のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『フィラデルフィア美術館展』4

2007-08-12 | 展覧会
8/3の続きでございます。

企画展で、思いがけなく顔なじみの作品と出会うことがございますね。
以前他の展覧会で出会った作品や、常から図版で親しんでいた作品に予期せぬ所でお目にかかるのは
旧知の友が前触れもなく訪ねて来るのに似ております。
うれしさ半分、とまどい半分、「おいおい来るなら来るって前もって知らせてくれよ!」という心境でございます。
驚きがすみやかに終息すればよいのですが、「こんな所で会おうとは」という衝撃があまりに大きいと
心構えができず、アップアップした状態で作品と対峙するはめになります。

こう書いて思い出すのは数年前、京都市美術館で開催された『メトロポリタン美術館展』でございます。
そこで思いがけなく出会ったのは、のろがガキンチョのみぎりから図版で親しんでおりました作品、
寝っころがり頬杖をついて幾度となくページをめくったピカソの画集の中でも一番好きだった作品、
『盲人の食事』でございました。
これはもう例えて申すならば、玄関開けたらあこがれの大スターが立っていた ぐらいの衝撃でございます。
のろはどう対処してよいやら分からず、すっかり浮き足立ちアワワワ状態で
せっかくの対面だというのに、何やら未消化な感じを抱いたまま作品と別れてしまいました。

この体験で「衝撃からはすみやかに立ち直るべし」との教訓が脳裏に刻みこまれたものか、
本展でも顔見知り作品との予期せぬ邂逅がございましたが、あわあわせずに鑑賞する事ができました。


Copyright 2007-Succession Pabro Picasso-SPDA(JAPAN)
ピカソ『道化師』
首をこころもちかしげ、頭にはぐんにゃりとした王冠のような帽子をかぶって。
目は暗く落ちくぼみ、口元にはうっすらと捉えどころのない笑いを浮かべております。
ブリヂストン美術館で始めてこの像と会った時は、とてつもなく孤独な王の肖像であろうかと思いましたが
本展ではずいぶんと印象が異なり、この像はいやに悪魔じみて見えました。
照明の具合で、影が強く出ていたせいかもしれません。

かの「洗濯船」(ピカソ、モディリアーニら貧乏芸術家たちがアトリエを構えたモンマルトルの安アパート)の名付け親、
マックス・ジャコブをモデルにしたというこの像が制作されたのは1905年、「青の時代」から「バラ色の時代」への過渡期にあたります。
「サーカスの時代」とも言われるこの年、ピカソはこの像と同じいでたちの道化師を数点描いております。
描かれた道化師たちの、遥か遠くを見つめるような表情は互いに似通っておりますが
このブロンズの道化師は、どうも彼らとは似ていないようでございます。
むしろこの像の表情は「青の時代」に描かれたあの盲人や、『アイロンをかける女』のそれにそっくりでございます。

「青の時代」の沈鬱な人物が、道化師に扮して、こちらをじっと見つめております。
彼はもはやうなだれてはおらず、社会の底辺で暮らす虐げられた人物ではございませんが
世界を外から見つめるアウトサイダー的な孤独感を漂わせております。

さきに、ブリヂストン美術館で会った時と本展とではずいぶん作品の印象が違ったと申しましたが
それは単に照明のせいだけではないやもしれません。
1904年以前の暗く感傷的な世界と、1906年以降の明るく肯定的な世界のはざまに制作された
ブロンズの道化師は、その捉えどころのない微笑みに
若い芸術家の胸中に醸成され、またされつつあった明暗双方の世界を、
今もなお二つながらに担っているからかもしれません。


さて
展覧会はこの作品で丁度なかばを迎えるのでございますが
ブログはこの調子で書いてまいりますと同タイトルの記事があと3、4つは並ぶ事になり、甚だ冗長でございます。
従って

音楽のようなクレーとカンディンスキーも、「なんでそおなるの」とつっこみたくなるミロも、
母と子、および父と子の強い絆を、べたべたになることなく、しかし余す所なく描いているカサットも
バーゲンセールにおける狂態をきらびやかな色彩で描いた、ほとんど一コマ漫画のようなステットハイマーも
こちらにずんずん迫って来るハートリーの風景画も

すべて
「よかった。」のひと言に収めさせていただきます。
ああ、なんという...いや、何も考えないんだ。

概括いたしますと、いわゆる巨匠さんたちのいかにも彼ららしい作品もあり、
この人こんなのも描いてたのかと思うものもあり(マルセル・デュシャンが普通に肖像画描いててエエェェェでございました)
今まで見る機会のあまりなかったアメリカ美術にも触れることができ、いろいろと楽しめる展覧会でございました。

ひとつ欲を申すならば
ワイエスはもっと後期の作品を見とうございました。
まだご存命なので後期という言い方もナンでございますがね。