成瀬輝男『ヨーロッパ橋ものがたり』(東京堂出版、1999年)
橋といえば、サイモンとガーファンクルの歌じゃないが、「明日に架ける橋」というようなイメージがあるが、私にとっては、田舎の村にかかっていた木の橋だ。
私は鳥取県西部の山奥に生まれ育った。その村の前には一本の国道(といっても私が子どもの頃は国道といっても名ばかりでぺんぺん草がはえたようなでこぼこ道だった)がはしり、それにそって川が流れ、ちょうど村のそばでその川が二本に分岐する。それにあわせて国道も分岐する。その分岐点に一本の橋がかかっていた。それは橋脚も橋の本体も木で出来ていて、さらに人や車が通るところは土でできており、しかもそのところどころの土が落ちて、下に川水がみえるような代物だったから、どんなに時代がかっていたかは想像いただけよう。
その橋は、私が小学校2年生の頃の大雨で完全に流されてしまった。その後は、コンクリートの橋脚に鉄の橋がかかった。それから中学校の頃にかけて国道も道幅が広げられ舗装された。村はずれには建設省の関係者の事務所や住居ができ、私たちはそこを「けんせつしょー」と呼んで、その広場でよく野球をしたり鬼ごっこをして遊んだものだ。なぜかしら橋というといつもその橋のことを思い出す。
もう一つの橋は、じつは橋ではない。これは子ども向けの科学本で読んだのだが、望遠鏡が出来たばかりの頃のヨーロッパで、望遠鏡で月を熱心に観察している人がいたが、あるとき他のクレーターに出来る影とはちがう影をみつけた。それがいったいどんな形をしているためにできるのか分からないで何日もたったが、ある日自分が住んでいる町の夕暮れを歩いているとき石で出来た橋の影が月にあるあの影と同じだったことに気づき、岩がアーチ状にえぐられていることが分かったというようなお話である。なぜか知らないが私はその話にえらく感動したのを覚えている。そしてアーチ状の岩山、そして夕日に輝くヨーロッパの小さな町の橋と川面が、なんだか心のなかに刻み込まれてしまった。
橋といえば、この本でもなんども記述されているが、ヨーロッパの大きな町の昔の橋の上には家が並んでいた。この本によると、ロンドン橋の上の家は自然発生的に出来て、無秩序に並んでいたらしいが、パリの橋の上の家は計画的に作られたのだそうだ。なにで呼んだのか覚えていないが、パリの橋の上に家があったことは私も知っていた。パリの凱旋門の上に土産物屋で買ってきた1575年のパリの地図(もちろん複製だが)にもミシェル橋とかノートルダム橋のうえに家が描いてある。
それにしても橋をかけるという発想はほんとうにすごいことだと思う。つねに流れている水の中に土台を作ることだって簡単なことではなかったはずだ。そして石をアーチ型に積み上げていったり、木組みを作ったりすることは、昔なら最新のテクノロジーをもってして初めて可能になったことだったのだろう。そして年月を経て朽ちていく。それが人をひきつけるのだろうか?
橋といえば、サイモンとガーファンクルの歌じゃないが、「明日に架ける橋」というようなイメージがあるが、私にとっては、田舎の村にかかっていた木の橋だ。
私は鳥取県西部の山奥に生まれ育った。その村の前には一本の国道(といっても私が子どもの頃は国道といっても名ばかりでぺんぺん草がはえたようなでこぼこ道だった)がはしり、それにそって川が流れ、ちょうど村のそばでその川が二本に分岐する。それにあわせて国道も分岐する。その分岐点に一本の橋がかかっていた。それは橋脚も橋の本体も木で出来ていて、さらに人や車が通るところは土でできており、しかもそのところどころの土が落ちて、下に川水がみえるような代物だったから、どんなに時代がかっていたかは想像いただけよう。
その橋は、私が小学校2年生の頃の大雨で完全に流されてしまった。その後は、コンクリートの橋脚に鉄の橋がかかった。それから中学校の頃にかけて国道も道幅が広げられ舗装された。村はずれには建設省の関係者の事務所や住居ができ、私たちはそこを「けんせつしょー」と呼んで、その広場でよく野球をしたり鬼ごっこをして遊んだものだ。なぜかしら橋というといつもその橋のことを思い出す。
もう一つの橋は、じつは橋ではない。これは子ども向けの科学本で読んだのだが、望遠鏡が出来たばかりの頃のヨーロッパで、望遠鏡で月を熱心に観察している人がいたが、あるとき他のクレーターに出来る影とはちがう影をみつけた。それがいったいどんな形をしているためにできるのか分からないで何日もたったが、ある日自分が住んでいる町の夕暮れを歩いているとき石で出来た橋の影が月にあるあの影と同じだったことに気づき、岩がアーチ状にえぐられていることが分かったというようなお話である。なぜか知らないが私はその話にえらく感動したのを覚えている。そしてアーチ状の岩山、そして夕日に輝くヨーロッパの小さな町の橋と川面が、なんだか心のなかに刻み込まれてしまった。
橋といえば、この本でもなんども記述されているが、ヨーロッパの大きな町の昔の橋の上には家が並んでいた。この本によると、ロンドン橋の上の家は自然発生的に出来て、無秩序に並んでいたらしいが、パリの橋の上の家は計画的に作られたのだそうだ。なにで呼んだのか覚えていないが、パリの橋の上に家があったことは私も知っていた。パリの凱旋門の上に土産物屋で買ってきた1575年のパリの地図(もちろん複製だが)にもミシェル橋とかノートルダム橋のうえに家が描いてある。
それにしても橋をかけるという発想はほんとうにすごいことだと思う。つねに流れている水の中に土台を作ることだって簡単なことではなかったはずだ。そして石をアーチ型に積み上げていったり、木組みを作ったりすることは、昔なら最新のテクノロジーをもってして初めて可能になったことだったのだろう。そして年月を経て朽ちていく。それが人をひきつけるのだろうか?