読書な日々

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『フランス家族事情』

2009年02月04日 | 評論
浅野素女『フランス家族事情』(岩波新書、1995年)

実際に結婚をして子育てを経験したのなら、自分自身の経験や出産子育てを通して知り合った友人たちの経験からおよその家族事情とか男女の問題なんかは書けるじゃないかと思いがちだが、意外と自分の経験から見える世界というのは限られたもので、統計的数字などどうにでも解釈ができるものであることを考えれば、実際に私たちが生きてきた1960年代から現代までの家族のあり方や男女のあり方をできるだけ時代の変化にそくして記述するというのは難しいということに気づく。自分が生まれ育った国のそうした事情でさえも記述が難しいのに、成人してから移住して生活するようになった外国の事情をコンパクトにまとめるのは、さらに輪をかけて難しいと思うのだが、この本はそれを上手にこなしている。読みやすいので、さらっと書いたようにみえるけれども、けっこう優れた本だと思う。

著者によれば、フランスの男女問題や家族問題を考える上でも、一つの大きな転機になったのが、1968年の「5月革命」だとされる。レジスタンスの英雄で第五共和制下でフランスの発展を導いた国家の「父」であったド・ゴールに象徴されるようなカトリックの国フランスの家父長的で男性優位の社会が揺さぶられることになる。

「五月革命は、この「父」に対して「ノン」を突きっけ、この「父」から派生するすべてのシステムと、人々の自由な発想を縛っていた当時の社会モラルを打ち砕こうとした動きだった。」(本書106ページ)

1789年のフランス革命が国家という器をひっくり返した革命であったのにたいして、1968年の5月革命は社会のモラルをひっくり返した革命であったとも指摘している。その結果、1975年には中絶が合法化され、ピルの全面解禁とともに、女性が子どもを産む・産まないの自由が保障されることになり、民法が改正され、協議離婚が認められるようになったこともあいまって、女性は自分の自由を謳歌し、自分中心に物事を見るようになった。

そうした女性の社会解放を社会も応援するようになり、フランスでは少子化対策としてもどんな状況で生まれても子育てに困ることがないような施策が取られ、婚姻制度そのものが意味をなさないような家族が増加する。結婚する場合でも同棲期間をもつのが当たり前になり、結婚ではなく自由な結びつきによって男女関係を維持する同棲関係(コアビタシオン)が増えている。また離婚も増大しているが、同棲関係の場合には統計上の数字に表れないので、実際にカップルの「離婚」は相当な比率になっている。

日本では想像もつかないような自由な男女関係というか家族関係がフランスで成り立っていけるのは、思うに、日本でいう戸籍法にあたる身分証明の仕方がまったく異なっていることにあると思う。これはフランス革命によって国家がまったく平等で対等な個人の集まりとしての国家というものを作り出したことに起因していると思うのだが、フランスでは出生証明が基本だが、これには母親と認知した父親の姓名が記入されるだけで、それ以外の情報は一切ないらしい。だから、代わりに家族手帳というものがあるらしいのだが、これだって、正式に結婚した夫婦の家族だけに発行されるわけではなくて、行政上の必要から結婚していないが事実婚としてやっている家族の場合にも発行されるらしい。だからといって日本のように戸籍筆頭者にようなものはない。

なにもフランスが先進的で日本は遅れているなんて言うつもりはないのだが、子どものためとか言って我慢に我慢を重ねてきて、子どもが独立した頃に、いわゆる熟年離婚がどっと発生するという事態は、日本の子育て環境や労働環境がけっして女性にとって生きやすいものではないということを物語っているように思う。

たしかにフランスでは女性解放運動の「行きすぎ」か男性というか父親の存在が薄くなってしまったその揺り戻しが1990年代にはあったというから、日本でも似たような父権の弱体化に傾斜しつつあるのは、女性が強くなったからなのかとも思うが、日本では公の場できちんと議論されない分、陰にこもる傾向があるので、へんに歪んだ形で現れるのが怖い。

『パリ20区の素顔』がどちらかと言えば軽い書き物だったので、これもそんなものかなと思っていたが、どうしてどうして、けっこうしっかりした、いい本でした。

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