今朝から、大音量でCDを聴いています。
聴きたかったのは、チャイコフスキーの「悲愴」。
フェドセーエフ指揮のモスクワ放送交響楽団。
次の17日の土曜日、母校の岡山大学交響楽団の定期演奏会です。
場所は、岡山シンフォニーホール。
そのメインの曲が「悲愴」。母校のこの曲の演奏を40年ぶりに聴けます。
(この曲そのものは、何回か演奏はしているらしいのですが。)
この曲を聴くと必ず、思い出すことがあります。
40年前の大学2年生の時の定期演奏会。
第4楽章のバイオリンパートの女性たちの「涙」。
私たちのコントラバスパートから、ファーストバイオリンのメンバーの顔がよく見えます。
速い3楽章から、ゆっくりした4楽章に移ります。
テンポとダイナミックスが揺れるので、指揮をよく見ようとすると、なんと泣きながら、
バイオリンを弾いている「お姉さま」たちが目に入りました。
暗く、それでいて情熱的な弦楽器。
気持ちがよくわかります。もういけません、私まで「伝染」。
曲想と相まって、感情的(?)な演奏。本番ならではの出来事です。
聴衆を感動させるのではなく、演奏者が感動しています。
プロでは絶対ないこと、アマチュアならではのステージです。
指揮者の保科先生得意の「保科節(ぶし)」。
大きくテンポ揺らし、「うたい」あげます。真骨頂です。まだ30歳前後の先生。
しかし、「人生の機微」を表現します。
定期演奏会は、4年生にとってみると、最後の演奏会。
いろいろな想いがあったのでしょう。
でも泣きながら演奏している姿は、あの演奏会1回こっきり。
その「悲愴」を後輩たちが演奏します。
かみさんとチェロを学ぶ高校生の四女と一緒に聴くつもりです。
思い出すだけで「胸がつまる」この曲。
親父の「涙もろさ」を見せないよう、家族の前ではやせがまんの覚悟。
こんな感動を体感できる「音楽」の素晴らしさを多くの人に知ってほしいもの。
「生演奏」は最高です。
何せ86歳のクラシックを知らない「大正」生まれの母親でさえ感動するのですから。
画像 現役生の練習風景(昨年後輩たちの練習を聴きに行きました)
定演のチラシ(喫茶 東京の文字が懐かしい、冷蔵庫に貼っています)
私は歌うのは全然だめなんです。営業でしたが、カラオケは言い訳しながら避けてきました。歌える人がうらやましいと思っています。
いなかは、最初周囲が遠慮して何も言わず、何でもOKです。しかし 今までのルールや慣例を外すと強力なしっぺ返しがあるそうです。そこを理解しながら一歩づつ進んで行きます。
杜しまさん
学生時代、岡山から大阪のホールに急行(今の快速?)で数時間かけ、レニングラードを聴きに行きました。ムラヴィンスキーでなく、代役のヤンソンスでした。チャイコフスキーとショスタコーヴィッチの5番です。ショスタコの方が強烈でした。金管の鋭さと柔らかさ、両方の表現に驚いた記憶があります。
演奏会楽しみですね。
うん、悲愴、ロシア製交響曲の唯一の傑作ですね。
私はなまでは、昭和40年代後期にムラヴィンスキー+レニングラードフィルの来日公演を仙台で聞きました。
特に第1楽章の終盤、トロンボーンが最低音まで下がっていく咆哮のすさまじさにまさに鳥肌がたちました。全体に端正な演奏の中で「おらの出番だ さあいくぞ どうだっ」という感じでした。
その衝撃で他の曲目がなんだったかおぼえていません。
1枚だけ持っているこの曲のLPは同じメンバーの独グラモフォンの古い録音ですが鮮度は落ちていません。
それにしても演奏しながら泣けてきた経験、音楽家ではない私も経験してその後「男声合唱」にはまっています。貴兄と同様(多分同じ会社)音楽の町に骨を埋める覚悟をして、浜松の市制90周年の記念イベントでオルフの「カルミナブラーナ」を合唱しながら感動の余り泣けてきたのを思い出しました。
音楽を通じての感動物語、いい話ですね。