仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

錯覚する脳③

2020年12月23日 | 日記

『錯覚する脳』のつづきです。以下転載です。

 

この「甘い」という感じは、決して自然界には存在しない。糖分という化学成分は身体のエネルギー蓄積のために有効だから、「糖分」という化学量として知覚するのではなく、「甘さ」というポジティブな味覚として感じるように、脳の情報処理機構が決めたことなのだ(甘いものが嫌いな人にとってはネガティブだろうが)。

 

 

痛みは時間が経ってもあまり慣れないが、味覚や嗅覚はしばらく経つと慣れる。これを順応という。適応ともいう。もちろんこれは味覚や嗅覚に特有なものなのではなくて、視覚だって明るさに慣れるし、聴覚や触覚だって同様の特性を持つ。いずれも、慣れた方が人間にとって都合がいいから、慣れる。

 好きでない食べ物だって、それしか食べられないときには無理やり慣れるしかないし、臭いところに住んでいるのだったら、やはりそれに慣れるしかない。外国に行くと、欧米でもアジアでも、国ごとにそれぞれ独特のにおいがある。アメリカも、中国も、なんだか町中から独特のにおいがして最初は閉口するのだが、すぐに慣れてしまう。日本にも日本のにおいがあるのかもしれないが、日本人にはわからない。

 家もそうだ。自分の家の臭いにおいにはなかなか気がつかないので、気をつけたほうがいい。

体臭や口臭も。

そういえば、欧米人にとっては味噌汁は臭いらしい。はじめて聞いた時にはショックだった。

 納豆が臭いと感じる人がいるだろうことは、日本人にもわりと容易に想像できる。誰のまわりにも、一定数の納豆嫌いがいるからだ。

 しかし、私たちの慣れ親しんだ味噌汁が臭いとは、意外だった。癖のある匂いなどほとんどしないではないか。それに、味噌汁が嫌いという日本人などみたことがない。これがまさに慣れなのだ。

 味噌は発酵食品であって、納豆やブルーチーズと同じように、慣れない人には臭いにおいと感じられる場合があっても全く不思議ではない。それなのに、私たち日本人は、味噌汁の味に幼いころから親しんできたために、味噌汁が臭い食品だなんて気付きもしない。私の場合は、小さいころに、チーズは臭くて食べられなかったというのに。(以上)

 

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