仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

日本人は進化論を容易に受け入れた

2024年09月03日 | 仏教とは?
『生き物の「居場所」はどう決まるか-攻める、逃げる、生き残るためのすごい知恵』(中公新書・2024/1/22・大崎直太著)からの転載です。


オックスフォード進化論争

 1859年に『種の起源』が公表された当時、欧米のキリスト教社会では、多くの人々、か『旧約聖書』の・「創世記」の記述通りに世界は神により創造され、それ以来、変わることなく続いてきたと信じていた。したがって、信仰心の深い人々は進化論に対して激しい拒絶反応を示したか、『種の起源』を読んだ人の多くが、進化論は彼らの世界観を一変する知的革命をもたらすものと驚きながらも、生物進化を自明のものとして受け入れた。
 『種の起源』発表翌年の1860年に、オツクスフォード大学に新設された自然史博物館でイギリス学術振興会の年次総会か開かれ、進化論に賛成する人々と反対する人々の論争が行われた。会場には約1000人の聴衆か集まり、他に1000人以上が会場に入れなかったそうだ。

進化論の日本上陸と競争理論
 「オックスフォード進化論争」の十数年後に、進化論は明治政府に請われて来日した外国人教師により日本にもたらされた。進化論に初めて接した日本人の反応は、ヨーロパ人とは極めて異なっていた。
古生物学者で科学史家の矢島道子(2001)によると、1874年に来日して、東京医学校(東京大学医学部の前身)予科で愽物学を教えたドイツの動物学者フランツ・ヒヤケンドルフがめて進化論を紹介したという。『種の起源』発表15年後のことだ。彼の博物学の講義を受けた森鴎外のノートが東京文京区立森鴎外記念館に残っていで、縦20m、横13mのノートに、動物学24ページ、植物学16ページ、鉱物学12ぺージが書き記されている。進化論は動物学の中の脊椎動物学のところにあって、進化論の敵対者、天変地異説のキュヴィエから始まり、ダーウィンの名を挙げ、進化論の証拠を、A変化を肯定する直接的証拠とB間接的証拠に分けて説明している。
 山本七平は、日本人学生か進化論に驚かなかったのは、日本の伝統的な宗教的世界観・人間観に、何らかの点て進化論とマッチする考え方があり、その宗教の延長線上で進化論を受け入れたのではないかと述べている。その根拠として、江戸時代の・石門心学者鎌田柳泓の『心学奥の桟(かけはし)』(1822)を紹介している。すなわち、「一種の草木変じて干草万木となり、一種の禽獣は魚変にて千万種の禽獣虫魚となるの説」を上げてて、植物、動物の単一起源説を述べている。(以上)
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