のろや

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『世界が食べられなくなる日』

2013-09-22 | 映画
『モンサントの不自然な食べもの』は見逃したワタクシ。
今回は逃さじと『世界が食べられなくなる日』を観てまいりました。

映画『世界が食べられなくなる日』公式サイト

邦題からはGM(遺伝子組み換え)作物の問題のみを取り上げているように見えます。そして実際、この問題が集中的に取り上げられてもおります。しかし本作はモンサント社の寡占や食の安全という問題のみに留まらず、社会的・倫理的により広い視野と射程において作られたドキュメンタリーでございます。
即ち、他のあらゆる価値を差し置いて、効率や金銭的利益を追求して来た企業そして社会に対する告発という、過去から現在へと至る歴史の反省に根ざした視野、そしてその流れへのカウンターとして今活動する人々に注目しつつ、代替案を提示する-----その中で、生きること、食べることとはどのようなことであるのかに自然と思いが至る----、未来への射程でございます。
だからこそ「GM作物と原発」という一見無関係な2つのものを扱いながらも散漫になることなく、「20世紀に世界を激変させたテクノロジー」へのひとつの警鐘として説得力を持っているのでございましょう。

<『世界が食べられなくなる日』予告編 >


上映時間は118分、ドキュメンタリーにしては長めでございます。
甲状腺がんをわずらっていて取材の3ヶ月後に亡くなった方や、福島の原発事故を受けて自死された農業社のご遺族、GM作物を食べ続けたラットの恐ろしく肥大した腫瘍などが画面に登場しますので「興味深い」と言うのは気が引けるのですが、テーマも、そこに映し出されている現実も、じっと見ずにはいられない切実な求心力があり、長尺ながらいっときもダレることがございませんでした。
土気色というよりもほとんど灰色の顔をしたチェルノブイリの子らや、犬をけしかけられる「GM作物刈り取り隊」のメンバーなど、少なからず衝撃的な映像もございましたが、観賞後に心に残るのは、むしろその”絵”をめぐる人々の重く真摯な言葉でございます。

モンサント社の除草剤「ラウンドアップ」と、この除草剤に対する耐性をつけたGMトウモロコシ(つまりラウンドアップをじゃんじゃんかけても枯れないようにできている) を混ぜた餌を食べ続けて、身体の半分もありそうな巨大な腫瘍ができたラットを手にして、この実験の中心人物であるセラリーニ教授は言います。
「動物実験そのものに反対する人もいる。しかし(この問題に関しては)動物実験をしなければ、すべでの動物が実験台になってしまう」

皆様ご承知の通り、GM作物は単に対象となる植物の遺伝子をいじって便利なものを作った、というだけの話ではございません。風や虫の媒介によって在来種と交配し、(喧伝されているのとは正反対に)強力な農薬の散布に拍車をかけ、それによってさらに農薬耐性の強い雑草や害虫が登場するという自然界における悪循環と、在来種から乗り換えた結果、競争上不利な小規模農家も毎年モンサント社から種子と農薬を買わざるを得なくなり、借金で首が回らなくなる、という経済上の悪循環をもたらしております。さらには農薬を撒かざるを得ない農業者や、輸送・運搬に携わる人たち、つまり成育過程で大量の農薬をかぶった作物に日常的に晒される人たちの身体を損なっている実態が本作では描かれております。
そうした作物が、安全性への十分な検証もなされないままに世界に広められ、家畜の飼料に使われ、もちろん人間の口にも入る、それが倫理的に許されるべきことなのか。

除草剤耐性作物に使用される農薬はこんなに危ない
遺伝子組換え作物で、飢餓が増えている? 安濃一樹

本作の原題「Tous cobayes? みんなモルモット?」は、上記のセラリー二教授の言葉と、福島の有機稲作農家、群さんの「(原発事故以来)モルモット扱いされているようだ」という言葉からいただいたものでございましょう。
本作はコンピュータ上のシミュレーションやラボで得られたデータを示すだけでなく、農薬散布や原発事故の被害者、そして抗議活動を続ける人たちに直接取材し、「客観性」や「社会・環境への影響」というより大きな絵の中では埋もれがちな、当事者個人の言葉を伝えてくれます。

「原発さえなかったら。地震と津波だけならなんとかなった。空も繋がっている、海も繋がっている。世界中が原発に反対してほしい」(自死された福島の農業者のお連れ合いの談)

農薬が原因と見られる健康被害で性機能を失った男性や、同じ理由で身体を害し亡くなった方のご遺族、チェルノブイリ原発事故で汚染された木材などの貨物を扱ったために甲状腺がんを患っているという港湾作業員。それぞれ異なる事情と困難を背負っている彼らが一様に口にするのは、「被害者が声を上げるのは勇気がいる」ということ。そして、そうではあっても、これ以上同じような被害者を出さないために、あえて声を上げたのだということでございました。

また警鐘を鳴らす人へのバッシングはレイチェル・カーソンの時代からあいも変わらぬもので、セラリーニ教授は企業側から「不安を煽るな」、「自分の利益のためにやってるんだろう」という誹りを受けたのでございました。不安を煽るも何も、そもそも供給元であり受益者であるモンサントが、安全性について必要な検証をしていないのが問題だというのに。
それにしても、このバッシングの構図もフレーズも、この2年半ばかりの間、日本でしばしば目にしたもののような気がいたしませんか。

本作は、GM作物と原発問題は繋がっているという問題意識のもとに作られております。
セラリーニ教授いわく「20世紀に世界を激変させたテクノロジーが二つあります。核エネルギーと遺伝子組み換え技術です。これらは密接に関係しています。米国エネルギー省は原爆につぎ込んだ金と技術者を使って、ヒトゲノムの解析を始めました。そこから遺伝子組み換え技術が誕生しました」
また、このテクノロジーには3つの共通点があるとも。即ち、
・後戻りができない
・すでに世界中に拡散している
・体内に蓄積されやすい
と。ここに「反対の声を上げると圧力がかかる」というのを加えてもよさそうです。
並べてみると何だか絶望的な感じがいたします。それでも、「NOと言わなければ、YESと言ったことになってしまう」(東京に暮らす若いお母さんの談)。

また、後戻りすること、つまり技術自体やその影響をなかったことにすることはできないとしても、これ以上の拡大・拡散をくい止めた上で、別の道を選択することはできるはずでございます。
フランスで、またセネガルで、アグロエコロジー(自然や環境と調和した、小規模農業による持続可能な農業システム)を実践する人たちや、30年に渡る反対運動で原発建設計画に抵抗して来た祝島の人々の姿を通じて、その可能性が示されます。とりわけ前者のくだりは映像が美しく牧歌的ですらあると同時に、「食べる」とは本質的にどういうことであるのかについて、しみじみ考えずにはいられない所でございました。

最後に、本作のパンフレットから監督の言葉をご紹介しておきます。

「TPPは犯罪です。生きているものを投機の対象にし、生物多様性を破壊し、ひいては人間を殺す。TPPと同じくヨーロッパでもWHOが農業を投機してもいいということにしました。このことに関して世界の人は拒否する権利があります。日本の人は核を拒否し続けてきたように、自由貿易の商品を買わないという権利を行使しなくてはなりません」

(日本では原発問題に比べてGM作物反対の声がまだ少ないという問いに答えて)
「まず原発と同じくNOと言ってほしい。作中で語られている通り、NOと言わないのはYESと言っているのと同じです。遺伝子操作の技術は、ほんとうは必要ないもの。そして原子力がなくても日本は風、潮の満ち引き、太陽、地熱、海底にもエネルギーがあり、それを利用できる科学者と技術と勇気があるではないですか。原子力から離れるすべてがそろっています。

わたしたちは、ふたつの武器を持っています。ひとつ目は、環境を大切にしている人のために、将来の世代を尊重する人のために、お金を使ってください。多国籍企業に対して、1ユーロたりともお金を与えるのをストップすることです。どんな小額のお金でも、誰に挙げるかということを自ら選んでください。

そしてふたつ目は、言葉です。我々はもっと発言しなければいけない。この映画を観て、思っていることをあなたの周りの人たち、友人やご家族の方と共有して、また、懐疑的な人たちを説得するために言葉を使わなければならない。わたしもあなたもメディアなんです」




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