のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『KAZARI 日本美の情熱』展

2008-09-07 | 展覧会
いやあ古九谷のナンジャコリャ感はいつ見てもいいもんでございます。

どこで見たかと申しますと
『KAZARI 日本美の情熱』展にてでございます。

テーマがやや漠然としておりますが、その分展示品の幅が広くて面白うございました。
また解説ヘッドホンを使わない派のワタクシには、展示品のほとんどにパネルでの解説がついているのもありがたかった。
モノが「飾り」でございますからただ見るだけでも充分楽しめますが、文化的・時代的背景を考えあわせるといっそう面白いもんでございます。

例えば最初に展示されている縄文土器。
かなり照明を落としたケースの中に、柔らかなスポットライトを浴びて鎮座しております。
教科書でもおなじみの火焔型土器も顔を並べております。
あのぐわんぐわんと波うつ過剰な装飾から、ワタクシはてっきり祭祀用のものと思い込んでおりましたが、解説によると、煮炊きなどの実用に供されていたとのこと。
使うにはいかにも邪魔そうに見えるあの飾りではございますが、そこには何らかの実用的(呪術的)効果への期待も込められていたのかもしれません。

縄文土器から目を転じると、すぐ近くに鎌倉時代の舍利容器がございまして、こちらは先史時代の火焔よりもぐっと洗練された炎の造形を見せております。
高さは30センチ弱といった所でございましょうか、凝った作りの塔の上に中をくり抜いた水晶球が安置され、玉の周りを細密に加工された火焔の装飾が取り囲んでおります。
炎を模した装飾という点では同じでも、縄文人が煮炊き用の器に施したそれと、鎌倉の密教信者が水晶玉の周りに施したそれとでは、形以上に意味合いにおいて大きな違いがございましょう。
ある装飾にどんな効果が期待されているのかは時代によっても文化によっても異なるものでございましょうから、その変遷を見るのも一興。
してみると「日本美の情熱」と銘打った本展ではございますが、比較対象として外国のものもあるといっそうよかったなァと思った次第。
まあ、それはそれで展示品のセレクトが難しすぎるかもしれませんね。幅広くなりすぎて。

土器に仏具に屏風に能装束にアクセサリーといろいろある中でとりわけのろごのみだったのは、くだんの古九谷とこれ↓でございました。


色絵五艘船文独楽型大鉢

三角旗をなびかす帆船やオランダ商人といった西洋風のモチーフと、和風な文様や描法があいまって面白うございます。
金泥で彩られ華麗な装飾性を誇る一方、寸詰まりにデフォルメされた船や人の造形はなんとも童話的で可愛らしく、心なごましむるものがございます。

面白いというよりちょっと可笑しかったのが黒漆塗兎耳形兜
その名の通り、ピンと立った兎の耳をかたどった兜でございます。
これだけ見るとなんだか可愛らしうございますが、このうさぎ耳の下にどんな猛者の顔があったのかと思うと可笑しくてなりません。
もっともこの兜、江戸時代のものということでございますので、実際の戦場で使われたことはなかったんでございましょうね。

展覧会全体を通してつくづくと思いましたのは、「飾り」と言っても単純に目を楽しませるだけではなく、そこには必ずと言っていいほど、何らかの「意味」が込められている、ということ。
してみると今も昔も、私達はひたすら「意味」に取り囲まれて生きているわけでございます。
だからこそ、「意味」も「道理」もなみするナンセンスで不条理なものに対して、時には名状し難い恐怖を、時には痛快な爽快感を覚えるのであろうなあと思った次第でございます。

その点で、本展の最後に展示されている平田一式飾は実に爽快でございました。
平田一式飾(ひらたいっしきかざり)とは、出雲市の平田八幡宮祭に合わせて作られる大きな飾り物でございますが、特別に作られたパーツではなく、普段から身の回りにある日用品を組み合わせて作るんでございます。
本展で見られますのは、自転車の部品で作られた巨大な海老と、陶器の壷や食器で作られたスサノオの大蛇退治シーンでございます。

自転車の部品で海老。
ううむ、このナンセンスは実に爽快でございます。
そして素材と被造物の間に何の脈絡もないだけにいっそう、見立てによる造形の見事さが光っております。
ハンドルのグリップをぎっしり並べて海老の尾の裏側が表現され、スサノオの胸元に輝く勾玉はナスの箸置きであることが判明した時はほとんど感動ものでございました。

とにもかくにも色々なものがございますので、行っておいて損はない展覧会と申せましょう。
レポートが遅くなっていまいましたが、会期末9/15まで、お時間のある方はぜひお運びんなることをお勧めいたします。



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