のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

キタイギタイ ひびのこづえ展

2009-09-14 | 展覧会
伊丹市立美術館/「キタイギタイ」 ひびのこづえ展 ー生きもののかたち 服のかたちーへ行ってまいりました。

へんてこりん大会でございます。
素材がへんてこであり、かたちがへんてこであり、何よりそれが衣服であるということがへんてこりんの極地でございまして、いやあ面白かった。
値札付きで展示されている衣服や家具たちは、それこそ極地に住まう未知なる生物のようでございます。
それ自身のルールを持った有機体さながらに秩序と不規則性とが調和しているモノたち、よく見るとその素材はビニールシートであったり、梱包用のプラスチックテープであったり、あるいは分厚いフェルトであったり針金であったり鏡の破片であったり。
そんな衣服たちは、のろの目にはもはや着物というよりもオブジェ作品として映りました。
衣服であるという指標にとぼしい彼らは、人によって着られることによってようやく衣服化いたします。一方身体はそれを着ることによって、不思議なオブジェの一部と化します。人によって着られるという用途を伴うことは、服飾というジャンル独特の面白さであり、強みであるということを改めて思った次第。

それ故「標本箱」と題された地下展示室の、アクリルケースの中に平置きした作品群は、ほんの少し物足りないような気もいたしました。作品自体はたいへん面白い、生物標本に見立てたというコンセプトもたいへん結構。しかし置いてあるだけではせっかくの「着られる」という服飾独特の強みと面白みが、鑑賞者の想像の中でしか達成されないことになってしまうではございませんか。ワタクシとしてはやっぱり身につけた時にどうなるのかを見たかったので、着られた姿の写真も一緒に展示してくれてたらなァと思いました。
もっとも一階ロビーの壁面に作品集の写真がずらりと並んでおりましたから、よく見ればその中に標本化された作品たちの写真もあったのかもしれませんね。

逆にたいへん動的・立体的で面白かったのが「人体の間」と題された2階展示室でございます。展示室の真ん中に、皮膚、心臓、肝臓など身体部位をモチーフとした作品がつり下げられており、壁面にはダンサーの森山開次氏がその作品を身につけて躍る映像作品が投影されております。
つり下げられている作品は、人体のかたちをなぞった「皮膚」以外は、身体のどの部分にどうやって身につけるのか想像もできないようなものばかりでございます。
立体作品としてそのかたちを楽しみ、映像ではそれら奇妙なかたちたちが「着られ」て衣装化することで見せる表情を楽しみ、さらにそれぞれの部位の働きを表現するオブジェ化人間の動きを楽しみ、実に一粒で三度おいしい展示でございました。


テキスタイル、服、バッグや家具など展示品はいろいろ、素材も固いものからモコモコしたものまでいろいろございましたが、空気が通り抜けて行くような軽やかさを感じるものが多うございました。穴空きや網状、骨組み風といった、作品の視覚的な印象もさりながら、何であれモチーフになり何であれ素材になるという発想の自由さが、風通しのいい、軽やかな印象を形作っているのかもしれません。



また一階の柿衞文庫で開催中の小企画展 戦場から妻への絵手紙-出征地フィリピンからもよろしうございました。

新婚まもなく太平洋戦争に招集された画家の前田美千雄氏が、出征地フィリピンから妻へと宛てた絵手紙が展示されております。戦地からとは思えないような、おどけた、しかし深い愛情のこもった文面。そして外国の風土や自分の暮らしぶりをさらさらと手慣れた筆さばきで描いた絵。その一枚、一枚が実に微笑ましく、中島敦がパラオから家族に宛てた手紙を思い出しました。
そんな手紙も昭和19年12月を最後に届かなくなり、美千雄氏の消息は翌20年8月に途絶えます。
展示されているのは、妻の前田絹子さんが柿衞文庫に寄贈された900点に上る絵手紙の一部でございます。夫からの手紙を大事に保管し、空襲のたびに手紙のつまったトランクを抱えて防空壕に飛び込んだというエピソードも、胸に迫るものがございます。
華やかなコスチューム展の影でひっそりと開催するのは、少々勿体ないような展示でございました。









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