読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『明日も夕焼け』

2011年10月11日 | 作家ア行
猪瀬直樹『明日も夕焼け』(朝日新聞社、2000年)

明日も夕焼け
猪瀬 直樹
朝日新聞社
これは朝日新聞の日曜日に連載されているときに、毎週楽しみにしていたエッセーであった。何回目くらいからこの連載を面白いと思いだしたのか、はっきり覚えている。10回目くらいの「きみは知らざり」のなかで母親のことを「美人だった」と書き、女手ひとつで自分を育てることの大変さ、女が職業をもって男と渡り合うことの困難さについて書いているところだった。そしてその二回後の「10年後を信じて」で、高橋克彦が学生時代に小説を持ち込んだら、編集長から「10年後にまたいらっしゃい」と言われ、それを励みに修行した高橋克彦の才能が花開いたが、じつは誰にもそういうことを行って追い返すのだということを後日ある編集者から聞いて…という話は、記憶に残っている。

その頃、私は猪瀬直樹がどういう人物なのかまったく知らなかった。その後、道路公団の問題を批判した『道路の決着』などを書いて、テレビのワイドショーによく出てくるようになって、徐々に知るようになったが、それでも最近までは彼の著書も読んでいなかった。少し前に『ミカドの世紀』を読んで、驚いた。彼のエッセーには共感できる所が多くあったが、残念ながら、彼の政治的主張にはついていけないところが多々ある。少なくとも石原慎太郎のもとで副知事をするなど論外だ。こうしたエッセーというものへの共感がいかに曖昧なものにすぎないことが、よくわかる。私にはこのエッセーの猪瀬と東京都副知事の猪瀬が同一人物には思えない。

これを書いていた頃の猪瀬直樹は、ちょうど今の私くらいの年令。最後のエッセーにも書いてあるが、子どもたちも自立して、そろそろ夫婦二人だけの生活にもどる年令を迎えている。そういう新しい暮らしが始まる年頃にあって、それなりに社会的に評価される仕事も積み上げてきて、社会的な地位も得て、自分のきた道を和尚の「親父の小言」を頼りに振り返ってみるという趣向のエッセーが、この連載になっている。私は今だに、社会的にも認められるような仕事も積み上げられず、もちろん社会的な地位もまったくなく、同じ年令になってしまったけれども、それでも自分なりに自分の来し方を振り返ってみることなしには、新しい行く末を展望することができないわけで、たぶんこのブロクを書こうという気になったこと自体が、そうした気持ちが隠れていたのかもしれない。道理で、猪瀬直樹のこのエッセーを読み返してみると、自分がこのブログで書こうとしていたのは、これだったのかもしれないという気がしてきた。

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