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「墓終い」から1年経って

2021年03月21日 | 住まい、場所

昨年3月 「墓終い」をし、墓地の移転を。

そして 菩提寺の一角に新たに石碑を建立。

住職に「永代供養」を依頼しました。

 

元は代々の先祖の墓が40基ほど並ぶ墓地でした。

裏山の小高い場所にあり、歩いて5分ほどの距離。

急な坂と未舗装の道は、雨が降ると歩きにくいもの。

そのうえ 周囲から迫る竹や雑草の処理に追われる彼岸・お盆時期。

かみさんや東京に住む4人の娘たちにはできない「力仕事」。

 

数年悩んだ末に、墓の移転を決意。

体力急降下や「認知症」発症の前の大きな「宿題」。

信仰心の薄い私たち夫婦を決意させた菩提寺の住職の一言。

「子孫がルーツを訪ね、手を合わせる対象が必要なのでは?」

 

「昔と変わって、今の時代は墓はオープンなもの!」とも。

結婚後 姓が変わった娘や孫や親戚であれば、入れる時代らしい。

直系の家族以外は受け入れられなかった時代も、変化を。

 

        

 

新しい石碑の形は、自分自らデザイン。

墓らしくない石碑をイメージし、簡単なパースを描きました。

絵心のない私の意図を汲み、専門業者が図面を起こしたもの。

「〇〇家の墓」でなく、「安寧」の言葉を刻んでもらいました。

 

この「墓終い」から「開眼供養」後に起きた心の変化は・・。

数年前、旧い家を解体し、新築した時とは異なる感覚が生まれたのです。

家の新築は、「光」や「解放感」による生活の変化。

新しい石碑建立は、なぜか「安心感」「安堵感」を生んだのです。

与えられた「墓地」ではなく、自らの「安住の地」を作った感覚。

 

     

 

「永代供養」をお願いした菩提寺の「護持会長」を拝命したのも同時期。

檀家の長老や若手の地区総代から「みんなで支えるから受けて欲しい」と。

躊躇したものの、結局 受諾。

 

先代の護持会長は地区の名士。いきなり二世代飛んでの「若手?」の私。

護持会運営方法の初歩も知らない私が、20人の地区総代のまとめ役です。

職場では最高齢の私が、護持会では長老の末席に。

 

春になり、田んぼの準備や生えだした雑草の草刈りも始まります。

一日の時間経過は遅く感じるものの、1年はあっという間の高齢者です。

 

画像   桜   母親が次女の生まれた年に植えたもの  樹齢35歳

     石碑  菩提寺に建立したもの

     江湖  数年前の菩提寺の跡目相続式 お坊さんが50人集合

 


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