読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「トンマッコルへようこそ」

2006年11月18日 | 映画
『トンマッコルへようこそ』(2005年、韓国)

かつて正義の核兵器という考え方があったらしいが、同じく正義の戦争という考え方もあったのだろう。だがどちらの戦争も人殺しをすることには変わりなく、人を殺すということも殺されるということも、無残な死に方であることには変わりない。

この映画でトンマッコルにやってくる人たち、人民軍の兵士たちも、連合軍の兵士たちも、ともに人を殺すことができない人たちである。人民軍の将校同志は負傷した兵士たちを足手まといだということで銃殺しろと言われてもそれができず、連合軍の中尉は民衆が逃げるために渡っている橋を爆破せよという命令に従うことができず脱走した兵士だった。そういう人たちだからこそトンマッコルにやってきたのだという意味合いも込められているように思う。

トンマッコルという桃源郷のような村で生活していくことで、彼らは自分たちがどんな相手であれ、どんな大義名分であれ、人殺しをするのも殺されるのもいやだという気持ちに目覚める。あのまま、貧しいながらも腹いっぱい食べて、人を殺すことも殺されることもなく暮らしていけたらどんなにいいだろうと思うようになった頃、村の外では、相変わらず朝鮮戦争が続いているという現実がある。

そのあたりのバランスがじつにうまく作られているので、観ている側も感情移入がすーとできる。だから外から新たに連合軍の落下傘部隊がやってくると、こちらもどきどきしてしまう。村人たちと一緒にはやく逃げないと危ないよ、と心の中で叫んでいる。

彼らはみんなトンマッコルの村での生活に幸せを感じていた。だからこそ、爆撃機が襲来することを知って、自分たちの死を予感しながらも村人たちのために、偽装の村を作って連合軍を誘導する作戦に出るのが、なんら無理なく思われる。死を怖がっていても村人たちのためなら命を賭してでも村を助けようとする彼らの気持ちがけっして無理なく伝わってくる。

それは翻って観ている私たちに、戦争というものへの嫌悪感を心にわき上がらせる。藤山寛美の芝居じゃないけれど、笑って泣かせるというのが、けっして手練手管でなく作られた映画だと思うのだ。

久石譲の音楽もいい。「もののけ姫」の木の精たちのイメージ音楽を基調にした音楽だが、それがトンマッコルという村の無垢なイメージにぴったりあっていた。

私が観たなかで今年一番の映画かもしれない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする