のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

ブルーノ・ムナーリ展

2008-06-29 | 展覧会
ブルーノ・ムナーリ展へ行ってまいりました。

うまいぐあいに梅雨の晴れ間、北寄りの気持ちのいい風が吹いておりましたので自転車で。京都太秦から滋賀県は瀬田の美術館まで、片道2時間をきるのが目標でございます。今回は2時間5分で到着。うむ、だんだん肉薄してまいりました。

滋賀県立近代美術館は時々、企画展示室へと向う廊下を使って粋な展示をしてくださいます。
進むにつれわくわくと期待感が高まる、いい企画かと存じます。学芸員さんの熱意も伝わって参ります。
今回は、ダンボール製の大きなオブジェがポンポンと立ち並んでおりました。

高さ150センチはあろうかという巨大な本を直角に開いて立てたものをご想像くださいませ。
ページの片面には洞窟壁画が線画で黒々と描かれております。もう片面、展示室へと向う側は、中央がほら穴のようないびつな形に大きくくり抜かれ、向こうが見通せるようになっております。
ムナーリの絵本をもとに作られたというこのオブジェ、まさにムナーリの本に触れた時に私達が抱く感覚を3次元に起こしたものと申せましょう。その感覚とは即ち、ページを通り抜けて次の世界へと進んで行くわくわく感でございます。

段ボールのやさしい色合い、、シンプルな造形、くり抜かれた断面の見せる面白さ。きっちり構築されている感じがまた心地ようございます。
子供だったら穴を次々くぐり抜けて遊ぶのではないかしらん。
まあのろもやりましたが。
そしてこの廊下において漂っていた、きっちりしていて、シンプルで、やさしくユーモラスな雰囲気は、本展の全体を通じて感じられたものでもございました。

工業デザイン、レコードジャケット、オブジェからおもちゃまで、まさに「あの手この手」で表現活動を繰り広げたムナーリ。
中でも本展のメインは本を媒体とした作品でございました。
「媒体とした」と申しましたのは、それらの作品の多くが「文字や絵による情報の伝達手段」という一般的な本の概念を、軽々と跳び越えてしまっているからでございます。
例えば『読めない本』シリーズや『本の前の本』。
テキストは一切無く、色紙やトレーシングペーパー、更にはフェルトやプラスチックや木を素材にしたこれらの作品は、飽くまでも視覚と触覚に訴えてまいります。
ここにおいて本は「情報伝達の手段」という役割から解放され、「触る&めくる&見る」という一連の行為を誘発する道具として活用されております。
この道具を使ってムナーリが私達に教えてくれるのは「働きかける」ということの楽しさでございます。

また絵本を開けば、てらいのないシンプルな造形と明確で心地よい色彩がまず目に飛び込んでまいります。
ストーリーはごく単純なものでございますが、フリップをどんどんめくって新しい絵を発見していくのがなにしろ面白く、繰り返し読んで/見てしまいます。

ムナーリは絵本やおもちゃの制作に当たり、子供の想像力を刺激するものを作ろうと心がけたといいます。
本展を見ますと、ムナーリ自身がおっそろしく創造的な「子供」であり、その柔らかな発想と好奇心でさまざまな分野に働きかけ、喜びとともに素晴らしい作品を生み出していったことが分かります。

子供はナンセンスなものが好きでございますね。
ムナーリも素晴らしいナンセンス感覚(変な言葉ですが)の持ち主だったようでございます。
『ナンセンスの機械』という本では「蝶の羽ばたきを利用した扇風機」やら「怠けものの犬の尾をふらせる機械」などなどの突飛な「機械」が考案されております。そのあまりな無茶さ・無駄さには嬉しくなってしまいます。

あの手、この手。
ムナーリの多彩な活動は、彼の創造的なコドモ心とユーモア精神、そして鋭い社会意識と美的感覚が、その手を縦横無尽に振るった鮮やかな軌跡だったのでございました。







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