「別府あかがね御殿」白蓮さんの事
「花子とアン」も終わりましたが、伊藤伝右衛門・白蓮ゆかりの地そして、
宮崎龍介と出会いの場である、別府市青山の流川通りにあった
「赤銅(あかがね)御殿」跡に行ってきました。
なお、「白蓮」の、別府での生活や出来事は、次の図書や資料に詳しく記載されています。
①「柳原白蓮 (西日本人物誌)」井上洋子 西日本新聞社 2011年発行
②「白蓮」娘が語る母子 長女宮崎 蕗苳監修 宮嶋玲子聞き書き
旧伊藤伝右衛門邸の保存を願う会 2007年発行
③研究報告「白蓮と伊藤伝右衛門 : 新別府小手川家の仏壇」矢島嗣久
別府史談会 2002年発行~別府史談 No.16 (2002. 12) ,p.89- 98
伊藤伝右衛門は、白蓮を迎え、1916年(大正5年)に、別府市山の手(青山町)に
敷地3458坪の「あかがね御殿」と称された豪奢な別邸を造営しています。
「あかがね御殿」は、白蓮と多くの人との出会いのサロンとなります。
そして、ここが1920年(大正9年)に、編集の打合せで訪れた宮崎龍介との偶然の
出会いの場所になります。その時、白蓮34歳、龍介27歳です。
この別邸は、1954年(昭和29年)~1979年(昭和54年)まで、実業家の首藤克人に
よって、「別府赤銅御殿ホテル」として運営された後、取り壊され、現在は住宅団地になっています。
次の図は、あかがね御殿の位置関係です。
別府市在住の友人の歴史愛好家のYKR58さんから頂戴した略図で、これを片手に
歩いてみました。YKR58さん、有難うございました。
1.別府の「伊藤別荘~赤銅御殿」の豪奢な画像です。(飯塚伊藤邸の写真より)
2、3、4
1954年(昭和29年)、「別府赤銅御殿ホテル」が、営業を始めた際に建立された
白蓮の歌碑です。この除幕式の際には、白蓮・龍介夫妻が招かれた、ということです。
現在は、住宅街となった小公園の一角にあり、背景の高崎山や別府の風景を
見ながら、「あかがね御殿」の往時が偲ばれました。
背後の左手に高崎山です。
*この短歌は、1919年(大正8年)刊の短歌歌集「幻の華」巻頭に納められた
白蓮の代表作です。
「わたつみの沖に火もゆる火の国に我あり誰そ思われ人は」
上述の図書①②には、白蓮事件以後の事にも丁寧に触れられており、
長女宮崎 蕗苳さんの、別府や飯塚訪問など、広い心による
新たな交流もあり、感銘させられます。
5、6 また、すぐ近くには、昭和4年に建築された木造2階建ての聴潮閣
(=佐藤渓美術館)があります。丁度、紅葉した庭が綺麗でした。
聴潮閣は、2013年1月より佐藤溪美術館となり、放浪の詩人画家
佐藤渓(1918~1960)のコレクションが展示されています。
こちらもどうぞ
*筑豊の石炭王「伊藤伝右衛門邸」に行って来ました*
☆花子とアンと伊藤伝右衛門邸☆その1
☆花子とアンと伊藤伝右衛門邸☆その2
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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「花子とアン」も終わりましたが、伊藤伝右衛門・白蓮ゆかりの地そして、
宮崎龍介と出会いの場である、別府市青山の流川通りにあった
「赤銅(あかがね)御殿」跡に行ってきました。
なお、「白蓮」の、別府での生活や出来事は、次の図書や資料に詳しく記載されています。
①「柳原白蓮 (西日本人物誌)」井上洋子 西日本新聞社 2011年発行
②「白蓮」娘が語る母子 長女宮崎 蕗苳監修 宮嶋玲子聞き書き
旧伊藤伝右衛門邸の保存を願う会 2007年発行
③研究報告「白蓮と伊藤伝右衛門 : 新別府小手川家の仏壇」矢島嗣久
別府史談会 2002年発行~別府史談 No.16 (2002. 12) ,p.89- 98
伊藤伝右衛門は、白蓮を迎え、1916年(大正5年)に、別府市山の手(青山町)に
敷地3458坪の「あかがね御殿」と称された豪奢な別邸を造営しています。
「あかがね御殿」は、白蓮と多くの人との出会いのサロンとなります。
そして、ここが1920年(大正9年)に、編集の打合せで訪れた宮崎龍介との偶然の
出会いの場所になります。その時、白蓮34歳、龍介27歳です。
この別邸は、1954年(昭和29年)~1979年(昭和54年)まで、実業家の首藤克人に
よって、「別府赤銅御殿ホテル」として運営された後、取り壊され、現在は住宅団地になっています。
次の図は、あかがね御殿の位置関係です。
別府市在住の友人の歴史愛好家のYKR58さんから頂戴した略図で、これを片手に
歩いてみました。YKR58さん、有難うございました。
1.別府の「伊藤別荘~赤銅御殿」の豪奢な画像です。(飯塚伊藤邸の写真より)
2、3、4
1954年(昭和29年)、「別府赤銅御殿ホテル」が、営業を始めた際に建立された
白蓮の歌碑です。この除幕式の際には、白蓮・龍介夫妻が招かれた、ということです。
現在は、住宅街となった小公園の一角にあり、背景の高崎山や別府の風景を
見ながら、「あかがね御殿」の往時が偲ばれました。
背後の左手に高崎山です。
*この短歌は、1919年(大正8年)刊の短歌歌集「幻の華」巻頭に納められた
白蓮の代表作です。
「わたつみの沖に火もゆる火の国に我あり誰そ思われ人は」
上述の図書①②には、白蓮事件以後の事にも丁寧に触れられており、
長女宮崎 蕗苳さんの、別府や飯塚訪問など、広い心による
新たな交流もあり、感銘させられます。
5、6 また、すぐ近くには、昭和4年に建築された木造2階建ての聴潮閣
(=佐藤渓美術館)があります。丁度、紅葉した庭が綺麗でした。
聴潮閣は、2013年1月より佐藤溪美術館となり、放浪の詩人画家
佐藤渓(1918~1960)のコレクションが展示されています。
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*筑豊の石炭王「伊藤伝右衛門邸」に行って来ました*
☆花子とアンと伊藤伝右衛門邸☆その1
☆花子とアンと伊藤伝右衛門邸☆その2
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「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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軍師官兵衛、福岡をつくった男のはずがドラマの中ではそれを感ずることができないまま最終回を迎えそうな中、花子とアンでは充分福岡(というよりはむしろ筑豊)を感じることができました。
更には、高倉健さんが逝去されたことも相まって“筑豊”が近く感じられた1年でした。
私の周囲の関東の人も筑豊を話題にする人が増えた感じがします。