のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『アンカー展』

2008-06-16 | 展覧会
このところすっかり出不精になっておりましたが、やっとこさアンカー展へ行ってまいりました。

全て現実の風景や人物のスケッチにもとづいた写実作品であると同時に、アンカーにとっての「かくあれかし」という理想的風景でもあるように思われました。
そしてアンカーが理想的な美を見出した対象とは、着飾った貴婦人でもなければドラマチックな神話の一場面でもなく、故郷の村であたりまえな生活を営む人々の姿だったのでございます。

いとも牧歌的な風景の中、いとも平和に暮らす、純朴そうな人々。
とりわけ、子供たちのなにげない仕草を描いた作品の中には、画家の特別なまなざしが感じられます。
それは幼い者をあたたかく見守る慈しみのまなざしであると同時に、尊いものを見るようなあこがれのまなざしでございます。

たとえばこれ。

「少女と二匹の猫」

子猫と少女というありがちなモチーフでありながら、アンカーが施した繊細な陰影とスナップ写真のような自然さは、本作を忘れ難い一枚としております。

愛情と好奇心に満ちた表情で一心に子猫を見つめる少女。
人間の赤ん坊をあやすように片手で子猫の前足を持ち、もう片方の手のひらを上に向けて小さな後ろ足を優しく支えています。
顔と手の繊細な表情からは、とても大事なものを抱えているんだ、という意識と、いろいろいじってみたい、という子供らしい好奇心とがにじみ出ております。

解説によると、アンカーは教育に深い関心を寄せていたということでございます。
彼が支持した自由や自発性を重視する近代的な教育理念---よく遊び、よく学べ---は、作品にも色濃く反映しております。


「学校の遠足」

子供たちのいでたちや表情は個性を持って描かれており、たいへん生き生きとしております。
この小さな画像では御覧いただけないのが残念でございますが、子供たちのさまざまな表情がね、ほんとに、いいんでございますよ。
暮らし向きのいい家のお嬢ちゃんもいれば、靴もはかず、だぶだぶのシャツとズボンをたくし上げた子もおります。
やんちゃ者、内気な子、おてんば、ボーッとした子、どっしり構えた子、仲良し組。
一人一人のおしゃべりが聞こえて来そうではございませんか。
画家自身の「世界は美しい。世界はOKだ。世界よ、かくあれかし」という声も。
その声は穏やかな喜びと肯定感に満たされており、ひねくれたのろの心も何となく説得されてしまうんでございます。

アンカーの世界に対する肯定感は、静物画や肖像画にも表れております。
静物画は4点しかございませんでしたが、これがもう、ほんっ とに素晴らしいものでございました。
ただそこにあるものをひたすら正確に描写する、画家の誠実な手とまなざしは実に感動的でございます。
ワタクシ静物画でこんなにも心打たれたのはモランディ以来でございました。
また前半に展示されている人物画とは異なり説明的・情景的な要素が少ない分、技量の高さが率直に表れているように思われます。
静謐な構図、シャープな描写、そして質感の描き分けもすごいんでございます。
パリパリしたパンの皮。ほくっと剥けたじゃがいもの皮。
折り目のついた厚手のテーブルクロス。所々に軽いへこみのある、年季の入ったコーヒーポットなどなど。
何より、ガラス器の見事なことといったら!



デカンタのきゅうっと細った首、テーブルクロスに映る影。さらにそのクロスの白さを反映するデカンタの底部!
静物画があんまりにも素晴らしいので、アンカーには不本意なことではございましょうが、のろは「この人、静物ばっかり描いてくれてもよかったのに」と思ったほどでございます。

展示の最後には画家が幼くして死んだ息子の姿を描いた作品もございました。
子供好きだったに違いない画家にとって、年端もいかない息子の死はどんなにか辛いことであったことでございましょう。
眼を閉じ、花束を手にして横たわる、土色の顔をした幼子の肖像を見、そのかたわらに画家が「いとしい、いとしいルーディ」と書き入れているのを見ますと、例によってのろの涙腺はゆるゆるとして参ったのでございました。


アンカー展の会場を出たのろはしかし、感傷にひたる暇もあらばこそ、自転車をすっとばして10分程でみなみ会館に飛び込み、大スクリーンでの見納めとて、もういっぺん『ノーカントリー』を鑑賞したのでございました。
3回目。ほっといてくださいまし。好きなんです。
神の慈愛に包まれたかのようなアンカーの世界から、無垢で無慈悲な神がサイレンサー付きショットガンで人を殺しまくる世界へと移動したすえ、劇場を出た時には「それでも世界っていいもんだ」なんてことを考えておりました。
それがアンカーの毒消し作用によるものか、コーエン兄弟の厳粛な映像美によるものかといえば、まあ後者でございましょう。
アンカーはその作品において「世界はこの上なく優しく、OKで、しかも美しい」と言い、コーエン兄弟はその作品において「世界はこの上なく無慈悲で、残酷で、しかも美しい」と言っております。
おそらくはどちらも真実なのでございましょう。ただのろは何となくコーエンズの言いぶんの方に親しみを感じるんでございます。






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