ヌマンタの書斎

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プロレスってさ 山崎一夫

2017-11-27 12:29:00 | スポーツ

珍しく常識人、それがプロレスラー・山崎一夫であった。

新日本での若手時代、高田とのドロップキック合戦が有名で、私もわざわざ見に行ったことがある。まだ若手だから仕方ないが、それでも華があり、将来のスター候補を伺わせた高田と異なり、山崎は風貌も戦い方も平凡な印象が強かった。一言で云えば地味だった。

でも、それは山崎自身が望んだ生き方であったと今にして分かる。プロレスラーとしての実力は、決して低くはない。山崎といえば、連続の蹴り技が有名だが、関節技も、投げ技も一通り使いこなす隙のないプロレスをする。

ただ、どこか控えめであった。そして、この地味で控えめであることこそ、プロレスラー山崎一夫の最大の武器であった。

当時、プロレスをより格闘技志向へと変えようとしていた前田日明や佐山明、藤原らのUWF勢にあって、人間関係の接着剤の役割を果たしていたのは、この若い青年であったなんて、私らファンはまるで知らなかった。

UWFはその志向するプロレス観の違いや、人間関係の軋轢から結果的に失敗してしまう。新日本プロレスに戻った際も、相当な関係悪化があり、分裂してもおかしくなかった。

それを防いでいたのが、常識人でもあった山崎であったようだ。UWFを毛嫌いしていた長州でさえ、山崎は別格であった。当時、出戻りのUWF勢と、新日本正規軍との試合は揉めることが多かった。

そんな時ほど試合後の混乱状態のなかで、長州は「山崎はどうした。あいつはなんて言っている」と盛んに気にかけていた。観客席の後ろでも聞こえていたのだから、余程のことなのだと思う。

言っちゃなんだが、並外れた大男ぞろいで、しかも喧嘩も強く、自分の欲望をその剛腕で叶えてしまえる連中である。普通の社会人からは外れてしまっているのがプロレスラーだ。プロレスラーとしては優秀であったアントニオ猪木なんて、リングを降りて一人の社会人としてみれば、異常というか異端の人物である。

それは前田も、藤波も似たり寄ったりであったが、山崎だけは唯一、冷静に一人の人間としてその場を収めていたように思う。彼は特にマイクパフォーマンスはしないし、プロレス雑誌に賢しげなインタビューが掲載されることもなかった。

でも、彼の常識人としての評判は、いつのまにやらプロレス・ファンの間でも定着していた。特に有名なのが、新日本を離れて、高田をエースとしたUWFインターという団体での試合であった。

高田と戦うのは、かつてのNYの若き帝王と呼ばれた頑固もののボブ・バックランドであった。バックランドは、自分のプロレスにとことん拘る、もの凄い意地っ張りである。その意地ゆえに、NYの、つまりアメリカの中心たるWWFを追われてしまうのだが、まるで反省なんてしない。

だから、高田との試合もとことん自分のプロレス観に添った地味なものになった。この試合はメインイベントであるが、あまりに地味で、まったく盛り上がらない、しょっぱい試合であった。プロとして失格のダメ試合である。

試合後、怒った観客たちが残って大騒ぎとなった。暴動が起こる一歩手前であったぐらいの大混乱であった。そこに現われたのが山崎選手であった。リングに上がり、訥々と「これが今の私たちの精一杯のプロレスです。」と首を垂れた。

暴動一歩手前の観客たちは、この一言で静まった。山崎選手の謙虚で、落ち着いた謝罪に思わず納得してしまった。これほどまでに、プロレス・ファンの山崎に対する信頼は深かった。

私は山崎選手の他のいかなる試合よりも、この場面が印象に深い。平凡にして非凡、誰にでも出来ることではないと思います。

コメント (2)
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