あと数日で、父親の命日です。
58歳の若さで交通事故でなくなった父親です。もう30年近くになります。
ガードレールの間から転落して、脳挫傷で亡くなりました。
雨の日の出来事です。自損事故でした。
当時 義務ではなかったのですが、もしシートベルトをしていたら・・・と思います。
田舎の議員として、地元の相談ごとに訪問の帰りでした。
当時私は、30歳を過ぎながら、独身でした。
そのため嫁探しに母親と奔走していたようです。
親は何時までもいるものだと錯覚していて、結婚に耳を貸さなかった私です。
ただ 義務的に見合いだけはしていました。
遊びにきた従兄弟の子供をじっと見ていた父親のことを思い出します。
親の気持ちを考えたこともない「幼さ」です。
かみさんや孫の顔を見せられなかった後悔の念があります。
そのためかどうか、私と10歳近く離れた妹を特に可愛がっていました。
シャイだった父親は、酔った振りをして、妹に冗談を言います。
酒に弱く、あまり飲んでなくても真っ赤な顔です。
9人兄弟の長男に生まれ、祖父と一緒に、弟妹の面倒を見てきました。
最寄駅から田舎の食材をみかんの木箱に詰め、弟達に発送する父親を覚えています。
宅配便などない時代で、国鉄の貨物の利用です。
自家用車の普及以前、オートバイで通勤です。何台も乗り換えていたようです。
そのおかげで高校生からオートバイに乗ることを許してもらい、125ccのホンダで
通学です。暴走族ではありませんが、スピードは快感です。
大学入学後、オーケストラに入部し、学校訪問演奏会でふるさと新見市を訪れました。
市内の小学校に多くの子供達が聴きに来てくれました。
そのときオケ仲間の昼食に、「チラシ寿司」を数十人前作り、届けてくれました。
母親が作り、父親が運んでくれたのです。
その時のミニコンサートの写真と、学校の先生のお礼の手紙を母親は保存しているらしい。
結婚後四人の娘を授かりました。
父親は娘達の存在や成長を知らないのですが、生きていれば喜んでくれたでしょう。
家族や仕事や世の中のことをもっと話したかったと、最近ちょっとしんみり。
もう父親の亡くなった年齢を越しました。
画像 SL(新見駅近くの布原付近1970年頃、母親は結婚前は国鉄に勤務)
http://www.shimonoseki-cu.ac.jp/~nishida/SL055-23.htmより
新見駅・石蟹駅で荷物を送っていました。
ホンダ ベンリイ(高校~大学時代乗っていたオートバイ)
http://wing.zero.ad.jp/~zas90507/triton/C92.htmより
大学時代アルバイトで市政だより(広報誌)を配達していました。
いいお話ですね、朝っぱらからじ~んとしちゃいました。自分の両親は既にいませんが、亡くなってから本当に親のありがたみを実感しました。特に父親とはもっと話をしておけばよかったと今になってつくづく後悔しております。今年もまた夏にお墓参りで田舎に帰ります。
同じ想いですね。男同士でもっといろいろ話したかったと思います。母親に人生相談をするわけには、いきません。
子供ができて、こんな想いをするのかがわかり、ありがたさを感じます。お墓参りをされるとのことですが、最近お墓に行かない人が増えているそうです。生きている意味合いは,DNAを残すことだと思います。先祖に感謝なくして、子孫の繁栄はないとも思います。
私の義父も結婚した時には既にいませんでした。
会って話をしたかったし、子供たちを見てもらいたかったのに。。
せめて、自分の両親を大切にしなくてはと思います。
SLもバイクも、撮った人の愛着を感じるいい写真ですね。
かみさんも私の父親を写真でしか知りません。多分同じように話をしたかったのかもしれません。もう少し私の決断が早ければ、結婚を報告し、祝ってもらえてのでしょうが。
画像は、古いものを大切に思う方々の写真をお借りしました。おっしゃるように、愛着が感じられます。
“スリム”なったこばちゃんです。
さてこのブログを読ませていただき、今の僕の実家の現状を考えた時にしみじみ考えさせられました。
昨年の同時期にした父の大手術。 いまになってそのときにしわ寄せが体に詰め寄り、手のひらを返したように調子が下降しています。 とても心配です。
そんな父も僕たち兄妹の孫の顔は飽きるほど見たと思いますが、僕の長男と妹の長女は早ければあと数年で僕たちの孫を作ってもおかしくない歳になりました。
長男、長女の結婚式。
ひ孫達の顔も、もう少しがんばってくれれば見ることが可能なのです。
まず僕たちはそんな父に対して家族として、息子、娘として喜んでくれることをしてあげたいと思っています。 後で僕自身が後悔しないために・・・
今回のブログを読ませていただきいろいろ考えさせられました。
お父さんのこと心配ですね。体力の低下があるのでしょう。歳をとってからの手術は。引っ越し後の、お母さんは、もっと心配されているのでしょう。元気づけてあげてください。
私も父親の分まで、母親に親孝行をしなければと思います。口が達者でこれで85歳かと思うこともありますが。
私の母は、母が中学の頃に母親を病気で亡くし
母が成人する前に、やはり父親も亡くしました。
なので、母が結婚するときには
両親共に、この世にはいませんでした。
口数の多くない母ですが、たま~に
「自分の親に、この人と結婚します。と報告がしたかった。
この子が、私の子供です。と見て欲しかった。」とつぶやくように、私に言います。
それは、今現在、娘の私が、母の近くに暮らし
母から見たら、夫とも仲良く子供にも恵まれ暮らしている私を目の当りにして
自分も、親に見て欲しかった、としみじみ感じているのだと思います。
親がいてくれることの、ありがたさ、
逆に、子供がいてくれることの、ありがたさ、
両方、忘れがちですが
ベース弾きさんのブログを読ませていただき、何か、基本的なことをあらためて感じさせていただいた気がします。
私の父は父で
72歳で亡くなった父親の歳に追いついたと・・・
「あとは、おまけの人生だ」とか。
いくつになっても、親というものは
心の中に生き続けるのですね。
母親の両親は、ともに長寿でした。元気な年寄りの口うるささに反発しながら、亡くなると懐かしがっています。何歳になっても、子供を心配する親がわずらわしいと思う気持ちがあったようです。私もこの秋から同居ですが、気の強い母親と多少の衝突はあるでしょう。でも愛おしさも人一倍あります。
昨晩三女が、自分の演奏会のチケットを持って訪ねてきました。困っていることはないかとしつこく聞く自分に、母親と同じことを言っていると苦笑します。