のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

むしのひ

2008-06-04 | 
6む 4し ってなわけで
本日は「虫の日」なんだそうでございます。

虫といえばザムザ君ですね。
ザムザ君の話をいたしましょうか。折しも昨日はカフカの命日でございましたしね。

虫になってしまったのはザムザ君の責任ではございません。
生まれてしまったのが私の責任ではないように。
しかしその後のことは、どうしたってザムザ君が悪いのでございます。
自分が何の役にも立たない醜悪な虫けらであること、周りの人々にとっては存在しているだけでもひたすら迷惑な無駄飯食いであるということを、しっかりと自覚するべきだったのでございます。
そして自分が虫けらであることに気付いたからには、すみやかに餓死するなり、妹の言うように「どこかへ行く」なりするべきだったのでございます。
ものを食べて生きながらえたり、あまつさえ自分の権利を主張したりなぞ、するべきではなかったのでございます。

それなのにザムザ君ときたら、自分が虫であることを分かっているくせに、のうのうとこの世に居座り続ける!
まだ自分は何かの役に立つことができるとでも思っているみたいに!

ああ何と滑稽なんでしょう。
誰にも望まれていないのに無意味な断食を続ける断食芸人のように。
残酷で時代遅れな上にうまく作動しない処刑機械と、その性能をさも得意そうに説明する士官のように。
呼ばれたかどうかも定かではないのにやって来て、お上から承認を得ようと悪戦苦闘する測量士のように。
絶望的に滑稽ではございませんか。

もっとも、はたから見る分には滑稽でございますが、彼の周りにいる人々からすれば迷惑千万なことでございます。
彼はおとなしく、いや自ら進んで、早々にこの世を去ってしかるべきだったのでございます。
ああそれなのに、愛する妹から宣告を受けるまで、彼はこの世という橋の欄干にぶら下がり続けるのでございます。
この態度こそ彼のどうしようもない可笑しさと醜悪さの根本でございます。
虫に変身したこと自体はたいした問題ではなく、むしろ「自分はいないほうがいい」という自覚を欠いたままにうだうだとこの世に留まり続けるという態度が問題なのでございます。
『判決』のゲオルクはごく素直に死へと向ってダッシュいたしましたし、『審判』のヨーゼフ・Kや『城』の測量士Kは存在していることの正当性を主張してまがりなりにも闘いました。ところがザムザ君ときたら、すぐさまいなくなるわけでもなく、かといって闘うわけでもなく、日ごとにぼやけていく視界で灰色の世界を眺めながら綿々と存在し続けている。
ああやれやれ、ザムザ君!
滑稽で醜悪なザムザ君。
まるでのろのようだね。