猪瀬直樹『黒船の世紀』(小学館、1993年)
いやー面白い本を読んだ。明治・大正・昭和初期、つまり太平洋戦争に突入する以前から、すでに日米双方で、対米戦争、対日戦争、つまり未来の日米戦争についての戦争記があったなんて、しかもそのなかには現実の太平洋戦争にそっくりのことを予想したような内容のものもあったなんて、まったく知らなかった。
猪瀬直樹はいまは飛ぶ鳥を落とす勢いの政治家みたいになっているが、かっては作家だったというのか、とにかく猪瀬直樹という人物自体をあまり知らなかった。朝日新聞に連載されていた「明日も夕焼け」というエッセーがじつによかったので、なかなかいい人物なのかなと思っていたが、最近の道路公団問題批判はいいとしても東京都の副知事になって石原都政を助けるようになってからは政治家としての猪瀬は好きではない。ただまぁこれとあれとは別だから、そうした目で彼が過去に書いたものまで見るのはまちがっているだろう。
最初は日米そうぞれの国で軍備拡張を推進する主張のために当時から仮想敵国とみなされていた日本とアメリカそれぞれで未来の日米戦争を描き出してみせることで、うかうかしていたら日米戦争で負けてしまうぞと軍備拡張を主張して見せた戦争記が同じような時期に出たというから面白い。
とくに興味深いのはこのときも、現在の反イスラム的な論調によってアメリカが軍備を拡張しアフガンやイランなどのイスラムの国々をめちゃくちゃにしてしまったのと同じ論理が、日本に対して使われていた。つまり排日運動である。当時ハワイ経由で西海岸に入ってきた日系移民にたいするいわれなき排除運動がアメリカであった。アメリカにやってきてもけっしてそれまでの習慣を変えようとしないし、何を考えているのか分らない日系人という言い方でアメリカ社会から締め出そうとした。しかも彼らがハワイで武装蜂起したらあっというまにハワイは日本の領土になってしまうというような主張もあった。まるで現在のイスラム教徒たちがヨーロッパやアメリカに入ってきてもなんら生活習慣も言葉も変えようとしない、移民先の社会に統合しようとしないことから、彼らを排除しようとする、そして彼らをテロの手先のように見る論調までいっている姿を思い出させる。
日系移民は現実に存在したことであるから、その評価が間違っていたにせよ、アメリカで日系人排除の運動が起き、それが日米戦争記にまで発展したのは分らないでもないが、日本ではアメリカ人の移民が日本人の生活を脅かしたわけでもないし、軍事力でもって脅威を与えたわけでもないのに、なぜ日本ではそんな早くから日清戦争、日露戦争のあとは日米戦争だ、これからの敵はアメリカだという論調になっていったのだろうか。それに猪瀬は江戸時代末期の黒船の衝撃がずっと続いていたのだと主張するわけである。
しかも日本で最初に日米戦争記を書いた水野広徳が軍人時代に視察したサンフランシスコでの排日運動の経験が彼にそれを書かせることになったと考えている。この水野は『此の一戦』で日露戦争の記録をまとめその印紙収入で第1次大戦のヨーロッパを視察し『次の一戦』で未来の日米戦争記を書いた。その彼が第1次大戦のヨーロッパで飛行機による空爆を経験し、空襲の怖ろしさから反戦論になっていく件は興味深い。彼以降に出てくる戦争ものの作家たちがみな日米戦争を称揚するような論調で書いていたのに対して、彼は後に特高ににらまれるくらいに反戦を主張するようになった稀有な人であった。
それにしても池崎とか平田とか福永といった今日では忘れられた作家たちが日米戦争未来記を書いて、日米戦争へのイデオロギーを盛り上げたという事実、しかも軍部以上に日本勝利の楽観論を主張していたという事実は、なんとも後味の悪いものではある。
いやー面白い本を読んだ。明治・大正・昭和初期、つまり太平洋戦争に突入する以前から、すでに日米双方で、対米戦争、対日戦争、つまり未来の日米戦争についての戦争記があったなんて、しかもそのなかには現実の太平洋戦争にそっくりのことを予想したような内容のものもあったなんて、まったく知らなかった。
猪瀬直樹はいまは飛ぶ鳥を落とす勢いの政治家みたいになっているが、かっては作家だったというのか、とにかく猪瀬直樹という人物自体をあまり知らなかった。朝日新聞に連載されていた「明日も夕焼け」というエッセーがじつによかったので、なかなかいい人物なのかなと思っていたが、最近の道路公団問題批判はいいとしても東京都の副知事になって石原都政を助けるようになってからは政治家としての猪瀬は好きではない。ただまぁこれとあれとは別だから、そうした目で彼が過去に書いたものまで見るのはまちがっているだろう。
最初は日米そうぞれの国で軍備拡張を推進する主張のために当時から仮想敵国とみなされていた日本とアメリカそれぞれで未来の日米戦争を描き出してみせることで、うかうかしていたら日米戦争で負けてしまうぞと軍備拡張を主張して見せた戦争記が同じような時期に出たというから面白い。
とくに興味深いのはこのときも、現在の反イスラム的な論調によってアメリカが軍備を拡張しアフガンやイランなどのイスラムの国々をめちゃくちゃにしてしまったのと同じ論理が、日本に対して使われていた。つまり排日運動である。当時ハワイ経由で西海岸に入ってきた日系移民にたいするいわれなき排除運動がアメリカであった。アメリカにやってきてもけっしてそれまでの習慣を変えようとしないし、何を考えているのか分らない日系人という言い方でアメリカ社会から締め出そうとした。しかも彼らがハワイで武装蜂起したらあっというまにハワイは日本の領土になってしまうというような主張もあった。まるで現在のイスラム教徒たちがヨーロッパやアメリカに入ってきてもなんら生活習慣も言葉も変えようとしない、移民先の社会に統合しようとしないことから、彼らを排除しようとする、そして彼らをテロの手先のように見る論調までいっている姿を思い出させる。
日系移民は現実に存在したことであるから、その評価が間違っていたにせよ、アメリカで日系人排除の運動が起き、それが日米戦争記にまで発展したのは分らないでもないが、日本ではアメリカ人の移民が日本人の生活を脅かしたわけでもないし、軍事力でもって脅威を与えたわけでもないのに、なぜ日本ではそんな早くから日清戦争、日露戦争のあとは日米戦争だ、これからの敵はアメリカだという論調になっていったのだろうか。それに猪瀬は江戸時代末期の黒船の衝撃がずっと続いていたのだと主張するわけである。
しかも日本で最初に日米戦争記を書いた水野広徳が軍人時代に視察したサンフランシスコでの排日運動の経験が彼にそれを書かせることになったと考えている。この水野は『此の一戦』で日露戦争の記録をまとめその印紙収入で第1次大戦のヨーロッパを視察し『次の一戦』で未来の日米戦争記を書いた。その彼が第1次大戦のヨーロッパで飛行機による空爆を経験し、空襲の怖ろしさから反戦論になっていく件は興味深い。彼以降に出てくる戦争ものの作家たちがみな日米戦争を称揚するような論調で書いていたのに対して、彼は後に特高ににらまれるくらいに反戦を主張するようになった稀有な人であった。
それにしても池崎とか平田とか福永といった今日では忘れられた作家たちが日米戦争未来記を書いて、日米戦争へのイデオロギーを盛り上げたという事実、しかも軍部以上に日本勝利の楽観論を主張していたという事実は、なんとも後味の悪いものではある。