仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

お寺ってなぜ必要か

2011年05月03日 | 都市開教
昨日、送付されてきた『寺院興隆』(23.5月号)に、平成20年、処女作『『自分から自由になる沈黙入門』(幻冬舎)でブレイクして『坊主失格』(扶桑社)『考えない練習』(小学館)『『超訳ブッダの言葉』等で執筆活動で有名となった小池龍之介(32歳)さんに関する記事が出ていました。小池さんが、山口の浄土真宗本願寺派の子弟で、住職になるのを宗派がこばみ、単立寺院となり、僧籍はく奪の告知を受けたという記事でした。

門徒が約100件で、宗派から離脱するかどうかを、門徒に聞いたところ、宗派離脱賛成派は「これからお寺は大変な時代になる。門徒の少ない正現寺に新たな住職が来てくれるのか。お寺も現状に対応していくべきだ」「他寺院からの外圧に屈してはいけない」「お釈迦様―ブッタの教えだからこそ仏教なのであって、それがみとめられないのはおかしい」、

一方反対派は「今後もちゃんと浄土真宗の葬儀や法事をしてもらえるか心配」「大教団に所属している安心感が失われるのは抵抗がある」「先祖代々の 伝統を守りたい」「このお寺が外部の人たちの修行(自力)に使われるのは抵抗がある」など、郵送形式による投票の結果、再生派が若干多く宗派離脱になったと言う。

興味があるのは、賛成反対ともに、宗派の門徒の意識を代弁しているということです。教えを中心にした集団ではない。これが宗派の実態でしょう。浄土真宗という「教え」に直結していない内容の寂しさは、他人ごとではありません。

信心獲得を言わなくなった弊害かも知れませんが、生活と浄土真宗が一枚に成っていない点が、もっともな原因であると思われます。浄土真宗が苦しみを除く教法として苦しみの現場で語られることが重要です。
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