読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「夜明け」

2006年11月29日 | 現代フランス小説
Linda Le, Les aubes, P 994, 2000
リンダ・レー『夜明け』(クリスチャン・ブルジョワ、2000年)

ピストル自殺に失敗して失明した「私」が、本の朗読役として雇われ愛し合うようになったヴェガに、自分の過去を語る。

「私」はコンソーシアム(企業複合体)の代表を務める母親とパリ生まれのベトナム人の父のあいだに生まれる。父は清貧の中で完璧主義的で芸術主義的な画家として出発しながら、裕福な母親に見込まれて、清貧のなかでの芸術活動よりも裕福・安楽を取ったために、芸術的インスピレーションを失ってしまい絵が書けなくなる。「私」が生まれた頃は、両親は喧嘩ばかりして、憎みあっていた。毎日が嵐のような日々だった。

「私」は父親からも母親からも疎まれ、感情の砂漠のような子供時代を過ごしていたが、10歳のときに、父親の知り合いのフォーエヴァーという女性のもとでひと月だけすごした経験から、本の世界を知る。フォーエヴァーは父親のかつての愛人で、海辺の家に一人で住んでいた。彼女は「私」の父に対する愛情を抱きつづけており、「私」は彼女のなかに純粋な感情の幻想的なイメージをみるようになる。しかし彼女は「私」が14歳のときに自殺してしまう。それは「私」に大きな衝撃を与える。

それ以降、「私」の関心事はいかにしてフォーエヴァーのもとへ行くかということだけとなる。24歳のときに、父親がもっていたピストルで自殺を図るが、失敗して、失明する。最初は父親が「私」に本や新聞を読んでくれたりしていたが、父親のやる気が失せると、彼が女性の朗読者を見つけてきてくれる。それがヴェガで、、「私」は彼女のなかにフォーエヴァーの再生を見るようになり、二人は愛し合うようになる。

フォーエヴァーが「私」に永遠性の象徴としてウロボロスの話をする場面があるが、この小説はまさにウロボロスの姿と同じ形式を取っているといえる。

冒頭はまさに失明した「私」と愛人のヴェガとの夢とも現実ともわからないような官能の世界の描写から始まるが、それをウロボロスの頭とすると、それに飲み込まれた尻尾の部分にあたる、「私」の祖父母の話にうつる。祖父母はベトナムのプランテーションをやめてパリにやってきたが、異国に順応できず祖父は阿片吸引者となり、廃人となって死んだ。そのときお腹のなかにいたのが、「私」の父で、貧しいなかを祖母は父を育て、父も早くから絵の才能を見出して、絵を書くようになるが、その芸術主義的な絵にひかれた、資産家の娘であった母が、彼にそれを捨てる代わりに安楽を約束したのだった....というように時間系列にそって、物語は進み、最後にヴェガとの出会いによって終わっている。つまりウロボロスの頭に再び戻ってくることになるのだ。

たしかに憎しみあっている両親のことを描いた場面はとげとげしいし、それはそれで人間の運命というものの怖さを描き出しているが、以前に紹介した『声』の妄想幻想の恐ろしげな世界とは一転して、「私」が10歳のときにフォーエヴァーと過ごしたひと月の夏の穏やかな日々の描写には、詩的な静謐さのようなものがある。両親の喧嘩や、そして自分にたいする両親の憎しみを伴った態度の描写がすざまじく暴力的で絶望感がただよっているだけに、フォーエヴァーとの日々の穏やかさは心に染みるものがある。

「大西洋の海辺をフォーエヴァーとともに長時間かけて散歩しているあいだ、私は彼女がこの世のものではないという印象をしばしばうけた。彼女のなかにはある磁力のようなものがあるようだった。彼女のそばに行くと必ず涙の向こうの世界への呼びかけのようなものを感じた。私は彼女から星を見ること、風を測ること、日没のときに水と火の結合を賛嘆することをまなんだ。水泳と散歩のあと、夕方に、居間のロッキングチェアや庭の小さなベンチに座っているとき、フォーエヴァーは航海士と勇敢な子どもたちの冒険物語とか、ヴァンパイアが寝ている若い処女の血を吸うお話だとかを読んで聞かせてくれた。でも私のお気に入りの本でいちばん熱心に議論したのは、私が孤独のときに読んだことのある古代人の書物であった。何時間ものあいだ私があれこれ質問をして、彼女がこれらの書物から得られる話を説明してくれるのだった。夕暮れの光の中で、フォーエヴァーの顔は内面の炎に活気づけられているようだった。彼女の言葉の一つ一つがよく選ばれていて、長いあいだ私の心を打ちつづけた。」(Les aubes, p.39)

安楽のために芸術的インスピレーションを失って絵がかけなくなってしまったという、「私」の父の人生は、なんとも人生の選択というものの恐ろしさを感じさせる。これは「私」が鋭く見通していることだが、それもじつは「私」の父が選んだことなのだ。そこから抜け出ようと思えばできたのに、そしてフォーエヴァーのもとへ戻れば、再びそうしたインスピレーションは取り戻せただろうが、父は安楽と清貧の中での芸術をはかりにかけ、安楽を選びつづけたのだ。けっしてだれのせいでもない。そうした冷酷な見方を作者は現実の自分自身にも向けているのかもしれない。

リンダ・レーについてはインターネット上でもほとんど情報がないし、彼女の作品についての批評などもみられないので、作家の個人的なことについては次のような程度のことしかわからない。

1963年にベトナムのダラトで、フランス人の母親とベトナム人の父親のあいだに生まれ、サイゴンのフランス人学校で高校生まで勉強した。サイゴンの陥落後に母親と妹とともにフランスに移住した。

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