仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

落葉は生きている証

2024年07月23日 | 浄土真宗とは?
送られてきた本願寺新報お盆号(2024.8.1日号)、赤光白光に、執筆原稿が掲載されていました。毎年、正月号とお盆号に依頼されるようです。

以前、ある出版社から「伝道句」の依頼を受けたことがある。お寺の掲示板に掲載する言葉だ。その一つに【枯れた木の葉は散らない。落葉は生きている証です】の言葉を考えた。その言葉を思いついたのは、裏庭に赤に花をつけるさるすべりの木があり、ある時、台風の為か、気がついたときには太い枝が折れ、ぶら下がっていた。冬が来て、木の葉は落葉しても、折れぶら下がった枝の葉は、運命共同体のように、折れた枝と共に枯れていき落葉することがなかった。その時、落葉は木が生きている証なのだと思ったことが機縁だった。●「木はおしっこをする」と、生物の先生から聞いたことがある。おしっことは排泄物を身の外に出すことだ。落葉樹でない木も、排泄物を葉にため、その葉を落葉させることによって排泄するのという。その時も、落葉は、木が生きているいのちの営みなのだと思った。私たちも無常の命を生きている。無常という自然の道理からいえば、死は必然であり、生こそが偶然の営みだということだろう。死ぬときが来たら、すべてを阿弥陀さまにゆだねて、握りしめている手をパッと開いて、落葉する葉のように終わって往けたらいいと思う。どのような落ち方をしても、そこは阿弥陀さまのみ手の上なのだから。●お盆は、阿弥陀さまのみ手のなかにある先に往生した方々を思う時節だ。その阿弥陀さまのみ手に、私のいのちも育まれていると思うと、今、共にあるという思いがわき上がってくる。それと共に死んで往ける世界があるいことは有り難い。
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