報道したくない自由だってある。
先月の「セクシー田中さん」の原作者が自殺して以降、漫画家や脚本家、原作ファンなどを巻き込んでの論争が起きている。だが肝心のTV局及び出版社は沈黙を守っている。さすがに小学館の漫画担当部署の編集者たちは声を上げたが、苦渋の想いがにじみ出ている。
私が不気味に思うのは、日テレ及び小学館以外のマスメディアが、この事件の報道を極力控えていることだ。あたかも世間が忘れ去るのを待っているかの如き姿勢で一致している。実際、TBSもテレ朝もテレ東さえも、もう取り上げない。NHKも同様である。ここにマスメディアの本音が透けてみえる。
理由はある程度、想像が出来る。私はマスメディア関係者ではないが、この業界にとって漫画を原作としたアニメーション化及び実写化は金の卵を産むニワトリである。大きな収益源ではあるが、所詮ニワトリである。アニメ化及び実写化の許可さえ取れれば、後は利益を如何に配分するか、だけだ。
原作の漫画のアニメ化及び実写化は、世間の想像とは異なり、漫画家本人にはほとんど利益は配分されない。最初に許諾料が支払われるのみで、売り上げに応じた収益配分はないに等しい。DVDの販売や関連グッズの販売収益などは、「製作委員会」などを通じて業界関係者の間で山分けされ、原作者はもちろん、作画したアニメーターにさえほとんど配分されない。
この金の卵を産むニワトリは断固独占したい。だからこそTV業界、出版社業界などは、この「セクシー田中さん」事件が消え去るのをじっと我慢して待っている。だからこそ「セクシー田中さん」のプロデューサーは隠れ続けるし、出版社は他社も含めて声明を出さない。
出来るならば原作者と脚本家の間の問題として矮小化したい。叶うならば、この問題はこのまま何の結果も出さずに消え去って欲しい。だからこそ報道しない、話題にしない、口に出さない。
これが日本における報道の自由の実態です。