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のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『RED』

2011-02-12 | 映画
「もし彼を悲しませたら、あなたを殺して森に埋めるわ」

「あなたを殺すわ」じゃなく「殺して森に埋めるわ」ってとこが具体的でよろしうございますね。

というわけで
ファーストデー料金でRED/レッドを観てまいりました。

設定はたいへん面白く、俳優陣は端役も含めて素晴らしく、キャラクターはそれぞれ個性的で魅力があり、最後のひねりの唐突さを除けば脚本はそれなりに(つまり、お馬鹿映画なりに)しっかりしているのに、キャッホー最高!続編楽しみ!というほどの映画にならなかったのは何故なのだろうかと、エンドロールを見ながら考え込んでしまいました。

最後まで退屈はしない代わりに、アクションにも笑いどころにもこれといって突出した所はございませんで、全体としては可もなく不可もなしといった所。
おそらく本作はギャグやアクションやストーリー云々よりも、ブタのぬいぐるみをたずさえてぼーーーと突っ立っているマルコヴィッチや、純白のドレスに身を包んでマシンガンをぶっ放すヘレン・ミレンや、しれっとして「アフリカの小国の大統領のフリ」をするモーガン・フリーマンや、出演時間は短いながらもジュディ・デンチ的存在感でくせ者を演じるアーネスト・ボーグナインや、ブルース・ウイリスしているブルース・ウイリスを楽しむ作品なのでございましょう。メインディッシュである役者とその演じるキャラクターを愛でるついでに、せっかくだから一応つけあわせのギャグやアクションも賞味しておくというのが正しい鑑賞方法なのではないかと。

実際、体にダイナマイト巻き付けて奇声をあげながら猛然とこちらに走って来るジョン・マルコヴィッチという世にも恐ろしいものを拝めただけでも1000円分の価値は充分にございましたので、その他の全てはおまけと考えてもよろしうございます。そう考えるならばかなりお得感のある作品でございました。



『特攻野郎Aチーム』のクレイジーモンキーと『ポリス・アカデミー』のタックルベリーを足した上に危険度を三倍がけぐらいにしたマーヴィン(マルコヴィッチ)がのろごのみでないわけがございません。お友達には絶対なりたくないタイプでございますけれどね、魅力的なキャラクターというのはおおかたそんなもんでございます。
撃っても撃たれても、また屈強な警備員の首元にチョップをかましてもあくまで上品なヴィクトリア(ヘレン・ミレン)も素敵だったなあ。

というわけで、もし続編が作られればマルコビッチとヘレン・ミレン観たさにいそいそ劇場に足を運んでしまいそうなワタクシではあります。しかしもう一度このキャスト、特にブルース・ウイリスを召喚する資金を回収できるほどのヒットにはならないのではないかしらん。

『ロビン・フッド』

2011-01-16 | 映画
去年の年末のことですからもう2週間より前になりますけれども、リドリー・スコット監督の『ロビン・フッド』を観てまいりました。

関連記事は↓こちら。
リチャード一世忌 - のろや

あまり期待していなかったせいかもしれませんが、なかなか面白かったですよ。どうしてもラッセル・クロウがかっこいいと思えないワタクシでも最後まで楽しく鑑賞させていただきました。
あまり期待していない作品を何故わざわざ観にいったかというと、もちろんソーターさんもといマーク・ストロングが出ているからなのでございますが、その話はまた後で。

重鎮から若手まで俳優陣の演技はみな素晴らしく、絵づくりはさすがにきれいでございます。衣装もセットも見事なもので、背景などにはCGを使っている所もあったのでしょうけれども、つくりもの感は全くございませんでした。冒頭の戦闘シーンは噂通りの迫力。とりわけ兵士たちに向かってぶっとい矢が雨あられと降り注ぐ様は、音響効果もあいまって、ちょっとおっかないような臨場感がございましたよ。ちなみにソーターさんはインタヴューで「もちろん撮影に使った矢には矢じりがついていないんだけど、それでも当たったらものすごく痛かったよ笑」とおっしゃってました。ああ、特に貴方は頭にガードがないから。

というわけで、決して面白くないわけではなかったのです。
絵を見ているだけでも退屈はいたしませんでした。

がしかし
全体的にお話のチグハグ感が拭えなかったのはなぜかしらん。いまいちのめりこめないというか。

悪役loverの視点から申しますと
まず何といってもワルモノ側の描き方が薄口すぎました。
疲弊した民衆から無理矢理税金を搾り取ったり、農村を略奪した上に無辜の民を納屋につめこんで火をつけたり、報償目当てに祖国と幼なじみを裏切って国家存亡の危機を招くののどこが薄口だとおっしゃいますか。
そこです、問題は。
ひとつひとつを見れば立派な悪徳なんでございますが、これらのワルモノ行為の主催者が、重税はジョン王、略奪はフランス兵、裏切りはサー・ゴドフリー(←マーク・ストロング)と、それぞれ別の人たちなわけでございますよ。悪役フラグが3本も立っているせいで、主人公に対抗する悪の存在がぼやけてしまい、それに伴ってストーリーの焦点もいささかぼやけてしまっているような気がいたします。

上に挙げたメイン悪徳行為3点の全部にからんでいるのはゴドフリーですから、一応彼が全ての黒幕ではあります。しかしそれにしてはアホ王ジョンが中途半端に目立ちすぎるのですよ。役者さんはうまかったんですけどね。彼に悪としての存在感がありすぎるために、このアホ王対策が何よりも重大な問題になってしまい、フランス軍による英国侵略という重大事件がすっかり霞んでしまうのですよ。おかげでクライマックスであるはずの仏軍との攻防は「最大の山場」という差し迫った緊張感を欠き、さんざん前フリがあるにもかかわらず、唐突な印象が否めません。マリアン&森チルドレン参戦の唐突さは言わずもがなですが。

いっそジョン王をもっとへろへろなアホにして、何もかもゴドフリーにそそのかされてやったということにしたらよかったんじゃないでしょうか。ゴドフリーは映画のラストで死んでしまうわけですが、そそのかす佞臣さえいれば、ロビンフッド伝説に繋がる悪王V.S.義賊の構図は崩れないわけですし。
いや、そもそもゴドフリーもフランス軍侵攻もなしにして、アホ王だけを悪役に据えた方がお話がシンプルでよかったのではないかと。何ですか、そんなにソーターさんを使いたかったんですか、カントク。いや、お気持ちはわかりますとも。『ワールド・オブ・ライズ』のハニ役でそれは素晴らしい仕事をしてくだすったソーターさんですものね。

さておき
チグハグ感のことに戻りますけれども、国の存亡の危機ですとか、国王の悪政に苦しめられる庶民といったシリアスな描写に対して、ロビンがマリアンの「夫」として仲間や領民と一緒にあれやこれやする描写はほのぼのしすぎていて、見ていて膝カックンをくらったような気分になりました。ああいう軽い明るい演出をするなら、いっそ政治的な挿話はばっさり捨ててスカッと爽快冒険活劇にしてくれればよかったのに。それなら色々ととんとん拍子すぎるロビンの”出世”ぶりや最後の唐突なマリアン参戦も「こういう映画だから」と納得して楽しめたことでございましょう。

主人公をはじめキャラクターの掘り下げが今ひとつなのも残念な所。ロビンははあれよあれよとカリスマ化してしまうし、リチャード兄ちゃんを嫌っていたはずのダメ王ジョンは対仏戦でいきなり「兄も自ら戦場で闘った!」などと言って参戦してしまうし。ゴドフリーはなにしろ出番が少なすぎて描写が足りません。おかげで黒幕のはずなのにいまいち存在感が薄く、単なる狂言回しのような位置に留まってしまっております。

↓の台詞などはたいへんよかったんでございますけどね。


そうそう、サー・ゴドフリーなのですよ。海外のレヴューで「マーク・ストロングの無駄遣い」と書かれていたのはこういうことだったのですね。

とにかく役回りの重要性に比べて出番が少なすぎ、ゴドフリーという重要人物の背景が全く描かれておりません。マーク・ストロングは善とも悪とも言い切れない複雑なキャラクターや、悪党だけれどもどこか憎めないコミカルな悪人を演じるのがたいへんうまいかたでございます。『ワールド・オブ・ライズ』での仕事ぶりから、監督自身もそれをよく知っているはず。それなのに、そのソーターさんが演じる悪役を充分生かせていないというのは痛恨の極みでございます。
『シャーロック・ホームズ』のブラックウッド卿も一面的なキャラクターだったじゃないかって。
あれはああいう映画だからいいんです。しかし本作のような歴史絵巻で、マーク・ストロングに深みを欠く人物を演じさせるのは甚だ勿体ない。

まあしかし
ソーターさんにくるぶしまで届く黒マントを着せてくれたというだけでも、ワタクシはこの映画に感謝せねばなりますまい。ふてぶてしい態度で指輪を見せびらかすシーンやら、エクソシスト爺ちゃんを精神的にいたぶったすえに刺し殺すシーンなどはとってもよろしうございましたしね。

あれ、不満の方が遥かに多くなってしまった。
重ねて申しますが、面白くなかったというわけではないんでございますよ。

ただツッコミ所がとても多かったというだけで。



『ソフィアの夜明け』

2010-12-31 | 映画
正午過ぎても室温5度。

それはさておき

「おれの明日は、まだかよ」というコピーに心惹かれて、ブルガリア映画『ソフィアの夜明け』を観てまいりました。本年はこれにて観納め。

映画『ソフィアの夜明け』公式サイト

うーむ、秀作でございました。
ブルガリア版『ベルリン 天使の詩』という雰囲気がなくもない、あれほど詩的ではないにしても。

舞台はブルガリアの首都ソフィア。
物語の軸となるのは年齢も立場も違う3人の男女。
それぞれに閉塞感を抱え、それぞれの場所でもがいております。
美術学校を卒業したものの、作品を発表する場所も金もなく、麻薬中毒からのリハビリに通院しながら単調な木工の仕事で生計を立る主人公イツォ。
威圧的な父親や「くだらないテレビばかり見ている」継母にうんざりし、ネオナチに引き寄せられて行くイツォの弟ゲオルギ。
そして裕福なトルコ人家庭のお嬢さんであるウシュルは、旅行で世界のあちこちを訪れながらもそこにある問題には目を向けようとしない、両親の偏狭な態度に疑問を抱いています。

離ればなれで、それぞれの場において孤独であった3人はある事件をきっかけに近づき、お互いの生活にかすかな、しかし確かな、希望の糸口をもたらすのでございました。
各々の抱えた問題に決定的な解決や救済が与えられるわけではなく、ほんのかすかな「夜明け」のきざしが描かれるのみである所に、かえって作品の誠実さを感じます。



社会の閉塞感。ゼノフォビア(外国人嫌悪)。均質化する街の風景。現代社会の富や便利さを享受する一方、そこから生まれた痛みや歪みからは目を背けるブルジョワ的な利己主義。
ブルガリアは遠い国でございますが、本作に描かれている問題は決して私たちに馴染みのないものではございません。

鬱屈した若者がスキンヘッドや入墨といったファッションからネオナチに近づき、取り込まれ、「これをやってこそ男だ」という暗黙のプレッシャーに突き動かされて、次第にサッカー場での喧嘩や外国人襲撃といった暴力行為へと巻き込まれて行くさまには、じっとりと重たいリアリティがございました。

また理想の自己像と現実とのギャップに苦しむイツォや、反抗心やエネルギーをどこに向けたらいいか分からないゲオルギは、自他を傷つける諸刃の剣を握りしめているようであり、その不器用さが痛々しく胸に迫ります。
イツォを演じたフリスト・フリストフは監督の友人で、そもそもこの物語のモデルとなった人物でございますから、つまり自分自身を演じているということになりますね。映画はイツォが希望を手に生きて行くであろうことを暗示して幕を閉じます。しかし現実のフリストフ氏は撮影直後、映画が完成する前にお亡くなりになりました。スクリーンの中の繊細な表情を見ながらふと、ああこの人はもういないのか、と思うと、やるせなくもあり勿体なくもあり、こうしてたった一度だけフィルムに刻み付けられたその姿が世界中で映し出されていることが何やら不思議でもあり、何とも奇妙な気持ちに襲われたのでございました。



さて
のろの明日は、まだかよ。まだだってよ。
下手すると寝てる間に凍え死にしそうなこの寒さ。
無事に明日が迎えられるかいささか心配な所でございます。


ランプルさんのこと 2

2010-12-29 | 映画
またか!

とお思いになりましたか。
すみません。またです。

さて依然ランプル熱冷めやらぬのろ、勢い余ってこんなものまで購入してしまいました。



左は『シュレック』のコミック版で、別々の作家の手による『シュレック フォーエバー』の前日譚が3篇収められております。ひとつめの”Rumpelstilskin's revenge"はランプルがシュレックを陥れようとして変装した姿であれこれ試みるものの、ことごとく失敗するお話。その次の”The lost flute"は、ネズミの王さまに笛を奪われてしまった笛吹き男が、ドンキーに連れられて楽器店にやって来るお話。最後は映画にも登場する料理上手のオーガ、クッキーさんが、ジンジー(ジンジャーブレッドマン。日本ではクッキーマンと訳されています)に助けてもらったお礼に巨大ジンジーを焼いてあげるお話。

ま、どれもどうってことのないお話でございました。残念だったのは、絵柄がちと魅力に乏しいということ。そりゃ、ドリームワークスのキャラクターはそもそも可愛くないのが売りみたいな所がございますけれども、とりわけそのアクの強いところを強調して描かなくてもいいじゃないかと、まがりなりにもジャパニーズ「カワイイ文化」の中で育って来たワタクシは思ったのでございました。ドンキーなんかけっこう気持ち悪い域に達しておりますよ。また、子供向けコミックなので絵描きさんもそうそう気合いを入れてはいないんでございましょうけれど、全体的にいささか「やっつけ仕事」感が漂います。表紙は丁寧なんですけどね。

右のCDは『シュレック フォーエバー』の挿入曲を集めたもの。そもそもはウォルマートで限定発売されたものらしいのですが、ワタクシはタワレコで買いました。で、これ、何が特別なのかと申しますと、曲の間にランプルさんがDJをしてくれるのでございますよ。こんな具合に。

It's The Rumpelstilskin Show! | Shrek Forever After (Music From The Motion Picture)


これに続いて"Isn't it strange"(ドラゴンがシュレックたちを乗せて飛んでいるシーンで流れる曲)がかかるわけでございます。
いいでしょう。いいのです。これをのろが買わないでどうしますか。
スタジオ入りしているのはランプルさんだけでなく、アシスタント(パシリ)としてしもべの魔女Babaさんが同席してらっしゃいます。さらに電話参加のリスナーとしてピノキオやオオカミやジンジーが、そしてスペシャルゲストには『シュレック3』のラストで「これからは花を育てるんだ」と言って悪役を引退したフック船長まで登場して、近況を語ってくれます。CDの最後を、放送終了後、ペットのフィッフィと一緒に帰路につくランプルさんの声で締めてくれているのも嬉しいですね。と申しますのも、映画の方ではフィッフィにはいとも悲劇的な結末が用意されており、ワタクシを含め全世界のランプルファン(何人いるんだ)を大いに悲しませたからでございます。

さてランプルさんのその後ですが、ワルモノとしてそれなりに楽しく生活なさっているようでございます。

Shrek's Yule Log (EDITED)


笛吹き男は相変わらず無口にノリノリです。
映画のラストではやたら丈夫な鳥かごに監禁されておりましたランプルさん、クリスマス恩赦で出してもらえたんでしょうか。何にしても、喰われてなくてよかったよかった。

とはいえ、ちょっと前まではやはり鳥かごに入れられていたご様子。

Donkey's Caroling Shrektacular


一時はおとぎの国の頂点まで上りつめたというのに、狭い所に監禁され、ドンキーにはコケにされ、靴下には石炭を入れられ、しかもにっくきシュレックと仲間たちがパーティに興じる様子を眺めさせられるとは何たる屈辱。しかしこんな苦境にあっても素敵な巻き舌は健在でございます。ああ、さすがは。

ちなみにランプルさんはシュレックシリーズにおいて-----フック船長などの小物は別として-----、ラストで死亡(消滅)しなかった唯一の悪役でございます。やっぱり制作スタッフの皆さんも、この愛すべき悪党を殺してしまうのは忍びなかったのではないかしらん。

というわけで、ドリームワークスならびにシュレック製作チームの皆様、ぜひともランプルのスピンオフを作ってくださいませ。
贅沢は申しません、ゲスト出演でもいいんです。
大人向けにブラック風味なお話だったらなおいいです。
ビッテビッテお願いします。
このとおり。

猫サンタ

2010-12-24 | 映画
Puss in Boots - The Night Before Christmas


そうそう、このひとはかっこつけても所詮ネコって所がいいんでございます。
バーのカウンターにしけこんでも、飲んでるのは酒じゃなくてミルクだったりね。
いきなり苦しみ出したと思ったらゲッと毛玉吐いたりね。

ドリームワークスでは現在、この長靴を履いたネコ氏を主人公に据えたスピンオフ作品を製作中でございます。
アメリカでは来年11月公開予定とのこと。一年先でございますね。おそらく日本に来るのはさらに先のことになるのでございましょう。それでも劇場で公開されたらまた観に行ってしまうんだろうなあ。

ドンキーの日本語吹き替えを担当した声優の山寺宏一さんは「ドンキーを主役にしたスピンオフを作って」とおっしゃっているとのこと。ドンキーはそそっかしくて厚かましいけれども憎めない奴で、主人公の相棒としては良キャラクターではございますが、主役を張るにはちとうるさすぎます。むしろワタクシは過激にして愛嬌のあるシュレック版ピノキオを観たいですね。ディズニー映画に対抗するようなブラックなやつをね。

いや、それよりも
それよりも

ランプルのスピンオフを作ってくださいよ!
白雪姫の女王様に高級美容クリームを売りつけたり、赤ずきんのおばあちゃんにセキュリティサービスを持ちかけたり、ブレーメンの音楽隊とエージェント契約したりする話を!
そんなもの誰が観るんだって?
のろが観るんですよ!!

『シュレック フォーエバー』

2010-12-22 | 映画
『シュレック・フォーエバー』字幕版 を観てまいりました。

あっはっは。

とりあえず

ランプルさんサイコー。

作品全体としては良くも悪くも原点回帰といった所。ギャグやストーリーにとりわけ目新しい点はないものの、面白さにおいて大いに失速した前作からは目覚ましい回復を果たし、ひねたキャラクターたちもその魅力を取り戻した感がございます。初日レイトショーでお客さんはまばらでございましたが、客席からはけっこうな頻度で笑い声が上がっておりましたよ。

リセットボタン的にパラレルワールドを持ち出すのは、ずるいと言えばちとずるい。しかしシュレックを「自分が生まれなかった世界」に飛ばしてしまい、彼がこれまでのシリーズを通して培って来たもの(友人たち、愛する人、昔は彼を恐れ嫌っていた人々からの受け入れ)を帳消しにしてしまうことによって、かえってそれらの大切さを浮き彫りにするというのは、なかなか上手い手法ではございました。シリーズ完結編ということを意識してか、いささか「泣かせ」に走りすぎなきらいはございましたけれども、まあ、ランプルさんがものすごく可愛いので何もかもよしとしましょう。

そうそう、ランプルさんですよ。
以前の記事でさんざん申しております通り、ワタクシ、ランプルさんのキャラクター造形には大いに期待しておりました。で、蓋を開けてみたらば、これが高い期待を裏切らぬナイスな外道っぷり。

ちびっこいので、何かあるというといちいちテーブルによじ上って対応するランプルさん。
見かけはいかにもちっぽけで、ソフトで害が無さそうで、そのじつスーパー腹黒い危険人物ときております。
甘い言葉で取引をもちかけ、相手のフトコロにサッと入り込んで利益をむしりとる、そのほれぼれするような狡猾さよ。
抜群のビジネスセンスと自己チューなご性格は権力の座に就いたのちますます冴え渡り、アメとムチを上手に使い分けてしもじもの者どもを支配し、独裁者として君臨するそのライフスタイルは悪役の鑑でございます。
いよいよ追いつめられたと思いきやとっさに活路を見出して逃亡を図るしぶとさも、悪役としては重要なポイント。
その上可愛いときたもんだ。ああ、うっとり。

ランプルの声を演じるウォルト・ドーン氏は俳優でも声優でもなく、ストーリー担当の制作スタッフなのでございますが、本当にうまいですね。(冒頭で出て来るうっとうしいツアーガイドの声もドーン氏。ちなみにしもべの魔女Babaや「吠えろ!」のクソガキを演じているのはマイク・ミッチェル監督)
もちろんはじめから彼がキャスティングされていたわけではなく、当初は他のキャストのように有名俳優を起用する予定でいたとのこと。しかし読み合わせの際にドーン氏が仮にランプル役をつとめているうちに、あまりにも役にはまっているからこのまま行こうじゃん、ということになったらしいです。いや、よかったよかった。おかげでこんなに邪悪で可愛いランプルさんが出来上がりました。その声にピッタリのキュートな外観を作ってくだすったアニメーターの皆様にも、大いに拍手を送りたい所でございます。動作といい豊かな表情といい、スタッフの愛情をひしひしと感じる造形でございました。
最後はそりゃ可哀想でしたけれども、野望が無惨に打ち砕かれるのは悪役の宿命でございますからね。死ななかっただけましというもの。...それともひょっとして、結局あの後「朝ご飯」に供されてしまったのかしらん。いやあああ。

さて、悪役と言えばもう一人忘れちゃならないのが

Shrek 4 - Piper's dance


そう、笛吹き男でございますよ。
どうやらランプルさんとは顔なじみのご様子。どっちもドイツ出身だからでございましょうか。ランプルさん(ルンペルシュティルツヒェン)同様、ハーメルンの笛吹き男もワタクシの大好きなおとぎ話でございますので、4作目にして満を持してのご登場は嬉しいかぎりでございます。衣装が赤もしくはだんだら模様ではないのはちと残念でしたけどね。

会話も全て笛の音色でこなす、というわりと無駄な特技の持ち主である笛吹き男を演じているのは、フルーティストのジェレミー・スタイグさん。何とシュレックのことでご紹介しました「みにくいシュレック」の原作者、ウィリアム・スタイグの息子さんでございます。あんなにノリノリで"Shake your groove thing"を演奏してくれたんじゃ、ドンキーじゃなくても思わず躍り出したくなろうってもんです。それにしてもワタクシ、この曲を聴くと映画『プリシラ』を思い出さずにはいられませんですよ。サンダルドレスのヒューゴ・ウィービングがとってもいかしてたっけなあ。

さておき。
字幕については エッ と思う所もございましたが、いちいち突っ込むのはやめておきましょう。「It's not like she's getting any younger...じきババアですよ」や「Get your mob on!...暴徒のノリで繰り出せ」などはナルホドと膝を打ちたくなる名訳でございましたし。

いや、ひとつだけ言わせてくださいませ。
ランプルがペットの巨大ガチョウ、フィッフィに話しかける台詞が「消えろ」だの「鳴け」だのやたらときつい命令口調に訳されておりまして、ワタクシにはこれがちとひっかかりました。
ウォルト・ドーン氏もインタヴューで語っておいでのように、自己チューなランプルさんもフィッフィのことだけは娘のように可愛がっているんじゃございませんか。自分のことをダディなんて言ったりして。ところが字幕のきつい命令口調では、ランプルが彼女に特別な愛情を注いでいるようには感じられないのですよ。
それに「鳴け」の所なんてあれ、ランプルがフィッフィのHonk(クワッ)という鳴き声を真似しただけであって、別に「鳴け」と命令してるわけじゃありませんでしょう。そう命令する必要もぜんぜんない場面でございますし。

Shrek Forever After: An IMAX 3D Experience TV Spot


ああ、結局いちいち突っ込んでしまった。しかもこんなどうでもいいような所に。何て心が狭いんだ。

まあそんなわけで、例によってあまり主人公サイドには肩入れせずに鑑賞したワタクシではございましたが、ラストではちょっぴり じーん と来てしまいましたですよ。「めでたし、めでたし」ってな、いいもんでございます。最後のシュレックの台詞も泣かせるじゃございませんか。
スピンオフ作品は別として、10年に渡ってひねた笑いを提供してくれたシュレックシリーズもこれにて完結でございます。
さらばシュレック。今までどうもありがとうよ。

Shrek Forever After Featurette - 10 Years


ちなみに本シリーズで一番のブラックジョークは今回「俺が父親だって?!」という台詞を、子供の認知問題で訴訟を起こされたエディ・マーフィに言わせたことではないかと。

オペラ座の怪人のこと

2010-12-18 | 映画
実を申せばオペラ座の怪人が大好きなのでございます。
しかしジェラルド・バトラーをファントムに据えた2004年の映画化作品は、色々思う所もあって今まで未鑑賞でございました。
色々と申しますのは

1.ファントム好きすぎて見るのが辛い。(馬鹿)
2.クリスティーヌを演じるエミー・ロッサムの容貌がのろごのみではない。
3ジェラルド・バトラーの歌に難がある。サントラを聞いたのですが、何とラウルの方が歌が上手い。これはファントムとして致命的ではないかと
4.ミュージカルをそのまま映画にする必要性がいまいち感じられない

などなど。
しかし昨日テレビで劇団四季の皆様による吹き替え板を放送しておりましたので、意を決して観てみました。

うーむ。
音楽はもちろん素晴らしく、映像は評判通り豪華絢爛であって、もとよりこの話が好きなのろはそこそこ楽しめました。しかしもっとテンポの良さや繊細な感情表現に重きを置くなど、映画ならではの見せ方ができたであろうに、音楽をきっちり使うために映画としての脚本・演出がずいぶん犠牲にされたのではないかと。

具体的にがっかりした所をひとつ挙げますと、仮面舞踏会にファントムが現れるシーンでございます。舞台の方では本当に死神が現れたかのような迫力がありますのに、映画ではどうみてもフツーの人間でございます。おまけにラウルはクリスティーヌを置いてどっか行ってしまうし。おーい。抜き身の剣を持った恋敵の前にいとしい婚約者をほっぽり出してどこ行くんですか。武器を取りに行きましたって?はあ、呑気なことで。ファントムも舐められたもんです。もうちょっと恐れてやってくださいよ、オペラ座の幽霊さんを。墓地での対決シーンもしかり、全体的にファントムが普通に露出しすぎな感がございました。舞台での場面設定は舞台上でこそ生きるのであって、そのまま映画に移してしまってはイカンと思うのですよ。ファントムの顔もあれだけハッキリ見せてしまうなら、もっと大々的にクラッシュしていないと「ただ顔の醜さゆえに世間から隠れて生きねばならなかった」という点についての説得力が無いでしょうに。

というわけで
ロイド・ウェーバーのミュージックビデオとして見ればたいへん結構なものではございましたが、映画としてはどうなんでしょう、これ。

とはいえ「ミステリーだ、オペラ座で...」のくだりから、おだてに乗ってカルロッタ復活!までの流れは、ミニー・ドライヴァーの熱演のおかげもあって実によろしうござました。実の所、常にクチビル半開きで「清純」というよりちとアホっぽく見えてしまうクリスティーヌより、鼻持ちならないけれどもどこか愛嬌のあるカルロッタの方を応援したくなってしまいましたですよ。

ジェラルド・バトラーはごついおっさんというイメージがございましたので、白シャツ黒マントのファントム姿がなかなか似合ているのはいい意味で驚きでございました。

まあワタクシにとってファントムといえば声も姿もチャールズ・ダンスがデフォルトなんでございますけどね。これにかなうものは目下の所ございませんのです。
えっ。ロン・チェイニーですか。あれはあれでいいとして。

Phantom of the Opera 1990 - Trailer


↑1990年製作のTV映画より。老支配人を演じるのはバート・ランカスターでございます。
youtubeには日本語字幕付きのものが全編upされております。法的にどうかということは別として、2004年版を見てつまらないとお感じになったかたにはこちらをお勧めしたいのでございます。

最初がこれ。
The Phantom of the Opera 1/21 (1990 Kopit ver.)


続きを見たいかたは phantom opera 1990 で検索してみてくださいまし。

アマデウスのこと

2010-10-18 | 映画
モーツァルトが「少し休もう」と言ったとき、サリエリが「私はちっとも疲れてない、続けよう」と答えますでしょう。あれ、単にモーツァルトを憔悴させるためだったのでございましょうか。それとも、目の前で生み出されていく神の音楽に夢中になるあまり、本当に相手の状態に気付かなかったのでございましょうか。普段の軽薄さのかけらもないモーツァルトと、まるで徒弟のように熱心に、従順に、モーツァルトの指示を譜面に書きつけて行くサリエリ。あの鬼気迫るシーンを見ますと、ただ単にモーツァルト憎しの感情に動かされて「続けよう」と言ったとは思われないのでございます。

というわけで
午前十時の映画祭で『アマデウス ディレクターズカット版』を観てまいりました。180分という上映時間は長いようでございますが、この素晴らしい作品に関して申せば、もっと長くてもいいくらいだとワタクシ思っております。
↓当ブログでの『アマデウス』の記事はこちら。たいしたこと書いてませんけれど。
モ忌 - のろや

ワタクシが前にこのディレクターズカット版を観たのは、みなみ会館においてでございました。老舗ミニシアターと比べるものなんでございますけれども、5年前にできたばかりのTOHOシネマズ二条はさすがに音響がよろしうございます。特に ずん ずん という低音が効いているドン・ジョヴァンニや最後のレクイエムのシーンはたいへん結構でございました。

それから臨席のお客さんがけっこう笑っていらしたのが、ワタクシには新鮮でございました。例えば、サリエリが作った歓迎の曲をモーツァルトが即興で作り替えてしまうシーンなどで。



確かにサリエリの表情といい、調子に乗りすぎなモーツァルトといい、ちゃっかり「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」のフレーズが入っていることといい、改めて見るとコミカルなシーンでございますね。しかしサリエリに少なからず感情移入してしまう我が身としては、笑っていいやら悪いやらといった所。

ところでハリウッドには「F・マーリー・エイブラハム症候群」という言葉があるそうでございます。これはサリエリを演じてアカデミー主演男優賞を受賞したF・マーリー・エイブラハム同様、オスカー受賞後に映画界でのキャリアが低迷する現象を指す言葉なのだそうで。近年ではハル・ベリーやキューバ・グッディングJrあたりもこれにあたると申せましょう。そういえばキム・ベイシンガーも最近さっぱり名前を聞きませんね。ミラ・ソルヴィーノなんてどこ行っちゃったんだろう。エイドリアン・ブロディは最近.....ああ、『プレデターズ』に出てたっけ。.....ううむ。
古くはフェイ・ダナウェイも含まれるこの症候群、こうして見るとけっこう根深いものがございます。一方当のエイブラハム氏ご本人は『アマデウス』後、主に舞台俳優として活動なさっていることもあってか、映画界におけるキャリア低迷は別に気にしていらっしゃらないご様子。これまた笑っていいやら悪いやら。


『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』

2010-10-12 | 映画
『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』を観てまいりました。 実話を基にした作品で、タイトル通りのスパイものでございます。スパイと言えば冷戦ってなもんで、舞台はソ連。と申しましても、西側諸国からソビエトに侵入した切れ者エージェントがあの手この手で諜報活動をする、というようなお話ではございません。主人公のグリゴリエフ大佐はKGBの重要なポストに就いているれっきとしたロシア人でございます。妻があり、息子があり、そこそこ居心地のいい家もある。そんな身でありながら、国家の機密情報を持ち出しては密かに敵国フランスの情報局へと渡すという、銃殺隊がお待ちかね級のスパイ行為を何度も遂行するのでございます。

実話に基づいているだけあって、銃撃戦もなければ変装もカーチェイスもなくひたすら書類や図面をかすめ取っては運び人に渡すというグリゴリエフのスパイ活動はいたって地味。その分、日常生活と隣り合わせになったリアルな緊迫感がございました。屋内での会話は盗聴されているのが前提、外国人やその家族には当たり前のように監視人がついて身辺を探るというとんでもない監視社会のただ中で、危険を冒して情報を流し続けるグリゴリエフ。コードネームは「フェアウェル(さらば)」。



情報を「売る」ではなく「流す」と申しました。もしもばれたら命はないというほどの危険を背負っているにもかかわらず、グリゴリエフは報酬を求めません。フランスの諜報局からいくら欲しいと尋ねられても「お前らときたらすぐ金銭の話だな」と、ここは実に共産主義国の人らしいセリフで一蹴。では、いったい何のために? 「かつてこの国は素晴らしかった。だが今では行き詰まってる。体制を変えなきゃならない」スパイでもなんでもないのにひょんな事から「運び人」になってしまったフランス人技師のピエールに、グリゴリエフは言います。「俺は間に合わないが、息子は新しい世界で生きてほしい」

その息子はといえば反抗期まっ盛りで、親爺との仲はあまりかんばしくございません。ろくに顔も合わせず、言うことなすことにつっかかり、まさに家庭内冷戦状態。それでも、日常においてはなんとか息子と仲良くやろうとし、陰では何よりも息子の将来を思って、命をかけたスパイ活動を続けるグリゴリエフとうちゃん。孤独で不器用なその姿はいじらしくもあり、また哀しくもあるのでございました。かくのごとく本作は、20世紀最大級の情報漏洩事件とも称されるグリゴリエフのスパイ活動、およびその情報を受け取る米・仏の思惑という歴史上の動きを縦糸に、グリゴリエフと家族の関係という繊細な横糸を織り交ぜながら進んでまいります。

グリゴリエフを演じるのは何とまあ、のろの大好きなエミール・クストリッツァ監督でございます。無骨を絵に描いたような風貌はもとよりもっさりしたヘアスタイルもそのままに、KGB幹部やスパイである以前に一人の不器用な父親であり、頑固なまでにロマンチストでもある男を映画初主演とは思えぬ存在感で演じております。感情を抑えた演技であっただけに、最後に息子を固く抱擁するシーンでは期せずして涙がこぼれましたですよ。ううむ渋い、渋いよカントク。しかしこの人相で『黒猫・白猫』や『ウェディングベルを鳴らせ!』のようなハッピードタバタコメディを撮ったりするんですから,人間見かけでは分からぬものでございます。



平凡な技師でありながら世界を揺るがすスパイ事件に巻き込まれて行くピエールを演じるのは、クストリッツァとは対照的にソフトな風貌のギヨーム・カネ。妻や幼い子供たちのことを思えば、危険な運び人の役割からは一刻も早く身を引きたい。その一方でグリゴリエフの人柄や真摯な思いに惹かれ、葛藤を抱きながらも最後まで協力を続ける心優しい「ど素人スパイ」を好演しております。

世界を変えるなんてたわごとだと言い、面倒に巻き込まれることを嫌がっていたピエールがしぶしぶながらも協力を続けたのは、不器用な夫/父親であるグリゴリエフという個人に対して友情めいたものを抱き、息子のためによい世界を残してやりたいという彼の願いに感じる所があったからであり、国家やイデオロギーといった大仰なもののためではございませんでした。

しかし哀しい哉、スパイ活動の突端にいる彼らの間でどんな繊細な感情の往来があったとしても、情報の受け取り手である大国のお偉いさんたちにとっては、グリゴリエフは情報源のひとつに過ぎません。さんざん利用した挙句に彼を見捨てるCIAの長官を演じるのはウィレム・般若顔・デフォー。本作にはミッテランやレーガン、ゴルビーといったまさに国を動かす大物(の、そっくりさん、もちろん)も登場いたしますが、政治というもの-------今をときめく哲学者コント=スポンヴィルが、かの明晰さで「愛や道徳とは全く別の秩序に属するもの」と論じた-------を体現しているのは、むしろこの般若デフォー長官でございましょう。

『資本主義に徳はあるか』アンドレ・コント=スポンヴィル著 紀伊国屋書店 2006

結局グリゴリエフは超大国の政治に利用されただけだったのでございましょうか。
いえいえそうではございません。たとえ政治の非情さに絡めとられ、歴史の狭間に消えていく運命であることを知っていたとしても、グリゴリエフはやはり同じ道を選んだことでございましょう。それが愛するもののためにできる最大のことだったからでございます。彼の潔い生き様は、劇中で度々口にする「狼の死」という詩の中で、子どもたちを逃がすために犠牲となる父狼の姿にも重なり、観客の心に深い余韻を残すのでございました。



ランプルさんのこと

2010-10-06 | 映画
先日ご紹介したランプルスティルスキンさん(映画の表記に従ってこちらの名で呼びます)、何とご自身のウェブサイトをお持ちのようです。
 


まさかねと思いつつも”rumpeldeals.com”で検索してみましたら、これが本当にあるじゃございませんか。
さっそく覗いてみると...



超悪趣味
BGMにはディスコ風にアレンジされたバッハの「小フーガト短調」が流れております。映画のサントラに使われている曲らしいのですが、いったいどんなシーンで流れるのやら、ものすごく気になる所でございます。

マイク・ミッチェル監督が言うことには、ランプルさんのキャラをひと言で表すと「宝くじで2億円当たったものの使い道がいまいち分かってない奴」なのだそうで。要するに成金でございますね。してみれば、このサイトの趣味の悪さも彼の成金テイストがいかんなく発揮された結果と申せましょう。

お買い得な冥王星の物件情報や、借金で首が回らない人向けの金策、「あなたの財産を3倍に増やす方法」などを紹介してくれるとっても楽しいサイトでございますので、ぜひ一度覗いてあちこちクリックしてみてくださいませ。何度行っても「あなたは100万人目の訪問者です!」とお祝いしてもらえますよ。
ただし冒頭にご紹介したビデオの最後にえらい速さで流れるサイト利用規約によると、閲覧者は「所持するすべての土地、金、ユニコーン、ならびに初子の所有権」をランプル側に譲渡せねばならないようでございます。実直に生きたいかたやこれからご出産のご予定があるかたは近づかない方がいいかもしれませんね。ワタクシはむしられるような財産もございませんので大いに遊ばせていただきましたとも。「ランプルとお友達になりたい?」と聞いて来たのでYESをクリックすると、ランプルさんのフェイスブック↓に飛びました。下から3番目の「億万長者も運動しなきゃね」エントリがツボ。

Rumpeldeals.com | Facebook

プロフィールより
政治傾向:マキャベリズム
趣味:お金儲け(言うまでもなく)、あとポーカーとか、賭け事全般。砂山をバギーで走り回るのも好き。
愛読書:『強欲なのはいいことだ』(もちろんおいらが書いた本)
    『内なる”やり手”を解き放て』(これもおいらが書いた本)

どうです、制作スタッフの並々ならぬ愛情を感じるではございませんか。単発悪役の分際でこんなに色々してもらえたキャラクターが今まであったかしらん。
では最後に再びランプルさんのほれぼれするような巻き舌とキュートな”怒りのウイッグ”姿をどうぞ。ゼペット爺さんを売ろうとする最低ピノキオもナイスでございます。



かわいい。かわいすぎる。しかも邪悪だ。その上お茶目だ。かてて加えて巻き舌だ。これ以上何を望んだらいいのか。
ああこうやってまた悪役に惚れてしまうのだな。




シュレックのこと

2010-10-03 | 映画
本日は
ウィリアム・スタイグの命日でございます。

誰だか知らんって。
ええ、ワタクシも存じませんでしたが、映画『シュレック』の原作となった絵本『みにくいシュレック』の作者さんでございます。2003年、95歳で老衰のため死去ということでございますから、大往生と申せましょう。

で、シュレック。
再三申しておりますように、ワタクシこのシリーズの4作目が公開されたら劇場に足を運ぶつもりではありますが、作品の出来にはいささかの不安を抱いております。ストーリーもギャグも全てにおいて薄味であった全作『シュレック3』に、少なからずがっかりさせられたからでございます。中でも最も残念だったのは悪役の物足りなさでございまして、これについては以前当ブログでくだくだ述べさせていただきました。
『シュレック3』 - のろや

エンターテイメント作品は悪役がキモでございます。
最新作でもワタクシが一番気にかけておりましたのは悪役のキャスティングでございます。今回の悪役は...



ルンペルシュティルツヒェン!おおっとこいつぁ期待できそうだ!
しかも



巻き舌!!
いいですね。くらっと来ますね。

ルンペルシュティルツヒェンという奴は要するに、ドイツ版「大工と鬼六」の鬼六でございます。
かいつまんで申しますとこんなお話。
難題を仰せつかって困っている娘が不思議な小人に助けてもらい、王様と結婚する。数年後、王子を授かった所へ小人がまた現れて、三日の間に自分の名前を当てられなかったら、あの時の代償として生まれたばかりの王子をもらって行くと告げる。八方手を尽くしても小人の名前は突き止められず、絶望する王妃。そこへ王様が外出から帰って来て、山の中で「おいらの名前はルンペルシュティルツヒェ~ン♪」と歌っている変な小人(ああ馬鹿)を見かけたと言う。さてその晩小人がやって来て、
「そんじゃ名前を当ててみな。3回だけチャンスをやるよ」
「ええと...カールかしら?」
「はい~はずれ~。あと2回」
「それなら、ハンスかしら?」
「ブッブー。あと1回ねキヒヒ」
「お前の名前はルンペルシュティルツヒェンだあ!!」
「うっきゃーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!
というわけで、ルンペルシュティルツヒェンは悔しさのあまり自分の身体を引き裂いて死んでしまいましたとさ。
めでたし、めでたし。

子供をよこせというルンペルもまあひどいのですが、わざと間違えてルンペルの期待をあおる王妃様もたいがいなご性格の持ち主ではあります。

しかしどうです、「人の苦境につけ込んで恐ろしい契約を交わす」という悪の古典ともいうべき卑劣行為を演じてくれる、とはいえちょっと間抜けなルンペルシュティルツヒェン。シュレックシリーズ最後の悪役としては大いに期待が持てるではございませんか。

ちなみに「ルンペルシュティルツヒェン」はドイツ語読みでございます。英語圏では「ランプルシュティルスキン」となるらしく、『シュレック4』ではこの名前で紹介されております。またこのルンペル氏は挿絵などによく見られる、白いあご髭を垂らした老人という従来のイメージよりも大分若作りでございます。これはおそらく、
・爺さまにすると容貌が邪悪になりすぎるおそれがある
・爺さまが王位についても「これから先ずっとこいつの天下が続く」という危機感がない(ぶっちゃけた話、数年の辛抱)
・いくら邪悪な爺さまでも、ご老体をこてんぱんに痛めつけてハッピーエンドというのは絵的によろしくない
以上の理由からかではないかと。

若作りの理由はどうあれ、トレーラーを見るかぎりではこのルンペル、憎々しい表情といい、TVショッピングさながらのソフトでうさんくさい喋り方といい、王になったとたんにロココ調の衣装に身を固めてカツラまでかぶり出す調子の良さといい、悪役として実に魅力あるキャラクターとなっております。映画よりもトレーラーの方が面白かったという現象は往々にしてあることなので期待しすぎるのは禁物とはいえ、ワタクシとしては魅力的な悪役を見かけるとワクワクせずにはいられないのでございます。
ああ楽しみだ『ルンペルシュティルツヒェン』。じゃないや『シュレック4』。

『大脱走』

2010-09-04 | 映画
ゲシュタポ「いい旅を」
マクドナルド「ありがとう」
のろ「うわあああああああああ!」


というわけで

TOHOシネマズの午前十時の映画祭で『大脱走』を観てまいりました。

1年間に渡って往年の名作映画を上映するというこの素晴らしい企画において、ワタクシが最も楽しみにしていたのが『羊たちの沈黙』と『大脱走』でございます。この2作品を大スクリーンで観られるとは。もはや死んでも思い残すことはないや。
とはいっても来月には『第三の男』や『アマデウス』が控えているし、バスター・キートン作品を劇場で観る機会にはまだ恵まれていないし、マーク・ストロングの出演作がこれから続々公開されることだし、4年後のワールドカップブラジル大会にクローゼが出場するかどうか大変気にかかっていることだから、やっぱりまだ死ねないや。

それにしてもこの企画のサブタイトルである「何度見てもすごい50本」という言葉は全く本当のことでございますね。いいものは何度観てもいいもんでございます。のろはおそらく『羊たちの沈黙』を通しで20回以上は鑑賞しておりますが、どういうタイミングでどんな展開が待ち受けているかがよく分かっていてもなお、手に汗握ってしまうのでございますよ。
『大脱走』でも、捕まってしまうことが分かっていても、バイクで疾走するマックイーンや町中を逃げ回るリチャード・アッテンボローを全力で応援してしまうのでございますよ。ううむ、DVD欲しくなってきた。

大脱走 予告編 (日本版・DVD用)



コミカルな場面、シリアスな場面、どこを取っても名シーンの連続という作品ゆえ、観るたびごとに新たな魅力がございます。今回とりわけ印象に残ったのは、トンネルから出た土の「処理屋」であるアシュレーが死ぬシーンでござました。
司令塔として数々の脱走を指揮してきたロジャー(リチャード・アッテンボロー)と彼の右腕のマクドナルド(ゴードン・ジャクソン)がゲシュタポに捕えられそうになった時、自らゲシュタポの注意を引き付けて射殺されるアシュレー(デヴィッド・マッカラム)。
駅の検問でゲシュタポがロジャーに気付く、アシュレーがそいつに飛びかかる、騒然とする民間人たち、混乱に紛れて脱出するロジャーとマクドナルド、「そこをどけ!」というゲシュタポの怒号で一斉に伏せた人々の間をただ一人逃げ走るアシュレー、銃声、倒れる、転げる、ホームから線路の上によろよろと倒れ込んで息絶える。
素晴らしい演出に、デヴィッド・マッカラムの可憐な風貌も相まって、まことに鮮烈でございました。

しかしまあ、この映画は何と言ってもスティーヴ・マックイーンでございましょう。
学生の時、バイク乗りでマックイーン好きの先輩は「女との絡みがあってこそのマックイーンだ。故に『大脱走』での奴はイマイチである」とおっしゃっておいででした。(ちなみに先輩のイチ押しは『華麗なる賭け』)しかしワタクシとしてはやっぱり、マックイーンがいっとうカッコイイのは『大脱走』なのでございます。「狂ってる」と評されるほどの輝かしい脱走歴を誇るマックイーン、敵兵から奪ったバイクで牧草地をひた走るマックイーン、大脱走マーチに乗って意気揚々と独房へ行進するマックイーン、そして懲りた様子もさらさらなく、泥だらけ傷だらけの顔で、またも独房の壁を相手にキャッチボールを繰り返すマックイーン。先輩にゃ悪うござますが、スーツ姿の銀行強盗マックイーンよりもこっちのがずうっと男前だと思いますよ。

というわけで、帰り道ではすっかりマックイーン気分で自転車のハンドルを握り、無駄にあっちこっち見回しながら道を渡ったりしておりました。ええ、馬鹿なもので。


字幕枠の将来

2010-08-31 | 映画
ヒックとドラゴン、その妻と愛人

すみません。

さておき
結局『ヒックとドラゴン』も、京都では吹き替え版しか上映しなかったのでございました。
3D上映というシロモノが大々的に復活して以来、外来アニメ映画枠の多くは字幕か吹き替えかではなく、3Dか2Dかの選択になってしまいました。『シュレック』の4作目も3Dと聞いております。前作『シュレック3』で少なからずがっかりさせられたのろではありますが、全シリーズを劇場で鑑賞していてそれなりに愛着のある作品でございますので、出来はどうあれ観に行ってやろう思ってはおりました。が、他のアニメ映画同様に吹き替え版しか上映しないのであれば話は別でございます。残念ながら『ヒック~』や『コララインとボタンの魔女』と並んで、10年来の付き合いということになるこの作品もまた、のろの旧作レンタル待ちリストに加わることになりましょう。

まあ、アニメーションの声はどっちみち「吹き込み」なので、吹き替えで観たっていいといえばいいんでございますが、せっかくならオリジナルの語調や音感も楽しみたいのでございます。とりわけ『シュレック』の場合は吹き替えの酷さに定評がございますし。

3D映画がより隆盛になったら、実写映画でもこうしたこと、即ち3D吹き替えか2D吹き替えの二択のみで字幕枠はなし、という事態が生じるのではないかと心配しております。実際、今年の前半に公開された『アリス・イン・ワンダーランド』などは字幕よりも吹き替え上映の方が多かったのだそうで。
「若者の字幕離れ」という言葉も目にする昨今ではございます。最近の若い者は字幕が読めない、という説が正しいかどうかは存じませんが、この言葉をここ数年のアニメ映画の上映状況や、猫も杓子も3Dな世の中の趨勢と並べてみますと、のろの心配もあながち杞憂とは言えないような気がしてくるのでございました。




『インセプション』

2010-08-14 | 映画
『ダークナイト』をDVDで鑑賞して、劇場に足を運ばなかったことを後悔したのろ。
今回は見逃さじと、ノーラン監督の新作『インセプション』を観てまいりました。

うーむ、面白い。ちと長いけれども。

長いといってもダラダラ無駄な長さではございませんで、色々なことを丁寧に描いた結果、長尺になってしまったという感じ。色々なこと、というのは、夢世界における仕様であったり、夢に侵入して埋め込みをするための綿密な計画であったり、ターゲットである大会社の御曹司とその父親との関係であったり、主人公デカプリオが抱える葛藤であったり。
予告編ではSFアクションや犯罪映画といった印象でございますが、実際は人間ドラマとしての側面も色濃い作品でございました。こうした諸々のことをばっさり刈り込んでしまえばスカッと100分アクション映画ができたかもしれませんけれども、突っ込みどころも倍増していたことでございましょう。単なるSFアクション映画以上のものを作りたい、という監督の志あってこその148分かと。

インセプション予告編


長尺ながらも各シーンは緊張感が続いてだれることはなく、夢の中の映像も見ごたえがございました。ブルースクリーンを一切使わずに撮影されたというのが信じられないほどの迫力、かつ、なかなかに独創的な絵でございます。ワタクシが特に気に入ったのはパリの街頭で、ごく平穏な様子の人々をよそに、店頭のものや窓ガラスが次々に砕け散るシーン。壮麗でございました。

夢に侵入してアイディアを盗む・埋め込む、という筋は、それに伴う細々とした設定も含めて楽しめましたし、登場人物もチームリーダーのコブ(デカプリオ)、冷静沈着な相棒アーサー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)、イージーゴーイングな「偽造師」イームス(トム・ハーディ)、フツーの女の子と思いきや「設計士」として凄腕を発揮するアリアドネ(エレン・ペイジ)と、一人一人の個性がつぶ立っていて魅力的でございます。
おおっ今気付いた!イームスって『ロックンローラ』のハンサム・ボブかい!そういえばあの にへっ とした笑いには見覚えがあるや。ごつくなってて分からなかった。ごつくなってといえば、デカプリオは相変わらず童顔で損をしているような気がいたします。『ワールド・オブ・ライズ』でもそうでしたが、タフな感じの体格を作ってもいまいち説得力に欠ける所があるというか。あとターゲット役のキリアン・マーフィ、この人は控えめな演技がたいへん上手いですね。『プルートで朝食を』のはじけた演技も結構でしたが、本領は本作のような地味めな役ではないかと。

ケンワタナベもかっこよかったですよ。わざとらしかったけれども。まあ、わざとらしくならざるをえないような役ではございましたし、監督から「007のように演じてほしい」という注文を出されていたそうなので、あれでいいんでございましょう。そして一番かっこよかったのは、ケンワタナベよりもデカプリオよりも、無重力状態の中で孤軍奮闘するジョセフ・ゴードン=レヴィット。あれはいい。イームスとの掛け合いも楽しうございました。それにしてもマイケル・ケインやピート・ポスルスウェイトをチョイ役で使うとは、何と贅沢なキャスティングでございましょうか。いやピートじいちゃんはそもそも端役が多いか。



夢の中ではコレをこうするとこうなるよ、というこの作品独自の世界設定がある上、2層、3層と夢の深部に降りて行き、それぞれの層において遂行されるミッションが同時進行で描かれる、しかもそこにコブの過去がからんでくるという複雑な構造ゆえ、ついて行くのが大変な所もございましたけれども、その複雑な展開をどうまとめるのかもひとつの見どころ。夢の階層を一つ降りるたびに仲間が一人減って行き、時間の流れは遅く(←訂正。時間の流れ自体は速くなるのでした)なり、最終的にあの人とこの人だけが荒涼とした無意識の最下層で対面する、という落とし方には、ううむナルホドと唸りましたですよ。 

ただ、ワタクシが迫力ある映像とスピィーディーな展開に目を奪われつつも、時間を忘れるほどにはのめり込めなかったのは、上述のようにワタクシの頭がついて行けない部分があったのと、どうしてもノーラン監督の前作『ダークナイト』と比べてしまう所があったからかと存じます。『ダークナイト』はジョーカーという突出したキャラクターはもとより、観る者の倫理観に揺さぶりをかける展開が素晴らしかったので、つい同じような揺さぶり型の展開を期待してしまったようでございます。

ともあれ、話も映像も人物造形も完成度が高い作品でございました。話がしっかりしているので、劇場で観ないと面白さ半減という類のものではございませんが、あの迫力はぜひとも劇場の大スクリーンで体感することをお勧めいたします。

追悼デニス・ホッパー

2010-06-01 | 映画
『CUBE』や『SAW』のような密室殺人ゲームに閉じ込められ、脱出の手段が見つからぬまま周りの人がひとりまたひとりと死んで行き、息を殺してああどうすればいいのかと焦っている所へモーガン・フリーマンが助けにやってきて、みんなを解放した上にゲームの卑劣なからくりを解き明かしてくれる
という夢を見ました。

まあそれはそれとして、夜が明けるとデニス・ホッパーが亡くなっておりました。

のろは「余命わずか」と平気で言い立てる報道の無神経さにはむかっ腹を立てながらも、ハリウッドの「ウォーク・オブ・フェイム」入りを祝う式典で姿を見せたこの不良オヤジの、別人のようなやつれぶりにぎょっとして「確かにこれは...」と思ってしまった覚えがございます。
振り返ればあれからたった2カ月、本当にわずかな時間で鬼籍に入っておしまいんなりました。74歳という年齢は決して早世とは申せませんけれども、この年齢だからこそできる役がたくさんあったはずと思うと、惜しいの一言でございます。

レンタル店の名作コーナーにタイトルを連ねる作品から「スペース・トラッカー」や「魔界世紀ハリウッド」のようなB級バカ映画(いや、ワタクシは好きですが)まで幅広い作品に出演していらしたホッパー親爺、中でも代表作といったらやはり「イージー・ライダー」と「ブルー・ベルベット」になりましょうけれど、ワタクシが観た中で最も強烈な印象を受けたのは「パリス・トラウト」でございます。鼻持ちならない人種差別主義者で、妻を精神的にも肉体的にも虐待し、はては猜疑心をつのらせて次第に狂気へと近づいていく男、パリス・トラウトを演じたホッパー親爺、まことに鬼気迫るものがございました。ついでに申せばもの静かで理知的な弁護士エド・ハリスもまことに結構でございました。

Paris Trout (1991)


さても、デニス・ホッパー。
のろは映画の中では変人か頑固者(あるいはその両方)の姿しか見た事がございませんでしたし、映画の外では、これまたあんまり穏やかならざる人らしいことを聞き知っておりました。だから、というのも何でございますが、氏に写真家や画家という側面のあることを知った時には驚いたものでございました。
しかもその作品は単に趣味や手なぐさみというレベルではなく、実にいいのでございますよ。
↓こちらで少し見ることができます。おおむね60年代の作品のようです。

Dennis Hopper on artnet


いいでしょう。
だけどこんな写真を撮った人も、もういなくなってしまいました。
チャーリー・パーカー好きの殺し屋も、宇宙のトラック野郎もいなくなってしまいました。
さようなら。
安らかなれかし、魂なるものがあるならば。