私は活字中毒だと思っている。
だからこそ気を付けねばならないのが、文章による情報を過信することだ。
私は十代の頃、山登りに傾倒していたが、やはり活字中毒の性分から登る前にはガイドブックや地図を熟読していた。そして実際に登ってみて、事前の知識と現場の違いに頭を抱えた。
なかでも思い出すたびに赤面しそうになるのが南アルプスの早川尾根だ。夜叉神峠から登り出し、有名な鳳凰三山までは良い。で、その後は早川尾根を縦走して甲斐駒岳を目指す。
なに?早川尾根って。私はガイドブックに地名を見つけた時から馬鹿にしていた。なんだよ、尾根って。わざわざつける名称かと訝った。国土地理院の地形図をみても、なんてことのない尾根筋である。要は著名な甲斐駒岳へのアプローチに過ぎない。そう思い込んでいた。
ところがいざ登ってみると、早川尾根は私が縦走したなかでも屈指の展望を誇る素晴らしい山道であった。もちろん晴天に恵まれたことも大きいが、南アルプスの主要な山の展望が見事なのだ。
実を云えば、この山行は一年生をしごく目的の合宿であった。目的は「克己」すなわち己に克つである。実際、先行するAパーティは縦走路を先輩たちの怒声のもと、ボロボロになりながら登っていた。なかには胃液を吐きながら四つん這いで登っている奴もいる。
吐いている奴を登らせるなよと冷静に見ていた私だが、二日後に足を挫いて、その痛む足で南アルプス・スーパー林道を駆ける羽目に陥った。なんで走らないといけないのだと内心不満たらたらであったが、左右を先輩に挟まれて無理やり走らされて惨めな思いをした。
ちなみに、その時走るにつれてザックが揺れるのだが、その揺れで背中の皮膚が摩擦で血だらけとなっていた。それを知らずに、合宿終了後麓の温泉に入って、痛たたたとのたうちまわった。先輩たち、教えてくれず、笑っていやがったぞ。まったく、なんちゅうクラブだ。
と、散々な合宿であったが、早川尾根の展望の素晴らしさは、その嫌な記憶に勝るものであったことは確かだ。以来、読んだだけでは分からない、やはり現地に行って登って、この目で見なければ分からないと痛感したものである。
表題の書は、考古学者である著者が長年にわたり発掘に携わり、日本書記や魏志倭人伝などの書籍による古代史との違和感について書かれている。私自身、活字中毒であるから分るのだが、どうも活字で書かれた情報を過度に信用してしまう傾向がある。
文献が少ない古代日本史の場合、その文献を読み漁るだけでは足りないのではないか。古代の日本の歴史を理解しようとするならば、もっと現場に赴くべきなのだろう。
もっとも東京で暮らす私にとって、関西はいささか遠い。でも最近は地図帳を買って、関西の土地勘を高めようと思っています。
でも、古代日本史の理解に関して最大の障壁は、森先生が述べているように、やはり宮内庁でしょうね。天皇陵の発掘を妨げる宮内庁の存在が、古代日本史の探求における最大の壁となっている。
これは世論の後押しと、政治的な決断が必要だと思いますね。
だからこそ気を付けねばならないのが、文章による情報を過信することだ。
私は十代の頃、山登りに傾倒していたが、やはり活字中毒の性分から登る前にはガイドブックや地図を熟読していた。そして実際に登ってみて、事前の知識と現場の違いに頭を抱えた。
なかでも思い出すたびに赤面しそうになるのが南アルプスの早川尾根だ。夜叉神峠から登り出し、有名な鳳凰三山までは良い。で、その後は早川尾根を縦走して甲斐駒岳を目指す。
なに?早川尾根って。私はガイドブックに地名を見つけた時から馬鹿にしていた。なんだよ、尾根って。わざわざつける名称かと訝った。国土地理院の地形図をみても、なんてことのない尾根筋である。要は著名な甲斐駒岳へのアプローチに過ぎない。そう思い込んでいた。
ところがいざ登ってみると、早川尾根は私が縦走したなかでも屈指の展望を誇る素晴らしい山道であった。もちろん晴天に恵まれたことも大きいが、南アルプスの主要な山の展望が見事なのだ。
実を云えば、この山行は一年生をしごく目的の合宿であった。目的は「克己」すなわち己に克つである。実際、先行するAパーティは縦走路を先輩たちの怒声のもと、ボロボロになりながら登っていた。なかには胃液を吐きながら四つん這いで登っている奴もいる。
吐いている奴を登らせるなよと冷静に見ていた私だが、二日後に足を挫いて、その痛む足で南アルプス・スーパー林道を駆ける羽目に陥った。なんで走らないといけないのだと内心不満たらたらであったが、左右を先輩に挟まれて無理やり走らされて惨めな思いをした。
ちなみに、その時走るにつれてザックが揺れるのだが、その揺れで背中の皮膚が摩擦で血だらけとなっていた。それを知らずに、合宿終了後麓の温泉に入って、痛たたたとのたうちまわった。先輩たち、教えてくれず、笑っていやがったぞ。まったく、なんちゅうクラブだ。
と、散々な合宿であったが、早川尾根の展望の素晴らしさは、その嫌な記憶に勝るものであったことは確かだ。以来、読んだだけでは分からない、やはり現地に行って登って、この目で見なければ分からないと痛感したものである。
表題の書は、考古学者である著者が長年にわたり発掘に携わり、日本書記や魏志倭人伝などの書籍による古代史との違和感について書かれている。私自身、活字中毒であるから分るのだが、どうも活字で書かれた情報を過度に信用してしまう傾向がある。
文献が少ない古代日本史の場合、その文献を読み漁るだけでは足りないのではないか。古代の日本の歴史を理解しようとするならば、もっと現場に赴くべきなのだろう。
もっとも東京で暮らす私にとって、関西はいささか遠い。でも最近は地図帳を買って、関西の土地勘を高めようと思っています。
でも、古代日本史の理解に関して最大の障壁は、森先生が述べているように、やはり宮内庁でしょうね。天皇陵の発掘を妨げる宮内庁の存在が、古代日本史の探求における最大の壁となっている。
これは世論の後押しと、政治的な決断が必要だと思いますね。