ヌマンタの書斎

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オシム氏の死去

2022-05-06 09:48:57 | スポーツ
2004年の頃だと思うが、JEF市原の試合後の監督会見は面白かった。

なにせJEFのHPに会見録がアップされるほどに人気があった。原因は当時の監督であったオシム氏の絶妙にして洒脱な話しぶりであった。

曰く「ライオンに追われるウサギは肉離れを起こさない」と言って怪我の多い選手たちを戒めた。

曰く「走り過ぎても死なない」と言い切り、走る重要性を訴え続けた。

事サッカーに関してはいくらでも話せる人であった。スポーツ記者の中にはオシム学校と称して、その会見をサッカーを学ぶ場として捉える人もいたという。

反面、中途半端な知識のスポーツ記者には厳しく、半泣きで帰社したスポーツ記者もいたという。

ユーゴスラビア最後の代表監督であり、民族問題、政治問題に振り回された過去を持つだけに、サッカー以外の質問には寡黙であった。曰く「報道は戦争を引き起こそうとする」である。ユーゴ紛争の本質を良く分かっていたのだろう。

そのオシム氏が5月1日に亡くなった。

日本代表監督数あれど、これほど選手たちに影響を残した人は稀だと思う。オシム監督は、それまでベンチ要員であった遠藤をレギュラーに引き上げた。ユース時代から常に代表に呼ばれながらも、黄金世代のなかにあって埋もれた逸材であった遠藤は断言する「俺を成長させてくれたのはオシムや」と。

欧州の地で活躍していた中村俊輔は遠藤に国際電話でオシム・ジャパンの状況を訊くと、遠藤曰く「身体よりも頭が疲れるトレーニングだ」と話し、それを聞いた俊輔は是非とも練習に参加したいと切望したという。

他にも数多くの日本代表選手たちがオシムの指導力を褒めている。あの突然の心筋梗塞での監督退任がなければ、日本代表はどうなっていたのだろうと語るJリーガーは多い。

私自身、一番ワクワクして日本代表の試合を見ていたのがオシム時代である。あれほどピッチを広く使い、選手が躍動する試合をしていたのは、オシムの指導の賜物であったと思う。

参考までに私が推すオシム・ジャパンのベストマッチは、2007年のオーストリアでのスイス戦です。4―3での逆転勝利、身長体格パワーで上回るスイスを、走って、かわして戦術的有利な局面を繰り返し作っての逆転劇。

前半こそ圧倒されていましたが、ハーフタイムで建て直したオシム監督の采配は見事。多彩な戦術の引出しを持っていたオシムが名監督であることを選手が納得した試合でもありました。この試合、ユーチューブにもアップされているので、是非ご覧ください。

考えて走るサッカーの伝道者であったイビチャ・オシム氏の訃報に謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。

コメント (2)
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