読書な日々

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『バカロレア幸福論』

2023年06月04日 | 評論
坂本尚志『バカロレア幸福論』(星海社新書、2018年)

フランスの高卒資格=大学入学資格試験のバカロレアの、とくに哲学の試験が意味するもの、フランスでの中等教育で哲学が目指すものを確かめつつ、哲学の試験で求められる論文作成能力が、フランス人の幸福感に大きな影響を与えているのではないかということを論じている。

バカロレアについては私もいろいろ調べて、授業でフランスの教育の仕組みを話すのに必ず触れてきた。だから、およそのことは私も理解していることが書かれていたのだが、実際に論文の書き方、そのための手順などについては、この本は詳しく書かれている。

しかもたんなるテクニックのような話に見えるかもしれないが、どのようにして哲学の試験の論文を作成するかを論じながら、じつはフランス人の知識習得の仕方やものの論じ方をあきらかにしてくれるとことがこの著書の興味深い点である。

それともうひとつ興味深い話は、哲学の試験は論文作成になるが、それを採点する基準はないという。採点するのは高校の哲学教師たちで、彼ら/彼女らは国家資格として哲学教授の資格を得ているのであり、そうした資格を持っている以上は、正しい採点をするとみなして、自由な採点にまかせているというのだ。ここに日仏の大きな差を感じるのは私だけだろうか?

この問題で一番目につくのがスポーツ指導員の問題である。日本では学校でのクラブ活動にせよ、地域のクラブ活動にせよ、指導員にはなんら資格が必要とされない。たいていは指導者本人が学生時代にそのスポーツをしていたというだけの理由で、指導者になれる。そのためそれこそ好き勝手な指導をして、時には勝利至上主義になって、生徒に暴力・暴言を働いて、生徒を自殺に追い込んだり、柔道に多いが、寝たきり状態にしてしまうこともあり、教育の一環という本来の趣旨を逸脱している。

かたやフランスではすべてのスポーツの指導員になるには国家資格が必要であり、その資格を取るためには、そのスポーツ固有の身体や生理の問題だけではなくて、児童心理学から身体機能全般の知識までが要求される。したがって暴力事件など起こしたら資格を剥奪される。だからというわけではないが、フランスのスポーツ指導には、日本で当たり前のような暴力・暴言事件はない。それでも柔道などお家芸とか称している日本なんかよりも柔道人口も多く、トップの選手の力は日本を超えている。

もう一度バカロレアの哲学の試験の話に戻れば、日本なら論文答案を採点するのに一定の基準で行えるわけがないから、→論文試験はしない→短答式(マークシート式)でやる。こうして、本当にものを考える力を養成する機会は失われる。本来、そうした能力を前提にして、新しい分野を掘り下げていくべき大学という高等教育機関で、論文の書き方から教えなければならないという日本の遅れた状況は、いまの文部科学省には解決する能力も解決しようという考えもないのだろう。

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