読書な日々

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『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』

2023年08月12日 | 評論
宮崎伸治『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』(フォレスト出版、2020年)

『派遣添乗員へとへと日記』だの、『交通誘導員ヨレヨレ日記』だの、そのイラストとともに、たぶん大好評を博していると思われる、シリーズ本の一つだが、交通誘導員とか派遣添乗員とかメーター検針員とかなら想像がつくが、まさか「出版翻訳家」が?というのが世間一般の気持ちではないだろうか。もちろん私もそうだ。図書館の返却コーナーにあったので、すぐに手に取ってすぐに読んだ。

翻訳者といえば、もうエリートというイメージが強い。誰でもなれるものではない。たんに留学したとかいうだけでなく、外国語を日本語に置き換えるのは、外国語の知識だけでなく、日本語能力も優れていないとだめだ。この本でも「こなれた日本語に訳されている」という表現がでてくるが、どうしても直訳っぽい訳になるものだ。だいたい日本語では主語、人称代名詞など、人称に関係する名詞、形容詞、関係代名詞などがないので、それを使わずに、訳さなければならない。

それに場合によっては専門用語も調べなければならないだろう。この専門用語というやつが曲者で、普通の顔をしていても、専門用語として使われるとまったく違う顔つきになるやつもいるからだ。

そしてこの本でも最大の落とし穴が「締切」。いついつに出したいので、いついつまで(あと1ヶ月で、2ヶ月で)訳してほしいという出版者の無茶振り。これが翻訳ではなくて、通常の著作だとどうなのだろうか?よく「あとがき」などで、著者が「編集者の◯◯さんには1月と言っておきながら、まるまる2年も原稿の提出を先延ばししてしまったことをお詫びしなければならない」などと書いているいるのをしばしば目にするが、どうやら「出版翻訳」の場合にはこんなことはありえないようだ。で、問題は、そこにはない。そうやって血眼になって翻訳を完了させて期日までに提出したのに、結局出版は(出版者の都合で)半年も1年も先になってしまうとか、出版しないことになるとか、があるということだ。

この著者の場合は、出版しなかったために、出版社と訴訟になり、勝訴しはしたが、メンタルをやられて、この業界から離れることになったというのだから、驚きだ。

たぶん翻訳書がミリオンセラーになったりすれば一生楽していける印税が入るのだろうが、そんなことはめったにないし、まぁ宝くじにあたるようなものなので、一生に何度もあることでもない。つまり普通の出版翻訳家は、それだけでは生活していけないというのがこの著者の結論だ。

だから翻訳収入は臨時収入と思って、いちおうそれだけでも生活していけるような仕事を持っていなければならないというのだが、そんな職業はまぁないだろう。

日本は世界でも有数の翻訳大国で、とくにヨーロッパの諸言語とちがって、まったく言語体系が違う言語の翻訳が多いので、翻訳者の存在は非常に大きいにもかかわらず、このように虐げられているとは思いもしなかった。

だがよく考えてみると、これと同じ構図が日本のあちこちに見えてくる。その一番いい例は、世界的なアニメ文化も、使い捨てのイラストレーターによる下請けによって支えられている。宮崎駿を夢見て、手塚治虫を夢見て、この産業に参入してきたが、使い捨てにされた漫画家志望の若者がどれだけいたことだろう。

大学(高校・中学、小学校)の使い捨て非常勤講師、理研(大学研究室)の使い捨て研究員、マイナンバーカードの使い捨て作業員、自動車産業の使い捨ての自動車組み立て工員などなど、これまで栄光の◯◯と言われていた日本の産業や文化を支えていたこうした使い捨てにされていた人々が、こんな虐げには耐えられないと反逆して、どんどん離れてしまえば、もう日本の産業や文化は終わりだ。戦後復興期の集団就職の中卒者たちと同じで、いつまでも「金の卵」があると思うなよ。

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