元ベース弾きの田舎暮らしは

60歳で田舎にUターン、素人の「米と野菜」作り
音楽が縦軸の人生
就職相談・紹介が「天職」

私は「落ち武者」か?

2007年01月23日 | NPO
今日地方銀行に電話をかけました。2人の銀行マンにです。
同じ銀行の本店・支店でしたが、「ムッ」とくる応対でした。

こちらが定年前の団塊世代とわかると、私の想像外の発言になりました。

自己紹介で、来年Uターンで岡山に帰るとまず伝えました。
定年後の生活設計のための銀行との付き合いをお願いしたい旨話しました。
家や事業のため、退職金や年金を担保の融資のことに話が及ぶと
「最近多いんですよね、そういうのが」と突然口調が変わりました。
驚きました。まさかそんな風に言われるとは思っていませんでした。

世の中では、「団塊世代」の2007年問題とか少しは注目を集めていると思っていました。
好意をもっていてくれるとは思っていませんでしたがこんなに否定的とは。
完全な思い違いをしていました。

退職金や年金による消費活動、音楽村や地域通貨発行で地元の活性化を図ろう思っていたのですが。

威張った言い方をしたのか考えましたが、思い当たりません。
この銀行にとって、団塊世代は「お荷物」だったのです。

まして定年退職のUターン組、は「落ち武者」だったのです。
ご当地の銀行にとって、私は素性のわからない人間になっていたのです。
「銀行から遠くお住まいの為、ご足労いただくのが申し訳ない」との一流の断り文句とともに。

今日はっきり、わかりました。団塊世代は城(会社)にいる間に手を打つ必要があります。
「人や法人へのお願い事は在職中にやるべし」と。

人間としての志や誇りを見てくれるのではなく、実利が優先するのです。
今日思い出して良かったと思いました。銀行の本質を。退職までまだ1年8ヶ月あります。

日曜日に観た「華麗なる一族」の一部をスケールの差はあれ、まさか自分が体験しようとは思いませんでした。

久しく感じたことのない怒りがふつふつ涌いてきて抑えるのに、時間がかかりました。
こんな手合いに負けません。
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「ありがとう これは気持ちですが どうぞ」

2007年01月21日 | NPO
好きな言葉は「ありがとう」です。

毎日交わされています。期待以上の好意・親切・サービスを受けたときは嬉しいものです。

この言葉を、「地域通貨」に置き換えます。
(地域にのみ通用するお金=サービスを定量化して換算、単位100円=100アシン阿新)

 ふるさとの母親の電話で毎日の過ごし方がわかります。
いなかのシニアの困っていることもわかります。
庭の手入れ、家具の移動、ちょっとした営繕仕事、買い物や銀行などの「足」です。

 元気な私にわからないニーズがあるのでしょう。
この調査を、地元にある短大・高校生に頼みます。
「困っていること」「してほしいこと」。
それ以外に「自分ができること」「自慢の腕・技術」を教えてもらいます。

 今まで生きてきた知恵や技術を提供してもらうのです。
課題は、個人情報保護法との折り合いですが、専門家に相談します。

 核家族化が進み、おじいさん・おばあさんを知らない世代もいます。
市外から大学で勉強のため、家族と離れ独り住まいの学生もいます。
この人たちにシニアに接触してもらうのです。調査だけが目的ではありません。
もちろん学校・行政の許可や協力が必要です。

 この調査に基づき、地域通貨の発行総量を量ります。
現在の行政や福祉サービス会社との棲み分けが重要です。

 資金は、地元企業のメセナ、行政の予算化、一番大きいのは個人出資の会員です。
またそのやり方にも方式があり、一長一短があります。
立ち上げ後、失敗例が多いのです。参考にします。

 10年間 実施の後発展的解消をします。
これが定着すれば、行政や民間に移管します。
通常通貨による運営こそが本来の姿だからです。

「音楽村」立ち上げ以上のエネルギーが必要ですが、「わたしの理想郷」です。

画像は ふるさと岡山 新見駅前から高梁川を望む  
「駅は世界」さんの了承を頂き掲載しております。。
http://blog.goo.ne.jp/naka_premium/e/24381af4fff00de222102856687b4732
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「音楽村」を作る (NPO立ち上げ?)

2007年01月14日 | NPO
 30数年前、学生時代に三重県の合歓の郷に行ったことが、私のサラリーマン人生のきっかけになりました。大学のオーケストラの先輩の誘いで遊びに行ったのです。

 合歓の郷は、まだできたてでしたが、カルチャーショックをうけました。
当時のレジャー施設の概念を覆されたのです。そこには野外のコンサート会場やレッスン棟があったのです。

 大学のオーケストラ時代の記憶に合宿があります。
夏休みに大学を離れて、練習のための合宿をしていました。山の中のお寺や民宿で、数日間朝から夜まで練習をしていました。その印象と企業の経営する施設の落差に愕然とした記憶があります。

 そのインパクトが、音楽好きの自分の将来を決定付けたのです。
そしてそのグループの親会社に入社しました。結果的には音楽事業は担当しませんでした。

 中学生の四女がジュニアオーケストラに参加しています。小学校の高学年からチェロを弾いています。このオーケストラが、春にアメリカに演奏旅行するそうです。今はリッチな時代ですが、寝食をともにしたあの合宿と仲間は忘れられません。

 ふるさと岡山の新見に「音楽村」を作りたいのです。

 廃校になった学校を利用し、合奏・分奏・パート練習をするのです。
市とタイアップし、二重サッシで音漏れを防ぎます。食事の準備に煩わされないように、近所の女性のシニア層に協力を依頼します。そして合宿費用を格安に上げるのです。
そのお返しに、オーケストラ・ブラスバンドは演奏会を開催するのです。生の音楽に接する機会の少ない子供たちやシニアに聴いてもらいます。

 子供たちには「感動」を、シニアには「生きがい」と「ふれ合い」を、音楽団体には「発表の場の提供」と「経済性」を、地域には「音楽村」運営による活性化が生まれるのではと「初夢」を描きました。

 課題もあります、行政の理解と助成や企業メセナ、お手伝いいただく「村人」です。
昨年新見市の企画部を訪問し構想はお話しました。まだ了承は頂いていません。
 又常備すべきピアノ、ティンパニーやコントラバスの購入費用の手当て、何よりも交通の便です。インターから近い施設が必要です。この「村」の存在のPRです。季節は春休みや5月の連休、夏休み、秋の連休とシーズンは限られます。

しかし この夢を実現するために一歩を踏み出します。
たった一つ決まったことがあります。

 「音楽村」の村長に、私の音楽の師である保科洋先生が就任予定です。11月にお話して承諾を得ました。忙しい先生に無理をお願いしました。感謝しています。

 開村は2~3年後です。広報担当の「村外の村人」も募集中です。口コミです。

  保科洋 http://www.hoshina-music.com/
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「魔女」の髪

2007年01月07日 | NPO
「魔女」は髪の毛を染めるのか?

 定年後 「魔女の宅急便」の構想があります。
(宮崎駿のアニメの世界のことではありません。)

シニア(特に女性)に元気になってもらうための宅急便の活用です。
身内や知人に宅急便を送ることで、誰かの役に立っているという想いが,元気さを保つ秘訣ではないかと考えました。私の母のように。

 ある年齢以上の女性のシニアを尊敬をこめて「魔女」と呼びます。お許しを。

宅急便の中に荷物以外にご自身の写真を入れて送ってもらうのです。
例外のシニアを除き、カメラの前に立つことが少なくなった人に,心身とも若返る髪の毛のケアーをして、凛とした「魔女」ぶりを披露してあげたいのです。元気で美しいシニアであることを身内や知人に見てもらうのです。その魅力を再発見してもらうのです。

髪の毛のケアーは、団塊世代の、つまり私達のパートナー(かみさん達)を予定しています。染髪のお手伝いをするのです。将来はかみさん達が後輩にしてもらうのです。

体力の衰えた「魔女」には刺激の強い化学品は良くありません。
頭皮という「土壌」を傷めて、よい髪であるはずがありません。

 そこで、元々 インドでハーブとして使われている「ヘナ」という植物が登場です。
日本でも、輸入されていて市販されています。ただその品質はピンキリです。
粉になっているためその良し悪しは、わからないためブランドと評判と、自分の体験を信じるしかありません。
(ご参考 クイーンズヘナ http://www.queens-henna.com/company/index.html)

 7~8年前から、私も使い、讃岐うどんではありませんが「腰が出てくる感じ」を実感しています。これをシニアの白髪染めに使ってもらい、心身とも元気な姿を身内や知人にみてもらうことで、善循環して、ますます元気できりっとした姿になっていくのではと思っています。

 髪の毛のプロである近所の散髪屋さん、パーマ屋さんも「ヘナ」のことをよく知らなかったり、誤解していることもわかりました。人柄の良い夫婦でやっている近くの散髪屋さんを支援する「勝手連」で、家族皆で応援しています。

昔 学生時代のオケに「魔女」と呼ばれる憧れのバイオリン弾きの先輩がいました。
先日 メールでこのブログを読んで頂いていることがわかり、嬉しく思いました。

   (画像は ウィキペディア 大学 チャペル より)
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新世界より

2007年01月01日 | NPO
 毎年 年の初めにドボルザークの「新世界より」を聴きます。
勇気を得るためです。

 新しい年になり、やりたいことを確認します。
再来年の秋に定年退職後 スタートを目指す計画の準備がこの1年にかかっています。
生まれ故郷の岡山での実行計画ですから距離のハンディを乗り越える必要があるのです。

1 魔女の宅急便
2 スーパーマン制度
3 音楽村開設
4 地域通貨発行

 今は、この四つで「シニアの活性化」「子どもの感動体験」を目指します。NPOを視野に入れています。
 企画の詰めと資金計画、どの順番でいつやるかのスケジューリングです。特に資金計画は、自分の退職金、県や市の助成の有無、企業メセナなどの状況によります。
計画書でのプレゼン、説得が鍵です。

 会社で長い間 営業をやってきて人脈はあるつもりですが、地元とのつながりは希薄です。

 自分の考えている計画の甘さや足らない知恵を多くの人のアドバイスお願いをしたくて、昨年から慣れないブログを2本立てました。(一般ブログとmixiです。一長一短を感じていますが)器用ではないので、想いの表現に苦労しています。
 
 会社の友人、お得意先、音楽仲間、昔のオケの仲間などに繋がりつつあります。
又日記のつながりで、お会いしてない人との心の交流も始まりました。
ブログの文章を通じて「新しい友人」が出来ることが、今一番嬉しいことです。

 元旦 朝5時から友人の依頼で家族である式典に出席しました。国会議員・県会議員・市会議員も参加していました。その後 見付神社に次女の国家試験合格祈願をして帰りました。家族でふるさとの丸餅とブリで雑煮を頂きました。
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「スーパーマン」登場

2006年12月10日 | NPO

 映画の話ではありません。
 
 退職後にNPOの立ち上げを考え、その中のひとつの活動内容「お助けおじさん」を考えているのです。まだ「夢」の段階ですが。

 
 仮称「スーパーマン」制度です。食品スーパーなどの御用聞きも兼ねる為のしゃれの言葉です.「魔女(田舎のシニアの総称ー好意からこう呼ぶ)の宅急便」を助ける「スーパーマン」に登場してもらう構想です。
 
 市内の一人暮らしのシニア(年配者)、夫婦のみのシニア、山の中のシニアなどの宅配の梱包を手伝うヘルパー制度を考えています。デジカメで元気な姿を撮り、簡単プリントの後、宅配便に写真を同梱します。荷物を開けて、写真とたくさんの贈り物に驚き、感謝する子ども・孫・知人・親戚とよりつながるのです。私が母親にしてもらったように。

 また宅配の梱包を手伝うだけでなく、シニアの欲しいものの買い物のリクエストをもらい買い物の代行をします。シニアを定期的に訪問し、買い物の代行のほか、生活に不便を強いている家屋・設備の簡単な営繕仕事の要望を聞き、簡単な営繕仕事は自分でこなし、そうでないものは市内の大工・工務店に取り次ぎたいと思います。その無償の行為には、安価ですが「地域通貨」報酬を当てたいと思います。(地域通貨は後日 日記で)
 
 買い物をする食品の店をどこにするのかは、この主旨に賛同いただけるお店をリストアップし、シニアのみなさんの要望も聞きたいのです。又リフォームについても同様で建設・営繕工事業のリストに基づいて主旨に賛同いただける業者の方に発注を考えます。又お願いする店が偏らないように公平性を持たせ、協力業者の皆さんの気持ちが冷えないようにします。

 「スーパーマン」の登録は、同じ街で60歳以上で、信頼されている人にお願いをしますが、見直しもします。又退職を期にふるさとにかえってくる団塊世代にもお願いをし、知恵も貸していただこうと思っています。
 現在市の担当者に構想をお話し、側面的支援をお願いしている最中です。

 
 およそ2年後 退職を期に、「魔女の宅急便」「スーパーマン登場」「音楽村創設(村長 保科洋)」「地域通貨の発行」など立ち上げたいと思っています。ひとつづつやります。手伝っていただける人との出会いも楽しみです。
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魔女の宅急便 第2章 

2006年11月08日 | NPO
「魔女の宅急便 第2章 」    NPO立ち上げを思いついたきっかけ・・・・
※ネーミング 「ばあちゃんの宅急便」の立ち上げ   仮称 「魔女の宅急便」(田舎の年齢不詳の長生きシニアを総称=ほめ言葉)

「魔女の宅急便」はまず重要な価値観を共有します。
宅配便は親子・孫と離れ離れであっても、一緒に暮らすまでのコミュニケーションツールとして存在するのです。
Uターンするまでの1人住まいの学生である孫への贈り物(親とは異なるありがたみをもつもの)で感謝する気持ちを持たせるのです。ふるさとを離れた人たち(身内・知人)に食べ物を送り、幼い頃から慣れ親しんだ味付けで繋がるのです。若い頃の価値観(田舎は不便で娯楽がない)から環境重視の生活への転換を促進するのです。愛情と行政の力で呼び戻すのです。

都市部への憧れと田舎への郷愁との間に振れる転換点に故郷へ後押しをさせる「宝物(食品の宅配)」を送るのです。

 その宅配便におばあちゃん、おじいちゃんの写真を同封するのです。

 最近写真を撮ってない世代を記録し送るのです。笑顔の写真は何よりのメッセージなのです。同封する写真に若い頃を彷彿とさせる仕掛けをするのです。白髪を染め若作りをしてもらい、元気さもアピールするのです。
白髪を染め(科学染料でない自然素材例えばヘナなど)、おしゃれ心を芽生えさせるのです。髪・こころ・からだを若返らせるのです。鏡を見ない白髪頭から、いつも自分を見る黒髪(もしくは半分白髪)に変身し外に出ることも増やすのです。

宅配や染髪は手段です。でもまず形からです。元気なシニアが増えてもらえれば嬉しいのです。その支援が私の夢です。

(後日のスーパーマン制度 第1章へ続く)
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魔女の宅急便 第1章

2006年11月03日 | NPO
  NPO立ち上げを思いついたきっかけ・・・・
※ネーミング「ばあちゃんの宅急便」の立ち上げ  
仮称 「魔女の宅急便」
魔女とは田舎の年齢不詳の長生きシニアを総称 ほめ言葉
 
 現在83歳(大正12年生まれ)の母が、膝痛から歩くのが辛そうですが、それ以外は健康で長命である。今でも俗に言う「丼飯を喰う」元気さです。一番大きな理由は「宅配便」の送り出し ではないかと考えています。畑の野菜や、朝市で買った田舎の品々を、送りたい大きさのダンボールを捜し、効率よく詰め、テープで梱包し、宅配便を依頼し、電話で送った旨の連絡をする。
 
こんなに手間を掛けても送るのです。それは、自分が身内や知人に役立っている、喜んでくれるとの思いがあるからです。
 
 ダンボールを開けると思いがけないものが次々に出てくるのです。わくわくするのです。大部分はこちらで買ったほうが安いものが多いのですが、意外性もあるのです。

 80歳を越した母親が子供や孫の為に、喜ぶ声を聞きたさに送るのです。宅配の送り出しは、面倒なことではなく「生きがい」であると確信しています。(年間80~100個を送ります 、個人では多い方でしょう)

 このようなシニア層を支援して「長生きしてもらう」かが企画を考えたきっかけです。     (後日の2章へ続く)
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