目に強い光が入ると涙がポロポロと出てしまうようになったのは5年前。
医者に相談すると、20代の頃に大量服用したステロイド剤の副作用とのこと。白状すると目の手術は怖い。だから時間がかかっても薬物療法をお願いした。そしてようやく回復したのだが、忙しくって映画館に足を運ぶ余裕がないのが辛い。
それはともかく、映画館に行けなかった期間はCS放送のシネマ専門チャンネルにはずいぶんとお世話になった。ほとんどが以前、観たことがある映画ばかりであったが、本の再読と同じで認識を新たにした作品がけっこうあった。
その一つが表題の映画だ。公開されたときには、映画館のスクリーン狭しと暴れまわるエイリアンに歓喜したものだ。SF好きで怪獣大好きな私としては、エイリアンが暴れまわり、人間をばったばったとなぎ倒す場面に夢中になった。
ただ原作の「宇宙の戦士」R・A・ハイラインを読んでいたので、パワードスーツが出てこないことだけが不満であった。でもハリウッド映画である以上、俳優の顔を出さない映画はありえない事情は分かるので、仕方ないと納得していた。
ところが今回、TVで再度観ているうちに気が付いたのだけど、この映画、よくよく考えると原作の反対方向のベクトルで作られている。原作の「宇宙の戦士」は第二次世界大戦で兵士として戦った経験のあるハイラインの戦争賛美が根底にある。だからこそハイラインの原作はヴェトナム戦争の真っ最中にあって賛否両論の騒ぎを引き起こした。
一方、監督を務めたポール・バーホーベンは強烈な反軍国主義者であり、どうもこの作品に込められたメッセージは、過剰な戦闘場面を通じて戦争の愚かさをアピールしていると思われる。そう捉えて改めて見直すと、原作者のハイラインと思いとは異なる作品となっている。
ただ分かりずらいメッセージだとも思った。最後までしっかり見ないと、確かに分かりずらい。多分、これは作為的なものなのだろう。ちなみにバーホーベンは第二次世界大戦中はオランダにいて、連合軍の空爆で死んでいく無辜の市民の死体を見たことが反軍国主義の原点になっている。
現在、日本では原作者の原作を大事にしないTV業界及び出版社が問題になっている。私は原作と映像化作品は別物だと割り切っているが、それでも原作者あっての原作であり、原作者の思いを粗雑に扱う日本のメディアの基本姿勢を腹立たしく思っている。
果たしてハイラインとバーホーベンは、そのあたりどう考えていたのだろうか。契約社会であるアメリカで作られたのだから、それなりに契約も考えられているはず。少なくとも日本のように原作者には雀の涙的なはした金で済ませるようなことはしてないと思いますけどね。