日本における学校教育の欠点の一つは、宗教の存在価値とその恐ろしさを教えないことだと思う。
予め断っておくと私は宗教を否定しない。両親の離婚と引っ越しと無理解な教師に出くわし精神的に不安定になっていた私を救ってくれたのは某宗教団体だ。ここで神の前での謙虚になることを知り、神に見守られていることの幸せを知ったが故に、私は相当に救われた。
世の中には人の力ではどうしようもない理不尽さがあるが、神への帰依により揺るがぬ心を持てることは幸せだと痛感している。道理や理屈、論理的説明、科学的解析では心は救われないが故に、神は必要とされる。
だが神の教えを正しいと規定すると、それに対する間違った教えも存在することになる。神の正しさを立証するためには、悪魔の邪悪さが必要となる。神の正しさを世の中に実現するためには、それに反対する悪を滅ぼさねばならない。
この戦いには妥協は許されない。だからこそ異なる宗教勢力同士の戦いは苛烈であり残忍であり無慈悲なものとなる。その宗教戦争のなかでも最も苛烈であったのが、15世紀にイベリア半島で繰広げされたキリスト教によるイスラム帝国への戦いであった。通称レコンキスタとして知られている。
この凄惨な戦いを勝ち抜いたのがイスパニア(スペイン)であった。当時世界で最も獰猛な国家であったと思う。彼らはイスラム教徒を追い出しただけでは物足らず、当時未知の地として知られてた中米及び南米に宗教的な情熱をもって襲い掛かった。
その結果、カリブ海の島々に住む原住民を根絶され、イスパニアがアフリカから連れてきた黒人奴隷たちと住民が入れ替わる悲劇が生まれた。南米大陸も同様であったが、ジャングルの奥深くに住む原住民は大幅に人口を減らし、黒人奴隷とその混血児、そして新たに移住してきたヨーロッパの白人たちが支配階級として君臨する地と化した。
ただ当時のイスパニアの力では、イスラムの本拠地である中東には手が出せなかった。代わりにインドやシナに向かったが、そこにはイスパニアをはるかに超える文明の地であり、彼らに支配できたのは、インドネシアやフィリピンの島々だけであった。
だからこそ黄金の国として知られていたジパングは是非とも欲しかった。しかし、当時の日本は戦国時代。戦慣れした戦士たちが群雄割拠して相争う地であり、火縄銃でさえ自分たちで勝手にコピーしたうえに改良して大量生産する国を武力支配することは不可能であった。
そこでイエズス会の出番であった。日本の歴史教科書は端折っているが、イエズス会は宗教改革による従来のキリスト教会(いわゆるカトリック)側からの反撃の尖兵役を担っていた。新教(プロテスタント)との直接的な対決を避ける一方で、まだキリスト教未開の地へ赴き、そこでカトリックによる宗教覇権を狙っていた。
日本やシナのように武力による植民地化が難しいところへ、宗教面からの侵略を行い、後々の支配への前進基地の役割を目指していた。ある程度は成功したと思うが、猜疑心の強い秀吉の目は誤魔化せなかった。当初は信長同様にキリスト教に対して寛容な姿勢であった。
しかし九州で見かけたある光景が秀吉に大きな影響を与えた。それは日本人の男女を奴隷として輸出するイスパニア商人による商売の姿であった。アフリカの黒人奴隷が有名だが、当時の世界常識(ヨーロッパ中心)では、奴隷は貿易商品として普通の存在であった。だが、日本では異端の風習であるがゆえに秀吉は疑い出した。
秀吉の死後に事実上日本の統治者となった家康は、海外からの影響は日本に混乱を招くとして、遂には鎖国政策を導入した。ただ狡猾にもネーデルランド(オランダ)と朝鮮には交易を認めていたから、厳密な鎖国ではない。ここから世界情勢を多少でも知ることが出来たことが、後々の欧米の侵略に対してある程度対応が出来たと私は考えている。
表題の書は、ザビエルの後を受けて長く日本に滞在し、キリスト教の宣教師としての立場から当時の日本の情勢を「日本史」として書き残したフロイスを分かりやすく解説している。私のような単なる歴史好きの素人向けには良い手引きとなると思いました。