オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

神はすべてを益に

2017-12-31 00:00:00 | 礼拝説教
2017年12月31日(日)年末感謝礼拝(ローマ8:26~30)岡田邦夫

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)

 ローマ人への手紙は金の指輪のようなものだ。そして、8章は宝石のダイヤモンドのように輝いているとある人が言いました。しかも、この章の終わりの方は最高潮、クライマックスという印象を受けます。年末感謝で導かれた「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる」というのも計り知れない祝福の言葉です。そのことを「私たちは知っている」というのも恵みです。

◇経験知
 神は最善以下をなさらないという言い方に私は違和感を覚えます。以下というのはそれ自身を含むので、むしろ、神は最善しかなさらないと言った方がいいと思うのです。「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」は当然なのですが、私たちがそれを「知っている」というのが重ねて素晴らしいことです。
 今年を振り返って、どんな神がすべてのことを働かせて益としてくださったことがありましたか。私は思い出すのが、9月の四国聖会の御用に行く時のことでした。台風が日本を横断するコースになってしまって、飛行機は飛ばない、電車も不通で行けそうにない。当日の夜中に車で行けば、行けるかのせいがある。チャレンジをした。朝4時半に出発。通行止めを迂回しながら、行ったのだが、集会には15分遅れてしまった。ところが主催者側は集会を15分遅らせて祈って待っていてくれたのである。神のジャストでした。
個人的なことですが、自動車の免許の更新で認知症の検査と高齢者講習を受けなければならない年になりました。先ほどのことなどあって、教習所の予約が遅れてしまって、認知症の方は終わったのですが、どの教習所も混んでいて、講習の予約が期限までにはとれそうにないということになった。免許更新できないかのではとパニック。専用の警察の窓口があったので、電話したが、話し中でかからない。何回もかけて、やっとつながった。淡路島の洲本なら空いているとのこと。クリスマス前の忙しい20日に行って受講。間に合った。
 そして、クリスマス準備に明け暮れる。そんな中、教会員の一人から母親が危篤かもしれないというメール。持ち直したよう知らせがきた。とにかく、24日のクリスマス礼拝と祝会を迎えた。あれもこれも最善でイブ礼拝まで済んだ。翌25日、彼からメールが来た。昨日、前夜式で話しましたのを載せます。

 “Yさんのご生涯の最後の一瞬に牧師として立ち会わせていただいたことをお話しいたします。12月20日に容体が悪化し危なかったのですが、点滴をして持ち直し、また少しは食べられるようになったものの予断をゆるさない状態との知らせを受けました。そこで、25日、点滴も終わった午後4時に、牧師夫婦がお伺いし、神から強く押し出されるような思いで、「Yさん、洗礼は天国に行く切符です。イエス・キリストを信じて洗礼を受けますか」と問いますと、ハッキリ「はい」と答えられました。牧師が「父と子と聖霊との名によって汝にバプテスマを施す」と宣言。「アーメンですか」と問うと「アーメン」と確かな答えがありました。
26日、息子さんが昨日のことを覚えているか聞いたところ、覚えているとの返事、ご自分の意志で受洗されたことを確信。詩篇23篇を読んで聞かせました。「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。…たとえ死の陰の谷を歩むことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから…。」28日、危篤状態で、夜8時に牧師夫婦が訪問すると、呼吸がかなり浅くなっているものの大変安らかな様子でした。洗礼証書を読み上げ、息子さんと牧師夫婦が話しているうちに、静かに呼吸が止んでいました。主が魂を平安の内に御許にお召してくださったと私たちは確信しました。午後8時35分のことでした。”

 この受洗と召天は御霊の導き、神の奇跡としか言いようがありません。神の寸分類のない計算された軌跡でした。三田泉教会としての受洗式、葬儀は天国への壮行会といってもよいのではないかと思うのです。

◇聖霊知
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」は経験して知っているというだけでなく、すべてのことなのです。私たちの感じるラッキーを遥かに超えた「益」なのです。国益を遥かに超えた「御国益」なのです。続く聖句がそれを述べています。
「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました」(8:29-30)。その神の働きとは父なる神の創造の働き、御子の贖いの働き、聖霊の救済の働き、マクロの働き、ミクロの働き、ジャストの働き、調和の働き、全能の働き、枚挙にいとまはないのです。あなた一人のための最善であるとともに全聖徒の最善でもあるのです。
 「神の行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない」のですけれど(伝道3:11)、ひとり子を犠牲にされるほどのことをしてくださったことを思う時、これからのこともすべてのことを働かせて益としてくださるのだと信頼できるのです。聖霊がそう促してくれる、確信を与えてくれるのです。2017年365日、神がすべてのことを働かせて益としてくださったと感謝しましょう。また、新しい2018年も、その後も神がすべてのことを働かせて益としてくださることを信じ、知っていますと告白しましょう。

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