読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「コンセント」

2006年11月16日 | 作家タ行
田口ランディ『コンセント』(幻冬舎、2000年)

うちの娘が小学生だった頃に彼女の知り合いに、二宮金次郎みたく歩きながら本を読んでいた女の子がいたが、面白い本を読み出すと電車を下りてからでも読みつづけたくなることがあって、あの女二宮金次郎ちゃんの気持ちが分かるような気がする。今回のこの小説もそうで、奥田英朗の小説のようにワクワクドキドキってわけではないけれども、とにかく先が読めなくて、いったいどうなるんやろうと、とにかく先が読みたいという気にさせる本だからだ。

田口ランディ、名前は知っていたが、「日本人のくせにランディやて(笑)」みたいな感じで馬鹿にしていたのでしたが、これを読んで、やっぱ人を格好とか名前とかで判断したらアカンなと深く反省しているところです。ネットコラムニストということらしいから、なんか簡単な読み物でも書いてお茶を濁してるんとちゃうんって風に見ていたのでしたが、まったくの間違いでした。

社会的な生活が出来ずに体をぼろぼろにしながらも社会から閉じこもって生きていた兄が、家族の邪魔にならないようにと数ヶ月前に自分で見つけたアパートにだれにも知らせずに引越しをしてそこで変死体となって発見されたのを機に、朝倉ユキは死臭に敏感になるようになり、また兄の亡霊のようなものを幻視するようになる。

かつて10年前ユキが心理学専攻の学生だった頃に「教育分析」をとうして転移を起し性的な関係を持つにいたった心理学教員の国貞のところにカウンセリングを受けに行く。彼はかつてのユキが自分を捨てたことを根にもちながらもカウンセリングを引き受けることになる。

その帰り、かつての同級生で今はシャーマンなどの研究をしている助手の本田律子と再会する。兄の幻視がひどくなると分裂病ではないかと心配して、律子の紹介で、これもかつての同級生で今は精神科医をしている山岸を訪れ、性的関係をもってしまう。

その後ユキは突然トランス状態に陥り、とある町の公園で素っ裸になって叫んでいる所を連絡を受けた山岸が病院に連れて行き、鎮静剤を飲ませて眠らせる。そこに本田律子も訪れ、山岸は自分の夫であることを知らせる。

兄の幻視、トランス状態になった自分、そこからユキは沖縄のユタに会わなければならないと思うようになり、本田律子の紹介で宮古島の上地ミヨのもとに行く。ユキを見たミヨは挨拶もなしに神事を始め、ユキに兄の死体を見せ、それが腐敗し解け、バクテリアになって地下水となり雨となり降り注ぐ様を見せる。ミヨはユキが神事を行なわない新しい霊媒者だと教える。

とまぁ、こんな風にあらすじをまとめてはみたのだが、それにどれほどの意味があるのか、そんなことをしてもたいして意味はないということはよく分かっているのだが、いったいどんなコメントを記したものか、まったく途方にくれているというのが正直なところだ。どこかでこいつ本気で書いているのだろうか、人をおちょくっているんじゃないだろうかという思いがある。別に、人間の本源的存在のありようとか、人間の根源といかにつながるかという小難しいことを本気で問題にしているのではなくて、ただ遊び半分で小難しく書いて読者を翻弄して、私のように「これは素晴らしい小説だ」とか真面目に言ったりする「馬鹿」を高みから見下ろして笑っているのじゃないかという、ねじくれた思いがどこかにある。

ちょっと私にはついていけない小説だ。

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