クリスチャン・オステル『オディールから遠く離れて』(ミニュイ社、1998年)
Christian Oster, Loin d'Odile, Double 15, Editions de Minuit, 1998.
クリスチャン・オステルは1949年生まれのフランス人作家で、1999年に『私の広いマンション』でメディシス賞を受賞している。日常生活の細部を微にいり細を穿つ式の描写とか、日常生活のなかの物を擬人化する手法で知られているらしい。
この『オディールから遠く離れて』もまさにそのような作品で、日常生活のこまごまとしたことを、かなり読みにくい文体で書いている。また蝿をオディールと名づけるなどの擬人化風のこともなされている。
この小説の語り手であるリュシアンは45歳の失業者で、パリの小さなアパルトマンに住んでいる。三年前から恋人のオディールとの仲が悪くなり、12月に破綻したばかりだ。それと前後して彼は日記を書き始めたのだが、その直後に一匹の蝿が彼のまわりにうるさく飛んでいることに気づく。最初は、無視を決めていたのだが、彼が日記を書いているペン先だとかインクのあたりにうろちょろするので、オディールにたいする腹いせもあり、オディールと名づけて、追っ払うことに快感を感じ始める。最後にはあまりのうるささに握りつぶしてしまおうとするのだが、かつて若い頃にはできたことが出来ない。歳のせいだと考える。
クリスマス休暇に友人のアンドレと彼の恋人のジャンヌが一緒にスキーに行こうと誘ってくれる。リュシアンはジャンヌにちょっと気があることもあって、OKする。中央山岳地帯にスキーにでかけるも、到着した二日後にはアンドレとジャンヌが喧嘩してしまう。アンドレが腹を立てて一人でスキーに出かけたあいだに、リュシアンはジャンヌとセックスをしてしまう。ジャンヌも最初からその気があったのだとリュシアンは思っている。ところがセックスが終わると、なぜかリュシアンは「これで終わりだ」とジャンヌとの関係を拒否する。いたたまれずジャンヌもパリに帰ってしまう。
一人残されたリュシアンはスキーに出かけ、ゲレンデで若いメージュ(ネージュ(雪)ではなくてメージュということをリュシアンはえらく気にしている)という女性と接触して転んだことがきっかけで知り合うというようなお話である。
あらすじ自体はどうということのない、つまらない物語で、本当は蝿のオディールと私のコミックなやりとりだとかで笑わせたいようなのだが、面白くもなんともないから、どうしようもない。
2005年の『Lire』誌(三月・四月号)でのインタヴュー記事のなかでオステルは「私は語り手の存在理由が不安定になった瞬間を取り扱うのが好きなのです。こうした不安定さは語り手が物事を見るときの感じ方を変えてしまうからです」と言っている。たしかに蝿を相手に追いかけっこをしたり、昔の杵柄を思い出して、蝿を素手で取ろうとしたり、蝿にオディールという名前をつけたりと、ちょっと変わっている。
また彼の語り手の職業・家庭関係などがあいまいなまま話が進められることがおおいらしいのだが、ここでも一応リュシアンという名前は会話のなかで出てきて分かるのだが、いったいどうやって生計をたてているのだか、どういう社会生活を送ってきたのだか、よくわからない。物語自体も取り立てて面白い興味深いことがあるわけじゃないし、最後も尻切れトンボのような終わり方である。
ほんとに、訳のわからない小説でした。
Christian Oster, Loin d'Odile, Double 15, Editions de Minuit, 1998.
クリスチャン・オステルは1949年生まれのフランス人作家で、1999年に『私の広いマンション』でメディシス賞を受賞している。日常生活の細部を微にいり細を穿つ式の描写とか、日常生活のなかの物を擬人化する手法で知られているらしい。
この『オディールから遠く離れて』もまさにそのような作品で、日常生活のこまごまとしたことを、かなり読みにくい文体で書いている。また蝿をオディールと名づけるなどの擬人化風のこともなされている。
この小説の語り手であるリュシアンは45歳の失業者で、パリの小さなアパルトマンに住んでいる。三年前から恋人のオディールとの仲が悪くなり、12月に破綻したばかりだ。それと前後して彼は日記を書き始めたのだが、その直後に一匹の蝿が彼のまわりにうるさく飛んでいることに気づく。最初は、無視を決めていたのだが、彼が日記を書いているペン先だとかインクのあたりにうろちょろするので、オディールにたいする腹いせもあり、オディールと名づけて、追っ払うことに快感を感じ始める。最後にはあまりのうるささに握りつぶしてしまおうとするのだが、かつて若い頃にはできたことが出来ない。歳のせいだと考える。
クリスマス休暇に友人のアンドレと彼の恋人のジャンヌが一緒にスキーに行こうと誘ってくれる。リュシアンはジャンヌにちょっと気があることもあって、OKする。中央山岳地帯にスキーにでかけるも、到着した二日後にはアンドレとジャンヌが喧嘩してしまう。アンドレが腹を立てて一人でスキーに出かけたあいだに、リュシアンはジャンヌとセックスをしてしまう。ジャンヌも最初からその気があったのだとリュシアンは思っている。ところがセックスが終わると、なぜかリュシアンは「これで終わりだ」とジャンヌとの関係を拒否する。いたたまれずジャンヌもパリに帰ってしまう。
一人残されたリュシアンはスキーに出かけ、ゲレンデで若いメージュ(ネージュ(雪)ではなくてメージュということをリュシアンはえらく気にしている)という女性と接触して転んだことがきっかけで知り合うというようなお話である。
あらすじ自体はどうということのない、つまらない物語で、本当は蝿のオディールと私のコミックなやりとりだとかで笑わせたいようなのだが、面白くもなんともないから、どうしようもない。
2005年の『Lire』誌(三月・四月号)でのインタヴュー記事のなかでオステルは「私は語り手の存在理由が不安定になった瞬間を取り扱うのが好きなのです。こうした不安定さは語り手が物事を見るときの感じ方を変えてしまうからです」と言っている。たしかに蝿を相手に追いかけっこをしたり、昔の杵柄を思い出して、蝿を素手で取ろうとしたり、蝿にオディールという名前をつけたりと、ちょっと変わっている。
また彼の語り手の職業・家庭関係などがあいまいなまま話が進められることがおおいらしいのだが、ここでも一応リュシアンという名前は会話のなかで出てきて分かるのだが、いったいどうやって生計をたてているのだか、どういう社会生活を送ってきたのだか、よくわからない。物語自体も取り立てて面白い興味深いことがあるわけじゃないし、最後も尻切れトンボのような終わり方である。
ほんとに、訳のわからない小説でした。