ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

笑ゥせえるすまん 藤子不二雄A

2022-05-13 11:50:46 | 
人は弱い生き物だ、誰にだって心の隙間はある。

この満たされぬ隙間は、たとえ小さくとも、気になって仕方がないものだ。この隙間から幸せは逃げていくし、幸運も失われてしまう。残るのは不平不満だけだ。

私にも大きな心の隙間があった。難病により健康と未来と希望を失った時だ。この絶望はあまりに大き過ぎた。隙間というよりも巨大な陥穽であり、暗く深く冷たい心の亀裂であったと思う。

あまりに絶望が大き過ぎ、また深すぎたが故に、この心の隙間を埋めることなんて出来やしなかった。だから私は開き直り、不貞腐れて布団に潜り込んだ。傷ついた野性の獣がそうするように、ひたすら横たわり、身体と心を休めた。

何か月、そうしていたことだろう。いや、それは数年単位に及んだ。よくぞ、あれほど寝ていられたものだと思う。いくらでも眠れた。夢は沢山みたし、そのなかには悪夢といっていいものもあった。でも起きたら忘れてた。その痕跡は心の空洞として、私を無感傷にさせたから、悪夢をみたことだけは覚えている。ただ中身を思い出せないだけだ。

正直にいえば、悪夢だけではなく楽しい夢もみた。ただ、そんな夢を見た後の虚脱感も又、なんとも云えぬ味気ないものであった。夢の中味を思い出せないことは、ある意味幸せだったのかもしれない。

だがひたすらに身体を横たえ、静かに眠っていたことが、病気の治療につながったのかもしれないと、今にして思う。自覚はなかったが、私の体内では、衰えた内臓が徐々に回復していたらしい。

気が付いたら、寝ているのが苦痛になってきた。私は徐々に外の世界に足を踏み出した。これは嬉しくもあり、苦しくもあった。私は歩くのが速いはずであった。しかし病み衰えた身体は、老人のような歩みを私に強いた。

またこれは薬の副作用であるが、免疫力が衰えていたので、すぐに風邪を引いた。電車のなかで、10メートル以上離れていても誰かが咳をしていると、その日の夜には発熱した。驚くほどに感染症に弱い身体になっていた。

働き出してから3年ほどは、週末になると発熱して寝込んでいた。苦しかったが、不思議なことに心の隙間は徐々に埋まっていくのを実感していた。9年あまりの休眠生活から抜け出し、新たな人生を埋めていく喜びが苦痛に勝ったからだ。

そんな私なので、喪黒福造が嫌いだった。誰にだって心の隙間はある。それを埋める商品を売りつけるセールスマンの喪黒は、私からみると人の弱みに付け入る悪徳セールスマンに他ならなかった。

でも今だから云える。本当は嫌いだったのではないと。私の元にこそ来るべきだと妬んでいた。多分、自宅で寝込んでいた療養期ならば、私は意図も容易に喪黒のセールストークに引っかかった可能性がある。

もっとも当時、私のもとにやってきた心の隙間を埋めると称するセールスマンは、宗教関係ばかりであった。宗教には免疫があった私は、これには引っかからなかった。だから喪黒も突っぱねた可能性もある。

おそらくだけど、喪黒は自分の客が大嫌いだと思うな。

そんな傑作漫画を描いた藤子不二雄A氏がお亡くなりになった。あまり好きな作風ではなかったけれど貴重な人だと思います。

合掌。
コメント
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