中島たい子『漢方小説』(集英社、2005年)
この小説の中に漢方薬と西洋医学の薬の違いを、こんな風にたとえている。
「例えばNBAで言うと、西洋医学の薬は、怪物みたいにデカイMVPプレーヤーがいる勝率の高いチーム。漢方薬は、アシスト、リバウンド、スリーポイントなんかがうまい、そこそこの選手が五人そろってるけどファイナルまでいけないチーム」(p.58)
まぁファイナルまでいけないかどうかは別として、西洋医学は一極集中的に相手を攻めるから、一対一対応の病気なら、それであっという間に治ってしまう。しかし病気というか体調不良はそんなハッキリした原因だけから生じるわけではないし、ここにこのような症状がでているから原因はこれだと一対一対応になっている場合ばかりではない。
そのいい例が私が坐骨神経痛になったときのことだ。これは以前にも書いたので簡単に済ますが、高校生のときにボートをやっていた私は二年生の終わり頃の冬に膝が痛くなり、自転車のペダルがこげないくらいになった。労災病院とか整形外科医院とかをいくつか回ったが、水もたまっていないし、リューマチの検査をしてみたりしても、結局のところ原因が分からないということで春になって治った。最終的には翌々年の冬に再発したときに、家の近くの怪しげな医院で見てもらって坐骨神経痛だということが分かって、ぶっとい注射をしてもらって一発で治った。飲み薬も何もいらなかった。
この小説の主人公のみのりの場合もそうで、とつぜんドキドキして、天井が回るような状態になり、救急車で病院に運ばれるが、その途中で治ってしまう。西洋医学の医者は検査をしても原因が分からないと、判を押したように、ストレスを疑ってぶしつけな質問をしてきたりする。しかし漢方医の坂口先生にみてもらってドキドキの震源地が胃のあたりだということも分かり、腎が弱っているし身体全体が弱って邪気が強まっているからということで、「サイコケイシカンキョウトウ」と「ロクミガン」の処方で改善することになるのだ。
まぁそういう話はいいのだが、この小説は、元彼が結婚を知らせてきたことにショックを受けた31歳の女性がそれが原因(でもないだろうが)で陥った得体の知れない体調不良(食欲不振、ドキドキ、めまい)から漢方の力で徐々に体調を持ち直していく過程を、漢方の知識を織り交ぜ、かつ周辺にいる男女との係わり合いをとおして、三十路の男女の結婚願望をめぐるどたばたとともに描いたもの、って感じだろうか。
けっこう人を面白がらせるっていうか、存在そのものが面白い人っているもので、冒頭でぶっ倒れて救急車に運ばれる場面からしてひきつける。
「実家から間違えてもってきてしまったオヤジのパジャマを着て、ユニクロのパンツがはみでているお尻を玄関に向けて倒れているという、何か一つでもどうにかしたい状況だったけれど、それどころじゃなかった。」(p.5)
これなんか軽いごあいさつって感じで、「えー、三十一歳の女性」運転席の救急隊員は無線の相手に告げた。なんていうところでは、柳沢慎吾のパトカー物まねを思い出して笑ってしまったし、元彼が結婚を知らせてきたときのショックを思い出す場面では噴出してしまった。
「このような時に顔を引きつらせて「おめでとう」といえる人はまだ余裕があるほうで、私の場合、彼の後ろに張ってある「初鰹カルパッチョ風 七百五十円」のお品書きを見つめ、店を出るまで三百万回くらいそれを読みました。なので会計をしめてもらうとき、店員に「おあいチョ」といってました。」(p.8)
とりあえず今は4軒も普通の医者に見てもらってきたがまったく原因が分からずよくもならないので昔喘息のときにかかっていた漢方医を思い出し見てもらうために待合室にいるみのりさんである。
「私は長椅子の上でまた足を組み替えた。このひと月で体重が八キロも落ちたものだから、どんな椅子に座ってもすぐお尻が痛くなってしまう。もとよりない胸はほぼ消滅して、一応ブラジャーは着けているけれど、水泳用メガネみたいにとっかかりがないからだんだん上がってきてしまう。服の上からさりげなく下着のズレを直していると、...」(p.18)
この人どんな人なのかまったく知らないが、読者をわらわかしながら、漢方の話をおりまぜて知識を与えてくれたり、三十路の女性の置かれた微妙な女心などを繊細に描いていて、ただのおちゃらけだけのものではないことを示している。「漢方小説」というタイトルも気に入った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/ce/0f075da7f49da12e2b644ec94ab269d0.jpg)
「例えばNBAで言うと、西洋医学の薬は、怪物みたいにデカイMVPプレーヤーがいる勝率の高いチーム。漢方薬は、アシスト、リバウンド、スリーポイントなんかがうまい、そこそこの選手が五人そろってるけどファイナルまでいけないチーム」(p.58)
まぁファイナルまでいけないかどうかは別として、西洋医学は一極集中的に相手を攻めるから、一対一対応の病気なら、それであっという間に治ってしまう。しかし病気というか体調不良はそんなハッキリした原因だけから生じるわけではないし、ここにこのような症状がでているから原因はこれだと一対一対応になっている場合ばかりではない。
そのいい例が私が坐骨神経痛になったときのことだ。これは以前にも書いたので簡単に済ますが、高校生のときにボートをやっていた私は二年生の終わり頃の冬に膝が痛くなり、自転車のペダルがこげないくらいになった。労災病院とか整形外科医院とかをいくつか回ったが、水もたまっていないし、リューマチの検査をしてみたりしても、結局のところ原因が分からないということで春になって治った。最終的には翌々年の冬に再発したときに、家の近くの怪しげな医院で見てもらって坐骨神経痛だということが分かって、ぶっとい注射をしてもらって一発で治った。飲み薬も何もいらなかった。
この小説の主人公のみのりの場合もそうで、とつぜんドキドキして、天井が回るような状態になり、救急車で病院に運ばれるが、その途中で治ってしまう。西洋医学の医者は検査をしても原因が分からないと、判を押したように、ストレスを疑ってぶしつけな質問をしてきたりする。しかし漢方医の坂口先生にみてもらってドキドキの震源地が胃のあたりだということも分かり、腎が弱っているし身体全体が弱って邪気が強まっているからということで、「サイコケイシカンキョウトウ」と「ロクミガン」の処方で改善することになるのだ。
まぁそういう話はいいのだが、この小説は、元彼が結婚を知らせてきたことにショックを受けた31歳の女性がそれが原因(でもないだろうが)で陥った得体の知れない体調不良(食欲不振、ドキドキ、めまい)から漢方の力で徐々に体調を持ち直していく過程を、漢方の知識を織り交ぜ、かつ周辺にいる男女との係わり合いをとおして、三十路の男女の結婚願望をめぐるどたばたとともに描いたもの、って感じだろうか。
けっこう人を面白がらせるっていうか、存在そのものが面白い人っているもので、冒頭でぶっ倒れて救急車に運ばれる場面からしてひきつける。
「実家から間違えてもってきてしまったオヤジのパジャマを着て、ユニクロのパンツがはみでているお尻を玄関に向けて倒れているという、何か一つでもどうにかしたい状況だったけれど、それどころじゃなかった。」(p.5)
これなんか軽いごあいさつって感じで、「えー、三十一歳の女性」運転席の救急隊員は無線の相手に告げた。なんていうところでは、柳沢慎吾のパトカー物まねを思い出して笑ってしまったし、元彼が結婚を知らせてきたときのショックを思い出す場面では噴出してしまった。
「このような時に顔を引きつらせて「おめでとう」といえる人はまだ余裕があるほうで、私の場合、彼の後ろに張ってある「初鰹カルパッチョ風 七百五十円」のお品書きを見つめ、店を出るまで三百万回くらいそれを読みました。なので会計をしめてもらうとき、店員に「おあいチョ」といってました。」(p.8)
とりあえず今は4軒も普通の医者に見てもらってきたがまったく原因が分からずよくもならないので昔喘息のときにかかっていた漢方医を思い出し見てもらうために待合室にいるみのりさんである。
「私は長椅子の上でまた足を組み替えた。このひと月で体重が八キロも落ちたものだから、どんな椅子に座ってもすぐお尻が痛くなってしまう。もとよりない胸はほぼ消滅して、一応ブラジャーは着けているけれど、水泳用メガネみたいにとっかかりがないからだんだん上がってきてしまう。服の上からさりげなく下着のズレを直していると、...」(p.18)
この人どんな人なのかまったく知らないが、読者をわらわかしながら、漢方の話をおりまぜて知識を与えてくれたり、三十路の女性の置かれた微妙な女心などを繊細に描いていて、ただのおちゃらけだけのものではないことを示している。「漢方小説」というタイトルも気に入った。