霊を授けられる力、権威を金で買おうとします。彼はペテロにその不敬虔の罪を厳しく指摘されます。聖霊が下るというのはそのようなものではないのです。天から聖霊という風、すなわち、神の息吹がユダヤ人の軽蔑するこのサマリヤにも、エルサレムに臨んだと同じように臨んだ、歴史的に重要な出来事だったのです。
ピリポとキリスト者たちは迫害の嵐にもてあそばれたのではありません。聖霊の風に吹かれて、散らされ、運ばれたのです。主が言われました。「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです」(ヨハネ福音書3:8)。聖霊は私たちを越えたところで、み思いのままに吹いておられるのです。そして、それは確かな導きの風であり、永遠の命にいたらせる風なのです。
◇聖霊の風に吹かれて散らされて
私たちは何か事が起こった後で、これは聖霊の導きだった、神のみ旨だったと気付かされることもありますが、先だって、聖霊がこのようにしなさいとみ旨を告げることがあります。
使徒たちがエルサレムへの帰っていってから、主の使いがピリポに向かってこう告げます。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい」(8:26)。彼は立って出かけました。すると、そこに、エチオピヤの女王カンダケの財産管理している宦官(高官)が馬車に乗っていました。彼はエルサレムで礼拝した帰りでした。すると、御霊がピリポにまた告げます。「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」(8:29)。走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえました。「あなたは、読んでいることが、わかりますか。」と聞くと「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」といって彼を馬車に乗せました。
聖書の個所は、こうでした。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである」(8:32)。ちょうど、この聖句はイエスの受難による救いの預言です。
ピリポは彼にこの聖句から解き明かし、イエスの福音を宣べ伝えました。道を進んで行くうちに、水のある所に来て、宦官がバプテスマを受けたいと信仰を表明しました。洗礼式が終わるか終わらないうちに、「主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った」のです(8:39)。それからピリポはアゾトに現われ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行ったというのですから、まさに、彼は聖霊の風に吹かれて散らされての人生でした。それは最も有意義な旅人の人生だったと思います。
私が愛媛県の壬生川教会におりました30年ほど前のことです。車で40分ほどの新居浜教会にCS(教会学校)教師研修会を頼まれました。週一回で四週、視覚教材を使ったお話しを紹介し、毎週、CSの牧会的な宿題を出しました。主の恵みによって、CSの教師の働きに成果が出て来ました。その教師に和田さんと上田さんがいました。
それから、間もなくして、私たちは「あなたがたの新田を耕せ。」のみ言葉をもって(ホセア10:12)、開拓の使命を聖霊に示され、転任願いを出しました。1981年、豊中泉教会に赴任しましたが、そこは開拓教会ではありません。み言葉とかみ合いません。そして、宝塚で行われている家庭集会に出席したところ、不思議にも転勤で宝塚の社宅に来ていた和田さん夫妻と津根さん夫妻(奥さんが上田さんの娘)と出会えたのです。彼らから「宝塚にぜひホーリネスの教会がほしいです。長い間、祈ってきました。」と訴えられました。その時、私は「新田を耕せ」が示していたのは、この地なのだと聖霊のうなずきが与えられました。そして、宝塚泉教会の開拓が始まり、群も出来、会堂も建ち、三田開拓のビジョンが実現し、「この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。」によって(エゼキエル47:9)、三田泉教会が今日あるを得ています。
私たちキリスト者、また、教会が世間の風に吹かれて散らされたとしても、初代教会のように、福音の種がそこに蒔かれ、永遠の命の喜びがそこに起こってくるのです。福音の証しを用意していれば、聖霊の風に吹かれて散らされ、ピリポがエチオピアの宦官にしたように、福音を必要としている人たちの所に、届けられて、救いの業が起こっていくのです。
「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。」1ペテロ 3:15
夏になると、ヨットが風を受けて、水面を走る光景を思い浮かべます。順風満帆(まんぱん)で快調の時もあれば、逆風の難儀な時もあります。でも操作の仕方で帆船は進めます。それを人生のたとえることがよくあります。
◇世間の風に吹かれて散らされて
キリスト昇天後、聖霊が使徒たちに下って、教会が始まり、キリスト教は何かに覚醒したかのように、目覚ましく広がっていきました。それに対して、ユダヤの当局は大変な危機感をおぼえ、使徒たちを捕らえ、尋問し、イエスの名を語るなと禁止します。しかし、ひるむことなく、宣教がなされていきました。
そして、聖霊と知恵に満ちているということで“役員”(今で言うなら)、の一人に選ばれたステパノの働きは目覚ましいものがありました。そのステパノが今度はユダヤの当局に捕らえられますが、その議場で使徒たちと同様、臆することなく、聖書の歴史から始まり、キリストの福音を告げ、罪を指摘し、悔い改めを迫りました。これを聞いた人々は反感を示し、激怒し、よってたかって石を投げつけ、ステパノを殺してしまいました。
この怒りは収まらず、より膨れあがり、「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。」のです(8:1)。「サウロ(後、パウロに改名)は教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。」というのです(8:3)。初めの説教で三千人もの人が受洗し、その出来た教会の群は主を礼拝し、共同生活をしていました。それは実にうるわしい交わりであり、日々加わる人も増え、「順風満帆」でした。しかし、激しいキリスト教の迫害という「逆風」に合い、おおかみに襲われた羊の群れのように、エルサレムの外に散らされていったのです。
孫と公園を散歩していた時、孫がたんぽぽの綿帽子を取っては‘ふー’と吹き、綿毛が飛び、風に乗ってどこかに行きました。それを何度もして、遊んでいました。たんぽぽの種子の行き先は風まかせです。キリスト者たちは迫害の風に勢いよく吹き飛ばされれ、散らされていきましたが、風まかせ、行く先々で、福音の種を蒔いていきました。その一人、ピリポもその風に乗って、サマリヤの町に行きました。ユダヤ人はサマリヤ人とはひどくいがみ合う仲ですから、通常なら行かないのですが、この風が吹いたため、彼はサマリヤにとんだのです。彼がキリストを宣(の)べ伝え、神の国のしるしを行うのを信じた人々は男も女も洗礼を受け、その町に大きな喜びが起こりました(8:7,8,12)。
サマリヤに新風が巻き起こったのです。そこで、それを聞いた使徒ペテロとヨハネが遣わされて来ました。二人が聖霊を受けるよう祈ると、受洗した人たちが聖霊を受けたのです。ペンテコステの日にエルサレムで聖霊が下ったように、このサマリヤにも下ったのです。
もと、力ある魔術師でしたが、キリスト者になったシモンという人が、その聖霊を授けられる力、権威を金で買おうとします。彼はペテロにその不敬虔の罪を厳しく指摘されます。聖霊が下るというのはそのようなものではないのです。天から聖霊という風、すなわち、神の息吹がユダヤ人の軽蔑するこのサマリヤにも、エルサレムに臨んだと同じように臨んだ、歴史的に重要な出来事だったのです。
ピリポとキリスト者たちは迫害の嵐にもてあそばれたのではありません。聖霊の風に吹かれて、散らされ、運ばれたのです。主が言われました。「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです」(ヨハネ福音書3:8)。聖霊は私たちを越えたところで、み思いのままに吹いておられるのです。そして、それは確かな導きの風であり、永遠の命にいたらせる風なのです。
◇聖霊の風に吹かれて散らされて
私たちは何か事が起こった後で、これは聖霊の導きだった、神のみ旨だったと気付かされることもありますが、先だって、聖霊がこのようにしなさいとみ旨を告げることがあります。
使徒たちがエルサレムへの帰っていってから、主の使いがピリポに向かってこう告げます。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい」(8:26)。彼は立って出かけました。すると、そこに、エチオピヤの女王カンダケの財産管理している宦官(高官)が馬車に乗っていました。彼はエルサレムで礼拝した帰りでした。すると、御霊がピリポにまた告げます。「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」(8:29)。走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえました。「あなたは、読んでいることが、わかりますか。」と聞くと「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」といって彼を馬車に乗せました。
聖書の個所は、こうでした。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである」(8:32)。ちょうど、この聖句はイエスの受難による救いの預言です。
ピリポは彼にこの聖句から解き明かし、イエスの福音を宣べ伝えました。道を進んで行くうちに、水のある所に来て、宦官がバプテスマを受けたいと信仰を表明しました。洗礼式が終わるか終わらないうちに、「主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った」のです(8:39)。それからピリポはアゾトに現われ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行ったというのですから、まさに、彼は聖霊の風に吹かれて散らされての人生でした。それは最も有意義な旅人の人生だったと思います。
私が愛媛県の壬生川教会におりました30年ほど前のことです。車で40分ほどの新居浜教会にCS(教会学校)教師研修会を頼まれました。週一回で四週、視覚教材を使ったお話しを紹介し、毎週、CSの牧会的な宿題を出しました。主の恵みによって、CSの教師の働きに成果が出て来ました。その教師に和田さんと上田さんがいました。
それから、間もなくして、私たちは「あなたがたの新田を耕せ。」のみ言葉をもって(ホセア10:12)、開拓の使命を聖霊に示され、転任願いを出しました。1981年、豊中泉教会に赴任しましたが、そこは開拓教会ではありません。み言葉とかみ合いません。そして、宝塚で行われている家庭集会に出席したところ、不思議にも転勤で宝塚の社宅に来ていた和田さん夫妻と津根さん夫妻(奥さんが上田さんの娘)と出会えたのです。彼らから「宝塚にぜひホーリネスの教会がほしいです。長い間、祈ってきました。」と訴えられました。その時、私は「新田を耕せ」が示していたのは、この地なのだと聖霊のうなずきが与えられました。そして、宝塚泉教会の開拓が始まり、群も出来、会堂も建ち、三田開拓のビジョンが実現し、「この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。」によって(エゼキエル47:9)、三田泉教会が今日あるを得ています。
私たちキリスト者、また、教会が世間の風に吹かれて散らされたとしても、初代教会のように、福音の種がそこに蒔かれ、永遠の命の喜びがそこに起こってくるのです。福音の証しを用意していれば、聖霊の風に吹かれて散らされ、ピリポがエチオピアの宦官にしたように、福音を必要としている人たちの所に、届けられて、救いの業が起こっていくのです。