仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

「感動ポルノ」と向き合う 障害者像にひそむ差別と排除①

2024年09月11日 | 現代の病理
『「感動ポルノ」と向き合う 障害者像にひそむ差別と排除』(岩波ブックレット・2022/1/7・好井裕明著)からの転載です。

感動することで落ちてしまう穴とは?

 本章では、いわゆる「感動ポルノ」、すなわち障害を克服し頑張る姿や無垢で慈愛に満ち優れた姿という障害者イメージに素朴に感動してしまうとき、思わず知らず、私たちはどのような思考の穴に落ちてしまうのかについて考えることにします。
 端的に言って、それは、①障害を無効化し、無意味化しようとする穴であり、②障害を個人化しようとする穴であり、③障害者を過剰に評価し遠ざけ、結果として距離をとろうとする穴です。
こうした穴を説明するために、コミックとテレビドラマから具体的な事例をあげることにします。

一人で苦難を乗り越える少年の姿--『フラック・ジャック』から
 
一つ目の例は、手塚治虫の『ブラック・ジャック』です。『ブラック・ジヤック』も連載当時、毎週『少年チャンピオン』を欠かさず読んでいました。文庫版第一巻に「アリの足」という話があります。
 小児マヒで足が不自由な少年が血のにじむような努力をしたうえで、大阪から広島まで一人で歩きとおすという話です。少年が杖をつき一人で懸命に歩く姿を見て、応援する人も冷ややかに眺める人もいます。なぜかブラック・ジヤックは車で少年の後をつけるのです。
 なぜ少年は旅を思い立ったのでしょうか。それは『ある身障者の記録』という本を読み、足がほとんど動かなかった別の少年が必死の努力をして大阪から広島まで歩きとおしたことを知り、励まされ、同じ旅をしようと決心したからでした。
 旅の道中、少年に直面する困難に対して的確に助言をし、歩き続けられるようにするブラック・ジャック。なぜなら彼は旅の行程に何かあるかについて誰よりもよく知っていたからです。
彼は大事故で瀕死の重傷を負いながらも、外科手術で奇跡的に蘇った過去を持ち、実は本に書かれていた「足がほとんど動かなかった少年」は彼のことだったのです。
 歩き続けるために必要な最小限のアドバイスだけをして去っていくブラック・ジヤック。広島まで歩きとおし、驚きと賞賛を受ける少年の姿をテレビで見ながら、黙って微笑むブラック・ジヤックのラストが印象的です。
 足が不自由であることを乗り越え、旅を成功させた少年の姿。少年の行為や意志に決して介入せず、かつての自分の体験から必要最小限の支援だけをして、温かく少年を見守ったブラック・ジャックの姿。そしてこの話の核心にあるのが、一人で頑張り、苦艱を乗り越えていく障害者の姿への感動なのです。(つづく)
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